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〈蛇の星〉-2

〈蛇の星〉-1

-2-

〈廃物街〉は〈洗浄〉の産んだ数少ない副産物のうちの一つである。かつては数百万の人口を養っていた高度循環型都市は〈洗浄〉の余波によってそのシステムを崩壊させ、再利用されることのなくなった各種廃棄物は街路に溢れ出し、結果として広大なスラムを形成した。崩壊したシステムは計画を無視してガラクタを生産し続け、それを取り込んだスラムはまた新たなゴミを生み出し続ける。ゴミで成り立つ〈廃物街〉は周囲の集落をも吸収し、ますますその規模を拡大させつつあった。
〈先生〉は〈廃物街〉を北に進み、一路〈占い婆婆〉の元へと向かっていた。彼女もまた〈洗浄〉によりまともな精神を失ったもののうちの一人だが、それと同時に類まれなる優れた霊感を獲得したのだという。少なくとも彼女はそう信じていた。
〈占い婆婆〉のねぐらは小高いゴミの山の上にあった。〈先生〉はゴミの山を登り、オレンジ色のコンテナの錆びついたドアを開け、〈占い婆婆〉の部屋の中へと入った。
 薄暗いコンテナの中には湿った空気が漂っていた。


「アンタが来ることはわかっていたよ」


 彼女のお決まりの挨拶である。古いタペストリーが飾られたコンテナの中、〈占い婆婆〉は〈先生〉に奇妙な臭いのする濁った茶を勧めたが、彼はそれを丁重に断った。そして〈婆婆〉の向かいのポリバケツに腰掛けると、彼女に向かって言った。


「〈婆婆〉、調子はどうですか」
「まあまあだね。変わりないよ。アンタはどうだい」
「そこそこです」
「そりゃあ良かった。どうだい、姉さんも元気にしてるかい」


〈占い婆婆〉の姉は、かつて〈先生〉の元を訪れ、そして〈アンテナびと〉になったのだった。


「ええ。元気ですよ」
「それはなによりだ。さて、今日は何しに来たんだい」
「調べて欲しいことがありまして」


 それを聞いた〈占い婆婆〉は大げさに目を丸めるとこう言った。


「おや。珍しいね。占いに来たんじゃないのかい、〈先生〉」
「わたしがこう言うとはわからなかったですかね、〈婆婆〉……」
「もちろんわかっていたともさ」


〈占い婆婆〉は口だけで笑うと続けた。


「アタシが知らないことはない。そんなことは何もないんだよ、〈先生〉」
「そうでしょうね」
「それで。何を調べたいんだい」
「その……私の前の顔を知っている者がいまして。どこから漏れたのかが知りたいんです」
「前の顔。前の顔ね。なるほどね。いいだろ。調べてやろう。だけどその前に、こっちから一つだけ聞きたいことがあるんだがね、答えてもらってもいいかい、〈先生〉」
「なんでしょう」
「結局、〈洗浄〉ってのはなんだったんだい、エリック立花さん、ってことさ」


〈先生〉は凍りついた。


「何を……」
「今のアタシはアンタがエリック立花だってことは知ってる。アンタがそのせいで今〈宇宙カルト〉たちに追われてるのも知ってる。アタシにとってわからないことはただ一つ、アンタがアームストロング号で宇宙に飛び立った二年前のあの日に、なんで〈洗浄〉なんてことが起きたのかってことさ」


〈占い婆婆〉の瞳は、今や〈先生〉ではなくエリック立花を見据えていた。


「アンタには答える責任があるんだよ。この街の誰に対しても、いや今生きている人間誰に対しても、もしそれを聞かれればね」
「〈婆婆〉……」
「いいかい、アタシはね、わかってるんだよ、アンタだけがこの世界で完全に正気なんだってね。アンタだけは〈洗浄〉を受けてないんだって。そんな匂いがプンプンするんだよ。目立つのさ。アンタのせいで地球は〈洗浄〉を受けたのに、アンタのせいで地球は白痴化しちまったのに、アンタのせいで何もかも滅茶苦茶になっちまったのに、アンタだけは変わらずにいる。許せないよねえ。なんでなんだい?」


 エリックには答えられなかった。


「だんまりかい。ああ、それもわかってるさ。アンタは結局何も知らないんだろう。あの時聞こえた〈声〉は、『人の頭に巣食う〈蛇〉を洗い流す』だとか言っていたが、その分だとこの〈蛇〉が何を意味しているのかもわからないんだろうね」


〈占い婆婆〉はうつむくと大きなため息をついた。そしてそのまま言った。


「アタシはねえ、〈洗浄〉が起きる前は、あの前は、普通の主婦だったのさ。子供が二人いてね。可愛かったよ」


 顏をあげた〈婆婆〉の瞳には涙が溜まっていた。


「〈声〉が聞こえて、〈洗浄〉の波が届いた途端、うちの子供はね、頭がおかしくなってベランダから飛び降りちまったんだよ。二人ともね。慌てて捕まえようとしたけど、間に合わなくって。ハハハ、あの時の景色は忘れられないよ。ウチの子だけじゃない、他にも何百人も飛び降りてるんだ、窓からね。あの景色、とてもゆっくりに見えたよ」
「〈婆婆〉」


〈占い婆婆〉の手には大口径の拳銃が握られていた。


「アタシはねえ、アンタのこと、到底許すことなんて出来ないんだよ、〈先生〉」
「〈婆婆〉、落ち着くんだ……」
「アンタが宇宙なんて行かなければ、アンタがそんなたいそれた事しなけりゃあ、こんなことにはならなかったんだよ。なんで宇宙なんか。みんなみんな、生きていたんだ。こんなことにはならなかったんだよ。なんで地球で我慢できなかったんだ。あんた、あんたのせいなんだよ」
「でもあれは、人類の進歩の……」
「そう言うのはわかってたよ!」
「じゃあこう来るのはわかってたかい」


 突如ドアを開け放って飛び込んできた男はそう言った。〈占い婆婆〉の拳銃を右足で蹴り上げて跳ね飛ばすと、そのまま身体を捻り左の後ろ回し蹴りで〈婆婆〉の首をへし折って殺した。
 男は、腰に巻いた太い金色の鎖以外身体に何も纏っていなかった。その引き締まった肉体からは常に半透明のねばつく分泌液がしたたっていた。


「危なかったなあ、エリックさん」
「あ、あんた……」
「なあに、あんたに比べれば殺してない方だろ。おれの名は〈蛙〉だ。今のところは、味方だと思ってもらっていい」


〈蛙〉はエリックに粘液まみれの右手を差し出した。エリックはその手を取るのをためらった。


「ハハハハハ! そうされるのはわかってたよ、なんてな……」
「味方だって」
「ああそうだ」


〈蛙〉はサイドテーブルに残された茶を一口飲み、渋い顔をしてそれを吐き出すと、エリックにそう言った。


「おれはあんたの味方だ。たったひとりの味方だよ、エリック立花さん」

 足早に夕暮れの〈廃物街〉を歩くエリック立花の背中を、〈蛙〉は生殖器を揺らしながら追いかけた。


「なあ。そんなに早く歩いてもさあ、おれからは逃げられないぜ、エリックさん、ハハハハハ」


 エリックは〈蛙〉に言った。


「畜生め。なんだ。なんなんだお前は。いいか。ついてくるな。おれはひとりになりたいんだ。おれはひとりになりたいんだよ。誰にも傍にいて欲しくなんてないんだ。まして守って欲しくなんかない。誰もそんなこと頼んじゃいないんだぞ、お前」
「要するに自分を辞めたいんだな。ハハハ、それは無理な話だ。あんたはあんた以外にはなれないよ、エリック立花さん。あんたはあんた自身から逃げられないし、あんたはあんた以外の何かにはなれないし、あんたがあんたである限り、〈蛇〉の使いであるおれからも逃げられないんだ。そういうものなんだよ、あんた。あんたは〈エリック立花〉を辞めることは出来ないんだ。観念するんだね」
「お前、一体何が目的なんだ」
「おれ? おれは〈蛇〉の手伝いをするだけさ。〈蛇〉の使いなんだ。そういうものだからね。それが決まりなのさ」


〈蛙〉は腰に巻いた鎖を弄りながらそう言った。


「まあ、そうだな、どうしても自分を辞めたいってんなら、〈蛇〉に相談することさ。そうだな。そうしよう。おれたち、〈蛇〉に会いに行くことにしようか」
「〈蛇〉」
「そうさ、〈蛇〉だ。宇宙の〈極〉のある一方に位置する〈獣〉だ。彼らは敗北の〈獣〉だ。生き物の意識に語りかけ、それに少しだけ影響を与えることができる。出来ることはそれだけだ。殖えることもない。か弱い〈獣〉なのさ。地球にいる〈蛇〉の場所なら、おれが知っている。連れていくよ」


 エリックは、あの夢の〈蛇〉のことを思い出していた。緑色の肌に赤い斑点。人語を喋る〈蛇〉。敗北の〈獣〉。


「さあ行こうぜ。少しばかり長い旅にはなるが、まあなあに、おれがついている、心配しないでいいよ。なあ、〈先生〉」


 そう言うと〈蛙〉は口笛を吹きながら歩き出した。エリックにはその後をついていくことしか出来なかった。

<つづく>

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