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ライフワーク

(写真は2015年の韓国原州市での原州ダイナミックダンシングカーニバルで、待機中に通りかかったロシアのチームの方と撮った写真。めっちゃ綺麗な人おるやん、声かけな!と煽られ、いやいやいや無理無理、とドギマギしてたら、カメラマンの方が交渉してこのような写真が。)

別に、これが天命だとか、これを一生続けていく、なんてものはない。

いや、昔はあったのかもしれない。しかし、人は変化するものだと気付いた時、それは流れさっていったようである。

長く続けているものがあるとすれば、よさこいだとかよさこいソーランだとか言われている踊り。今年で16年目になるなんて自分でも信じられない。

ずーっとやらなければ、なんて思ってない。石にかじりついてでもやらなきゃなんて全く思ってない。しかし続いている。不思議。

いつもそう思って踊ってるわけではないが、こんな人に届けばいいなと思っていることがある。

例えば、明日死のうと思ってる人がいて、家に引きこもってたら外で大きな音色が聞こえて、気になって外に飛び出す。祭か何かで、そこでやってた我々の演舞に偶然出くわす。それを見て、あぁ、もう1日くらい生きててもいいかな、と、自殺を1日引き伸ばしたくなるような演舞。

そんな演舞をする演者でいたいなと思っています。

これ、未だに誰にも理解されたことねえんだけどさ(泣

さらに必死こいて踊ってるから、それどころじゃないんだけどさ。特に30後半になるとねぇ(笑)

と同時に、囲われた小屋(劇場空間)でなく、人里離れた僻地でなく、街中で行われる、という状況、それも大切な要素だと思っています。

小屋とか、僻地だと、わざわざ行かなきゃいけないし。偶然出くわすこともないでしょうしね。

パッションというか、生きてる波動というか、そういうのに生で触れて、ああ、生きてるってアリだな、なんて伝えたいのかもしれません。

そして、それが達成されるなら神輿でも太鼓でもいい気がする。なぜよさこいになるのかは自分でも謎。今日はこんなところです。

#毎日note

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