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オンショアが吹く前に

海沿いの道に出てすぐに
Tシャツを脱いで自転車のカゴに放り投げた。

海にうっすらとうねりが入ってきているのが見えた。
僕は自転車を停めて、しばらくの間、サーファーが波に乗る様子を眺めた。

ロングボードを抱えた女性が、僕に話しかけてきた。
名前は知らないけれども、顔は知っている。

「すこし遊べた」

「みたいだね」

海水浴シーズンが近づいてきた砂浜には電柱が立てられ
このあとビーチハウスとなる材木が積み上げられている。
河口には夏の間だけ海水浴客が往き来できるように橋がかけられている。

「もう橋ができている」と彼女が言った。「木の匂いがする」

「そろそろ夏が始まるって感じる」

「もう夏だよ。でなければTシャツを脱いだりはしないでしょう」

「たしかに」

「そのサーフトパンツかわいいね」

「ありがとう。フリーマーケットで買ったんだ」

僕は新品の服はできるだけ買わないようにしている。
服に限った話ではないけれども、生産と消費が環境に与える負荷は、簡単に無視することはできない。近い未来、新しい服を買うことに罪悪感を感じるような価値観が広まるだろう。と僕は思っている。
それにフリーマーケットで買う方が安い。

「だいたいサーフトランクスは化繊だけど、これは綿素材だからすごく履き心地がいいんだ」

彼女は満足気に頷いた。

「これから入るの?」

「うん」

海からそよ風が吹いてきた。

「風が回った?」

海風は午後に強まる予報だ。
サーファーは海風のことをオンショアと呼ぶ。
オンショアが吹き荒れると、海はぐちゃぐちゃになって、ほとんどのサーファーは陸にあがる。
暑い時期は午後にオンショアがあがらないことの方が珍しい。

「急いだほうがいいね」

「だね」

「じゃあ」

「また」

ふたたび海沿いに自転車を走らせる。
弱い風が右から吹いてきたり、左から吹いてきたり、ふと止んだり。
オンショアにやさしく撫でられた波の表面が、きらきらと輝いて見える。

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