聲の形をもっかい観た事、恐れ、勇気、自殺、の話。

2016年は劇場アニメの当たり年でした。みんな大好き「君の名は」、みんな大感動「この世界の片隅に」、そして「聲の形」が公開された年でした。

この3作品の中で、自分が最も好きな作品は聲の形です。

当時、劇場で観た後に未読だった原作コミックス全巻大人買いして読み漁りました。原作はがっつり頭に叩き込んだ状態で時が過ぎ、そして最近wowowで放映されまして。録画しておいたこの作品を再度観てみたわけです。

原作とのものすごい差異に、いまさら気がつきました。(原作読んでもそんなに差にが気にならなかったのに。)

と同時に、どうしてこの作品が好きなのか、つかめてきた気がしたわけでして。(ま、別に好きなものに明確な言葉にしなきゃならない理由なんてないと思うのですが。だって好きだもん、でいいのでは。)

以前noteにこんなことを書きました。

https://note.mu/yyyjjjaaattt/n/na06d962944dc

>1)なんだか根源的な不安があるのです。一つの場所に居続けることが。これは今回掘り下げない。

一つのコミュニティに専従せず、あちこちに関わる理由。簡単に言うとリスクヘッジ。怖いんだなぁと。

聲の形の序盤、小学生の頃、主人公の石田が耳の聞こえない転校生西宮をいじめ、それがエスカレートして西宮が転校する。その後先生から、クラス全員の前で石田がいじめの首謀者であると指摘される。そして、今度はクラス全員から石田がいじめを受け、孤立することになる。そして中学高校でもそれが尾を引き、石田の孤立は続いていく。

石田としては、確かに(いじめは)石田が中心となって行ったわけだが、みんないじめに肯定的だったじゃん、味方だったじゃん、(耳の聞こえない)西宮との付き合いがみんな負担だったじゃん、からかったりしたらみんなウケてたじゃん、喜んでたじゃん、、、という思いがあったろうけど、気づけば、クラスメートたちは、(いじめは)石田がやりました、私たちは止めようとしたのに、、、といじめを止めようとした側になっていた。

味方が一瞬にしていなくなること、この恐怖があるんだなぁと。

(よく考えたら、与党の支持率もそうかもね。みんな支持してくれてたじゃん、みたいな(苦笑))

あともう一つ、クラスメートの立場として見た際に、西宮いじめに肯定的であること(=石田の味方)がクラスの調和だったのだが、西宮転校後は石田をいじめる(=石田を悪者にする)ことがクラスの調和になるわけで。

一つの組織(クラス)の構成員(クラスメート)として、こういう状況が起こった時にどうすればいいのかということ。

例えば皆で船に乗ってるとして。自分は違うと思ってるのに、船の方角がそっちに向かってるから、乗組員の自分としてはその方角に向けて一生懸命になるのだが、その方角、間違ってました、と発覚した時、何お前間違った方角に一生懸命漕いでんだよ、って罪に問われるのが怖いというか、えー、みんなも同罪やん、でも確かにおれやってたけど、、というこの感覚。孤立感、責任取れない感じ、どーしたらいいかわからない感じ。これに抵抗を感じているのだなぁと。

原点は学校だったのかな。この感覚。ずっと抱えてるモヤモヤを映像で見せてくれた、というのが大きいのかもしれない。それがこの映画が好きな理由なのだろうか。

そして、これは日本社会特有のものなのだろうか。

若松孝二監督の映画、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」で、ラストのあさま山荘で犯人たちが捕まる直前、(我々は正しいことをしているのに)どうしてこうなってしまったんだろうと自問し合うシーンで、俺もあんたも勇気がなかったんだよ!と一番若い子が絶叫する。(注:うろおぼえ)

集団に対して意見する勇気。調和を乱しても、間違ってると言う勇気。

勇気がなくて、それを誤魔化して、取り繕って、勇気なくてもうまくいくように知恵を駆使して、気づけば知能犯になってる今があるなとちょっと気がつきました。あかんやつや!(苦笑)

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あと最後に。映画で良かったと思うのが自殺が唐突であることを表現している部分。原作だと伏線が見えるけども、映画だと尺の関係もあるのか、本当に心臓に悪いくらいに唐突である。え、なんで?って感じでした。

人の言動には全て明確な理由があると思う人には理解できないだろうが、ああ、自殺って、本当に理由がわからない(理解できない)ものなのだなぁと改めて思う。

したことはないけど(笑)、されたことがある身としては。(あるのかよ)

本当に、自殺という言葉から最も縁が遠そうな人ほど、用心したほうがいいと私は思う。

先日、稽古場の壁に、「死にたいって堂々と言える社会に」だったかな?そんなポスターが貼ってあった。(注:うろおぼえ。)

不謹慎すぎるわ!って突っ込みたくなったが、よく考えたら、いやもうほんと死にたいわ〜、なんて言える人はなかなか自殺はしないはず(笑)。言える環境があるわけだし。なので、気軽に堂々と言える環境はあったほうがいいのかもしれません。

逃げる、寝る、食べる、好きなことする、筋トレする、をそれぞれ徹底的にやれば、なんとかなる、はず。

というわけで、とっちらかったネタになりましたが、今日はここまで。

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