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落選から21週目。 帰省して気付いたこと。

こんにちは。ゆざわ一貴です。
今週はお彼岸を兼ねて、母と姉親子が住む実家へ行ってきました。

実家と言っても都内なので、私の住んでいる品川区からは車でも電車でも1時間くらい着きます。ただ時間帯によっては道路が渋滞してしまい、15kmほどの距離を車で2時間以上かかることもあります。

その日は比較的スムーズに車が流れていたので、1時間15分程で到着しました。私はいつも通り、出発の際に『到着目標』時刻を母に伝え、その時間に遅れそうなので『到着予想』時刻を電話で伝えました。
その際、母から「今どこにいるの」という質問がをされました。


「今どこにいるの」は母の口癖のようなもので、私が小さいころから今に至るまでずーっと聞いてきます。小さい頃は安否確認も含め、親として『心配』だから聞いていたのだと思いますが、大人になってからの質問は、正直、なんでそんなことをいちいち報告しなきゃならないの?聞いたところで意味あるの?と若干イラ立つこともあります。

そもそも母が知りたいのは私の『到着時間』であって、それに併せて夕ご飯を準備したいのです。レンジで温めなくてもいいようにとの母の愛情は本当にありがたい限り。でも『場所』を知っても渋滞をすれば何時間もかかってしまう可能性もあるので、私はいつも『時間のみ』を伝え、その方が気をもませることなく一番親切だと考え伝えていました。

実家に到着し食事を済ませた後、母と二人きりになったので「到着時刻がわかるわけでもないのに、どうしていつも場所をきくのか」と尋ねてみました。すると母は「今どこにいるのかを知るだけで安心するから」だと答えました。


70代後半の母ですから、私が見守り、安否確認をして、安心する立場だと思っていたので、この発言にビックリしてしまいました。母からしてみればオッサンになった私でもずっと『息子』であり、40年以上も「今どこ」と質問をされ続けてきましたが、場所がわかると『安心』されていたわけです。これが『親の心、子知らず』なんでしょうか。反省。。

場所を言っても時間の読めない人に対して、到着時刻のみを伝える方が余計なことを考えさせなくて良いので合理的だと思います。でも相手が知りたいのは果たして到着時刻だけなのか?そこを私は見落としていました。
相手の立場になって物事を考えてきたつもりでしたが、近親者になればなるほそこが疎かになってしまいがちです。さらに反省。


自治体の情報についても同じことが言えて『受け取りてのニーズに合った情報』を発信しなくてはなりません。自治体の情報発信はニーズに合っていなくても、発進さえしていれば『情報発信は行った』という実績として残せます。しかし民間であればニーズに合っていなければ売り上げに繋がらないし、情報誌であれば売れません。

デジタル化が進むことで若者からスマートフォン等を利用している中高年の方々は、情報をかなり入手しやすくなったともいます。ここで大切なのは、いかに情報弱者を出さないようにするかが、自治体の腕の見せどころなのではないでしょうか。

例えば、頑張ってパソコンを覚えたいという高齢者の方のために品川区で開設されたパソコン教室への申込がインターネットに限っていたことがありました。また購読者の7割以上が高齢者という『広報しながわ』には、『詳しくは区のHPでご確認ください』と掲載された案内があります。

逆に高齢者限定の催し物については、インターネットからの申し込みが出来ないものもあります。せっかく時代についていこうと努力をした高齢者からすれば、高齢者はデジタル機器を使いこなせないものと決めつけられているような気分になるそうです。


『善かれ』とおもってやっていることが、相手にとって『悪しかれ』になってしまってはもったいないことです。他者への想いがあるのであれば、自分の『想像』によって物事を決めていくのではなく、対象者の想いを理解したうえで決定していく事が大切です。

国会議員の秘書時代、そして区議会議員のときも常に行ってきたことが、まさか母にできていなかったことに大きな驚き衝撃を受けた出来事でした。
しっかりと反省をし、引き続き社会のために貢献していきたいと思います。

日々勉強!

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