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蛇狩りの季節(β版)2

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 エリックは〈廃物街〉を北に進み、一路〈占い婆婆〉の元へと向かっていた。彼女もまた〈蛇狩り〉によりまともな精神を失ったもののうちの一人だが、それと同時に類まれなる優れた霊感を獲得したのだという。少なくとも彼女はそう信じていた。
〈占い婆婆〉のねぐらは小高いゴミの山の上にあった。エリックはゴミの山を登り、オレンジ色のコンテナの錆びついたドアを開け、〈占い婆婆〉の部屋の中へと入った。
 薄暗いコンテナの中には湿った空気が漂っていた。


「アンタが来ることはわかっていたよ」


 彼女のお決まりの挨拶。古いタペストリーが飾られたコンテナの中、〈占い婆婆〉はエリックに奇妙な臭いのする濁った茶を勧めたが、エリックはそれを丁重に断った。そして〈婆婆〉の向かいのポリバケツに腰掛けると、彼女に向かって言った。


「この街を出ようと思う」


 それを聞いた〈占い婆婆〉は大げさに目を丸めるとこう言った。


「おやおや、どうしたね、アンタ……」
「ちょっとまずいことになって」
「久しぶりに来たと思ったらそれかね、〈先生〉」
「おれがこう言うとはわからなかったのかい、〈婆婆〉」
「もちろんわかっていたともさ」


〈占い婆婆〉は口だけで笑うと続けた。


「アタシが知らないことはない。そんなことは何もないんだよ、〈先生〉」
「それはそれは」
「だからこの街を安全に出る方法も知っている。それをアンタに教えてもやれる。だけどその前に、一つだけアンタに聞きたいことがある」
「なんだい」
「結局、〈蛇狩り〉ってのはなんだったんだい」


 エリックは凍りついた。


「何を……」
「今のアタシはアンタがエリック立花だってことは知ってる。アンタがそのせいで今〈愛国者〉たちに追われてるのも知ってる。アタシにとってわからないことはただ一つ、アンタがなんで二年前のあの日に〈蛇狩り〉なんてことを始めたのかってことさ」


〈占い婆婆〉の瞳は、今や〈先生〉ではなくエリック立花を見据えていた。


「アンタは答える責任があるんだよ。この街の誰に対しても、いや今生きている人間誰に対しても、もしそれを聞かれればね」
「〈婆婆〉……」
「いいかい、アタシはね、アンタが言ってた宇宙人がどうのこうの、なんてことは信じるつもりはないんだよ。そんなふざけたことを信じるつもりはない。本当のことを聞きたいんだよ。何かもっとあるんだろう? もっと何か、信じるに値する真実が本当はあるんだろう」


 エリックには答えられなかった。


「まさか本当に、〈蛇〉達は人間に化ける宇宙人のことだったって言いたいのかい」
「……ああ」
「それでアンタは〈蛇〉を狩る別の宇宙人に操られて、それで〈蛇狩り〉をしてたって言いたいのかい」
「ああ、そうさ、〈婆婆〉……」


〈占い婆婆〉はうつむくと大きなため息をついた。そしてそのまま言った。


「アタシはねえ、〈蛇狩り〉が起きる前は、あの前は、普通の主婦だったのさ。子供が二人いてね。可愛かったよ」


 顏をあげた〈婆婆〉の瞳には涙が溜まっていた。


「顔を変える前のアンタがテレビに突然映ってさ、大統領の死体のそばで何十人もの仲間と一緒に『こいつは〈蛇〉だったんだ! 悪い宇宙人なんだ! これが証拠だ!』なんて言ってた時には、おや、何か映画の宣伝でも始まったのかね、ちょっとこれは子供には見せられないね、なんて思ってたもんだったよ」
「〈婆婆〉」
「それからはアンタをテレビで見ない日は無かったねえ。今日はあいつ、明日はこいつ、なんてね……。どいつもこいつも〈蛇〉、〈蛇〉、〈蛇〉……アンタ、大統領の顔の皮剥いたとき、どう思ったんだい。あの皮膚の下の爬虫類顔見たとき、どう思ったんだい。覚えてないかい」
「……覚えていない」
「ああ、本当に、あれからはあっという間のことだったねえ。アンタは本当にうまいことやったもんだったよ、メディアを使って宣伝して、みんなを煽って、仲間を増やして。どれもこれも全部〈蛇〉を狩る宇宙人が支援してくれてたからこそ出来たってことかい。なるほどねえ」


〈占い婆婆〉の手には大口径の拳銃が握られていた。


「そんなこと信じられるかい。アンタ、アンタもどうせ世の中に不満があったクチなんだろう。だからあんなひどいことが出来たんだろう。アタシの旦那はね、子供はね、〈蛇狩り〉に巻き込まれて死んだんだよ、〈蛇〉なんかじゃなかったのに」
「〈婆婆〉、落ち着くんだ……」
「なんでアンタ、我慢出来なかったんだい、なんであんなことをしでかしたんだい。ちょっとは結果が想像出来なかったのかい、こういうことになるって、考えられなかったのかい」
「おれは操られて……」
「そう言うのはわかってたよ」
「じゃあこう来るのはわかってたかい」


 突如ドアを開け放って飛び込んできた男はそう言った。〈占い婆婆〉の拳銃を右足で蹴り上げて跳ね飛ばすと、そのまま身体を捻り左の後ろ回し蹴りで〈婆婆〉の首をへし折って殺した。
 男はその身に何も纏っていなかった。その引き締まった身体からは半透明のねばつく分泌液がしたたっていた。


「危なかったなあ、エリックさん」
「お、お前……」
「なあに、あんたに比べれば殺してない方だろ。おれの名は〈蛙〉だ。今のところは、味方だと思ってもらっていい」


〈蛙〉はエリックに粘液まみれの右手を差し出した。エリックはその手を取るのをためらった。


「ハハハハハ! そうされるのはわかってたよ、なんてな……。いいかい、あんた、早いところここから離れたほうがいい。〈愛国者〉達がもうすぐそこまで迫ってきてるぜ」
「味方だと」
「ああそうだ」
「お前、街から出る方法を知ってるか」
「さあなあ」


〈蛙〉のその返事を聞くや否やエリックはコンテナから駆け出した。〈蛙〉はサイドテーブルに残された茶を一口飲み、渋い顔をしてそれを吐き出すと、エリックの背中を追いかけ始めた。

    ◆

 日に日に面積を増しつつある〈廃物街〉のその最外縁では、街の防衛と拡大の二つの役割を担う資源回収壁が休むことなくその作業を続けていた。厚さ五メートルにも及ぶこの鋼鉄機械は、有機物無機物問わず触れるものすべてを資源としてその内に取り込み、そしてそれを接続された動脈パイプラインで中央リサイクルセンターへ絶え間なくと送り続けていた。
 この壁により〈廃物街〉の住民は街外の脅威から護られてはいたが、同時にこの半径五キロメートル足らずのゴミまみれのスラム街の中に閉じ込められてもいた。
 この狭い〈廃物街〉の中ではすぐに居場所など知られてしまう。そのため、エリックはどうにかしてこの街の外へ出る方法を探していたが、それを見つけることは出来なかった。


「あんた、そんなに足は早い方じゃないんだな。ちゃんと運動してるのかい」


〈蛙〉は息を切らして資源回収壁にもたれているエリックに向けてそう言った。彼は相変わらず服は着ていなかった。


「運動、運動ね……。なあお前、いったい、本当のところは何者なんだい」
「ああ、おれは〈蛇〉の使いさ。あんたには今度はこっち側についてもらおうと思ってね」
「勝手な話」
「そうとも、勝手な話さ。だがあんたには断る道はないと思うがね、断ったらおれはあんたを守らない……そうするとどうなるね、今のあんた。すぐ、すぐに死ぬよ」
「なんでおれなんだ」


 エリックは〈蛙〉に向けて怒鳴った。


「もう懲り懲りなんだよ。お前らのおもちゃにされるのはうんざりだ。なんでおれなんだ。他のやつにしろ」
「〈縁〉が出来ちまったからねえ、こればっかりはしょうがないんだ」


〈蛙〉はエリックを指差しながら言った。


「〈奴ら〉は実のところ誰でも良かったんだと思うよ。十億人の中から〈蛇狩り〉のために適当に選んだのがあんただったってだけのことだ。だが結果として、そこであんたには〈奴ら〉に対して、おれたちに対して〈縁〉が出来たんだ。こうなったらもうこの関係から逃れようはないんだよ。これは宇宙の決まりなんだ、そういうものなんだよ。ま、諦めてもらうしかないね」
「畜生め」


 エリックは唾を吐いてそう言った。


「本当、畜生め」
「まあそう言わずに」


〈蛙〉はエリックの肩に手をおいた。エリックはそれを振り払った。粘液が糸を引いていた。


「ところでここに、あの〈占い婆婆〉の家からひったくってきたちょっとした地図があるんだがね。もしかしてこれには街の外へ出るためのヒントなんて書いてあるんじゃないかなあ。いやあ、どうだろう。どうもわからないな、なんとも言えないなあ」
「お前、なんのつもりだ」
「受けるかい、さっきの話。受けてくれるなら、地図見せてやるよ……」


 エリックは〈蛙〉から地図をひったくると、それに目を通し始めた。〈蛙〉は肩をすくめてその様を眺めていた。

(つづく)

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