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〈蛇の星〉-7

〈蛇の星〉-6

-7-

 デミイシは〈墜落地点〉周辺のゴミ壁からぼろぼろの不織布のシートを引き出すとそれを引き裂いて三等分し、エリックと〈蛙〉に一枚ずつ渡してから言った。


「おれの先輩言ってたここ〈墜落地点〉悪な空気プンプンらしいなんか悪いらしいお前らこれ顔にしとけおれもしとく」


 エリックと〈蛙〉ははそれに従い、しかめ面をしながらも腐った不織布を顔に巻いた。エリックは辺りを見回す。そこかしこで怒声と悲鳴と笑い声と奇声とが上がり始めた。〈ミュータント狩り〉の始まりであった。



〈ハンマー〉が前に足を進める度に、地衣類の絨毯は湿った音をその耳に返した。〈ハンマー〉は確かに何者かの気配を感じ取っていた。スレッジハンマーの柄を握る両手にじっとりと汗をかく。〈ハンマー〉は、油断せずに一歩一歩前へ進んだ。既に彼の腰には、〈三本首〉の首が一つと、〈木人〉の首が二つぶら下がっていた。


「こっちだ! こっち! 助けてくれ!」


 緊迫した人の声。だがしかし、熟練の〈ミュータント狩り〉である〈ハンマー〉には、それが〈人柱〉からのものであることがわかっていた。
〈人柱〉とは、かつてこの地に暮らしていた人々の死体の成れの果てなのだと〈狩人〉達の間では伝わっていた。地衣類に表面を覆われたこの〈人柱〉は、人間の喉と舌を模した器官から発する音で巧妙に獲物を誘っては、周囲に張り巡らせた触腕でその身を捕らえるのだという。
〈ハンマー〉は〈人柱〉の潜んでいると思われる脇道から距離を取りつつ、慎重に先へ進んだ。
 彼は〈狩人〉ではあったが、今回の目的は積極的な〈ミュータント狩り〉ではなく、〈墜落地点〉に残された物資のサルベージであった。〈墜落地点〉のそこかしこには未だ保存状態の良い食料が眠っているという、まことしやかな噂があったのだ。
〈ハンマー〉は〈洗浄〉の日以来、異様な飢餓感に襲われていた。食料をどれだけ腹に押し込んでもその飢えは決して収まることはなく、空腹のためにろくに眠れぬ日々を過ごしていたため、まばらになった頭髪と真っ黒な隈を持つ頭が、異様に逞しい肉体の上に乗っていた。
 路地裏から〈三本首〉が飛び出してきた。〈三本首〉とはその名のとおり、三つの頭を持つ肉食性の巨大な蝿である。でっぷりと太ったその胴体は、これまでに何匹もの獲物を狩ってきたことを証明していた。
 しかし〈ハンマー〉にとっては容易い相手である。〈ハンマー〉はまず右の回し蹴りを見舞う。〈三本首〉はその場にホバリングし蹴りを躱すが、重ねてそこに襲いかかったのは遠心力を味方につけたスレッジハンマーの強烈な一撃であった。〈三本首〉の胴体は悪臭を持つ体液と共にはじけ飛び、そしてその首は〈ハンマー〉の手の中にあった。これで手元にある〈三本首〉の首は二つになった。
 首。それが二つ。一つぐらい食ってしまおうか。どんな味がするのだろうか。突然の強烈な飢餓発作に襲われた〈ハンマー〉は、どうしてもその考えを頭から振り払うことが出来なかった。


「こっちだ! こっち! 助けてくれ!」


 そして先ほどと同じ声色の〈人柱〉の鳴き声が辺りに響く。人のものではないとわかっていても、その切迫した鳴き声はどうしても人の注意を惹きつける。
 この〈人柱〉の鳴き声と同時に襲ってきた強烈な飢えの発作に翻弄されて、一時的に集中と注意を乱してしまった〈ハンマー〉が、足元の〈肉饅頭〉に気づくことができなかったのもしょうがないことであったのだろう。〈三本首〉の頭にかぶりつかんとした〈ハンマー〉の右足がピンク色の〈肉饅頭〉を踏み砕くと、その足はまるで沼の中に沈むかのように地面に飲み込まれていった。実際にはそれは、〈肉饅頭〉の強アルカリ液により、装備していた防護靴ごと膝まで溶かされていたのであった。


「ああああああ!」


 激痛が走る。〈ハンマー〉はたまらず転げながら悲鳴を上げた。思わず右足を抑えながら見る。膝から下が失われており、どろどろに溶けた断面はまだ煙を上げていた。携行していた飲料水を傷口にかけ(再び激痛が走る)洗浄することで、なんとかこれ以上の腐食は抑えることができた。
 だがこの痛み。そして出血。何よりも右足の欠損。このままでは到底〈狩り〉など続行できない。おれとしたことが……道の向こうに見えるのは他の〈狩人〉……助けを呼ばなくては……誰かを呼ばなくては!
〈ハンマー〉は力を振り絞って、手を振りながら叫んだ。


「おおい! こっちだ! こっち! 助けてくれえ! 右足が!」


 だがそれを聞いた〈狩人〉達は、決して〈ハンマー〉のほうに近づいてくることはなかった。なぜだ。錯乱している〈ハンマー〉にはその理由に気づくことが出来なかった。
 その代わりに、〈ハンマー〉の背後から近づいてきたのは、〈人柱〉の群れだった。高さ180cmほどの苔に覆われた肉の柱が、ずりずりと音を立てて、身体中に生えた喉と舌から助けを呼ぶ声を上げながら、次々と廃墟の中から〈ハンマー〉のほうへ近づいてくるのである。


「こっちだ! こっち! 助けてくれ!」
「助けてくれ! 助けてくれ! こっちだ! 助けてくれ!」
「こっちだ! こっち! 殺される!」
「殺される! 助けてくれ! 殺される!」
「あああああ! こっちだ! こっち! 助けてくれ!」
「あああああ! あああああ! あああああ! 助けてくれえ! 助けてくれえ!」


 もはやどの声が〈人柱〉のものなのか〈ハンマー〉のものなのか、区別のつけようもなかった。触腕が〈ハンマー〉の全身に次々と絡みついていく。彼は両手でそれを振り払おうとするが、とても追いつかない。〈ハンマー〉は引きつった顔から悲鳴を上げた。その声も、全身に絡みついた触腕がその身体をゆっくり締め上げていくにつれ、段々とか細くなっていった。
 こうして、ここに新たな〈人柱〉の素がひとつ生まれた。これは三週間ほどかけて〈人柱〉へと成長する。成長過程の〈人柱〉の幼体は、人の赤子のような鳴き声を出すのだという。
 その場にただひとつ残されたのは、一本の古びたスレッジハンマーそれのみであった。



 ウイスキーの空き瓶に入れた琥珀色をした何かしらの揮発性の溶液を飲みながら、〈船長〉はろれつの回らない口で、ミュータント狩りに必要なのはまずは度胸なのであり、すなわちどんな化物が出てきてもびびってはならず、ふんどしを締めてかかればチビることもなく、要するに犬は犬だし、鶏は鶏なので、何がどのように見えてもそういうことなのだということを、お前たちは理解せねばならぬ、と手下達に言った。
 手下達は、わかりました、と答えた。
〈船長〉の右手はチェーンのついた鉤爪になっていた。彼はなぜこんな右手に自分でしたのかを覚えてはいない。〈洗浄〉の日、いつものように工場で働いていた彼は、頭の中にあの〈声〉が聞こえたと思ったら、自分で自分の右手を切り落としていたのだという。手が無いのも不自由なので、工場長に断りを入れてからもう使わないフックを譲り受け、そして彼は以来それを右手の代わりにしていた。
 ある手下が〈船長〉に、あそこにいる犬のように見える生き物は何か、と聞いた。
〈船長〉は、おおよくぞ聞いた、あれこそは〈蜘蛛犬〉であり、特にあれは〈蜘蛛チワワ〉と呼ばれる種類だ、と言った。〈船長〉は続けて、よく見ればわかると思うが普通の犬とは違いあれには脚が四対あり、目も複眼であるが、結局は犬は犬なので気に入れば連れて帰って飼っても構わない、とも言った。
 質問した手下は〈蜘蛛チワワ〉を蹴り殺した。彼は昔犬に噛まれたことがあり、すなわち犬は嫌いだったのだ。
〈船長〉は、これこそが〈ミュータント狩り〉の醍醐味である、と言った。
 別の手下が〈船長〉に、ではあそこにいるライオンのように見える生き物は何か、と聞いた。
 返事は帰って来なかった。〈船長〉の姿は辺りには見当たらなかった。
〈船長〉は知っていた。あれこそは〈蜘蛛猛獣〉であり、特にあれは〈蜘蛛ライオン〉と呼ばれる種族であって、結局ところそれは四対の脚と複眼の目を持ったライオンでしかないので、視界に入ったならば即座に逃げ出すべきであるということを。そして彼は今セオリーに従って必死に走り、登り、要するに脇目も振らずに一人でその場から逃げていた。
〈船長〉の手下達はあっという間に〈蜘蛛ライオン〉の餌食となった。棒きれや鈍い包丁で健気にも抵抗するものもいたが、〈蜘蛛ライオン〉の周囲全てを見渡すその複眼と驚異的な旋回力を誇る四対の脚の前には死角など存在せず、無残にも手足を食いちぎられ、または腹を引き裂かれて死んでいった。
 しばらくののち、辺りに生きているものが居なくなったころ、血と臓物にまみれた〈蜘蛛ライオン〉は、ひとつ大きな吠え声を上げた。
 汗まみれになった〈船長〉は、彼の部下が蹂躙されるこの一部始終を少し離れた廃ビルの二階から、双眼鏡を使って、血走った目と緊張の汗とこわばった笑みと共に眺めていた。おお、これもまた〈ミュータント狩り〉の醍醐味である……。彼は自分の最後の部下が死んだのを見届けてから、そう呟いた。満足した〈蜘蛛ライオン〉がどこかへ消えていったことを確認すると、彼もまた興奮とともに、震える足取りで静かにその場を立ち去った。



 エリック、〈蛙〉、そしてデミイシの三人は、〈蛙〉の導きに従い、〈墜落地点〉の中心部に向かっていた。〈蛙〉が言うには、〈墜落地点〉のまさに中心にある〈アームストロング号の墜落地点〉そのものにこそ、〈蛇〉がいるのだという。


「ようやく〈蛇〉の大将から連絡が来てなあ。こう、おれの頭にピピッとね。おいおい、そんな顔するなよ。心配ないって」


〈蛙〉はそう言っていた。
 実際のところ、デミイシの存在はエリックらにとっては中々の拾い物だった。彼はこれまでに三度狩りに参加したことがあるようで、〈墜落地点〉の危険については熟知しており、道中何度かエリックや〈蛙〉を危機から救っていた。


「そこ〈肉饅頭〉そこ陰〈人柱〉それ〈カスミソウ〉。しばらくおれの足跡オール安全。ゆっくりスローで、落ち着いてよろしく。K?」
「K」
「K」
「しかし、デミイシが居なかったらおれたち危なかったんじゃないか」


 エリックは〈蛙〉に言った。


「お前、ここがこんなに危ない場所だってわかってたのか」
「おや? 〈廃物街〉に住んでいるっていうのに〈墜落地点〉が危険な場所だって、そもそも〈先生〉ご存知ない? そりゃあ不思議だなあ、ハハハハハ。なんでだろうなあ」


〈蛙〉は奇妙な笑みと共にそう言い返した。


「それは……」
「静かに」


 デミイシは振り返ると小さい声で二人に言った。
 彼らの行先には三人の男がおり、その足元には〈蜘蛛ライオン〉の死体があった。男達はそれぞれ手に巨大な釘抜きを持っており、その先端はいずれも血に塗れていた。


「〈先生〉〈蛙〉静かに。静かに。気づかれないように。〈狩人〉同士は狩場内非接触それ原則、K?」
「K」
「K」


 彼らは三人組の注意を惹かないよう、静かに移動を開始した。〈肉饅頭〉や〈木の芽〉を避けつつ、角を曲がろうとする。だがしかし、三人組のうちの一人がこちらの存在に気づくと、彼らはエリックらの方に駆け寄ってきた。その弾けるような笑顔だけを見れば非常に友好的には見えたが、みな武器を威嚇的に振り回していることが強烈な違和感を醸し出していた。
 彼らの腰にはミュータントの首だけでなく、他の〈狩人〉の首もぶら下がっていた。彼らは血に酔った殺人鬼であった。
 交戦が始まった。まず最後尾にいた〈蛙〉が狙われた。不意打ちの釘抜きが〈蛙〉の脳天に突き刺さり、彼は昏倒した。


「デミイシ!」
「Kだよ〈先生〉KKKまかせてまかせて〈先生〉まかしといてオールK」


 そう言うとデミイシは両手に山刀を持ちエリックの前に立ちはだかった。〈蛙〉の頭から引き抜かれた釘抜きの一撃を山刀で受け止めると、持ち主の腹に横蹴りを入れる。バランスを崩した男は〈肉饅頭〉のうえに尻もちをついてしまい、甲高い悲鳴を上げてから死んだ。


「ははははは狩場での人殺し厳禁厳禁絶対厳禁お前ら厳罰絶対確実ははははは。運は我にありお前らここで死ぬ間違いなく


 そう叫ぶとデミイシは猛烈な勢いで残った二人に切りかかった。デミイシは彼らに体格で勝っており、そのリーチの長い斬撃は男二人に攻め入る隙を与えなかった。


「痛え」


 脳天から血を流しながらそう言って〈蛙〉は起き上がった。


ハハハハハ。痛え、こりゃ痛え、許せねえ、ハハハハハ。死にはしないんだが腹立つもんは腹立つんだよなあ、どうしてもなあ。ハハハハハ、ハハハハハ


 エリックは〈蛙〉を見てギョッとした。〈蛙〉は両手に〈肉饅頭〉を持っていたのだ。〈蛙〉はエリックの方を向いてひとつウィンクをすると、両手から煙を上げながら奇声と共に乱戦に飛び込んでいった。



 戦闘は終わった。デミイシはいくつか釘抜きによる刺し傷を負っており、〈蛙〉の両手はドロドロに溶けていたが、それを除けば被害は無かった。三人組はみな死んだ。デミイシは〈人柱〉が増えないよう、その死体を山刀で切り刻んでから、地中に埋めた。
〈墜落地点〉の中心である、アームストロング号の残骸はすぐそこに見えていた。


<つづく>

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