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〈蛇の星〉-4

〈蛇の星〉-3

-4-

「船長。いや今は〈先生〉でしたかね。まあ、私は船長と呼ばせて貰いますよ。私にとってあなたは、いつまで経っても船長なんですから」


 エリックは後ろ手に縛られた状態で、〈宇宙カルト〉本部にあるルークの私室に立っていた。
 部屋の片隅にはビニールパイプに貫かれたままの〈蛙〉の死体があった。エリックは極力そちらの方を見ないようにしていたが、どうしても意識せざるを得なかった。
〈宇宙カルト〉の本部は、かつて多くの住人が暮らしていた超高層タワーマンションを改修して作られていた。壁面にはプロパガンダの書かれた無数の垂れ幕が、屋上にはたくさんのパラボラアンテナがデタラメに立ち並び(それらの多くは機能していなかったが)、宇宙から届く各種の電波を余すことなく捉えては、無意味なデータを絶え間なく吐き出していた。
 本部の中でも上層階にあるルークの私室はチリひとつ落ちておらず、調度品は白とガラスの清潔で無機質な家具で統一されており、なんらかの換気機構のせいか、部屋の空気は〈廃物街〉の悪臭からは完全に隔離されていた。


「ええ。ご想像の通り、私は〈教団〉の中ではなかなかの地位にありますよ。お陰様でね」


 部屋を見渡すエリックの様子を察して、ルークはそう言った。


「単なる終末主義者の烏合の衆だった〈教団〉に、今のドグマを与えたのは私です。よそでは〈宇宙カルト〉なんて呼ばれているようですね? ははは、見事なネーミングですよね。〈宇宙カルト〉。いいですね」


 ルークは革張りのソファに腰掛けると、話を続けた。


「どうぞ。船長も座ってください。お気遣いなく。それにしても、本当に久しぶりですねえ」
「ああ」
「何年ぶりでしょうか。はは、二年ぶりですね、あれ以来ですから。あれからどうしてたんですか。私達を宇宙で見捨ててから」
「……ルーク、おれは本当に」
「謝罪なんていらないんですよ。私は聞いているんです。あれから。どうしてたんですか。何をしてたんです?」
「……人を救っていた」
「どうやって?」
「〈アンテナびと〉だ」


 それを聞いたルークはしばらく真剣な顔を作っていたが、やがて耐えきれずにぷっと吹き出した。


ははははは。あんなの、ただのロボトミー手術でしょうよ。何を言ってるんです。救い? ははははは。いいですか、あなたのやっているのは、世界に置いて行かれてしまった人々の目を、一つ一つ潰してやっているだけのことなんですよ、ははははは
「……」
「あなた、まだ足りないんですか? 世界中の人間を白痴にしておいて、漏れた人間を見つけたら脳みそを削ってまで無理やりそうしてやって、ははははは、ひどい人間ですよ、あなたはね、本当に」
「……おれは、彼らに幸せを……」
ははははは


 ルークはしばらく笑っていた。


「はあ。ああ、あなたと逃げたジョーイはどうしてるんです。元気にしてますか」
「〈アンテナびと〉になった」
「ああ! 違う! なったんじゃない、あなたが〈アンテナびと〉にしたんですよう! あなたがね。そこを間違えてはいけないですよ、船長」
「なあルーク、一体どういう……」
「どういうつもりって、そんな聞き方はないでしょう。昔の職場仲間に会えたんです、こうして交流を深め合うのもいいじゃないですか、ねえ、船長」


 ルークはそう言うと立ち上がり、窓際へ歩いていった。


「あの日は、本当に世界が変わると思っていたんですよ。私達の手で変えるのだと。変えられるのだと。いや、実際に変わったんですが、こんな風にではなくね。人類の新たな局面……他星系文明との交流、それが初めてなされるのだと」
「……」
「まあ、私達が騙されていたのは仕方が無かったです。天文台に届いていたメッセージも、観測できた信号も、全てが嘘。銀河レベルで見れば赤子同然だった人類には、気づくことが出来ようもなかったですしね」


 ルークは振り向くと、話を続けた。


「どうでしょうか船長、あなたの考えを聞きたい。素直に答えてください。あの時遭遇した〈彼ら〉、〈彼ら〉は果たして正気だったのでしょうか」
「どういう意味だ」
「私はあれから、〈人道的〉な彼らに地球に戻されてから、ずっと考えてきました。〈彼ら〉は〈蛇〉に敵対している。〈蛇〉は私達の頭に巣食っている。私達は、私達の基準で正気です。頭に〈蛇〉の精神を飼っている私達は、その状態こそが〈正常〉であると、〈健康〉であると、これまでずっと信じてきたんです。それを彼らは否定した。銀河を支配している彼らは、私達の〈正常〉を〈洗浄〉によって否定したんです。そして生まれたものは何か。この混沌と衰退です」


 ルークはじっと下界の〈廃物街〉を見つめていた。


「あまり考えたくないことですが、宇宙は狂気によって支配されているのかもしれません。私達の社会こそが、〈蛇〉の精神によって築かれたあの秩序こそが、宇宙全体から見れば異常だったのかもしれません。だがしかし、私はそれを信じたくない。信じられない。私は、あのかつて存在した秩序こそが、唯一絶対の真理なのだと信じているのです」
「それは何よりだなあ」


 そう言ったのは全身をビニールパイプ槍で貫かれたままの〈蛙〉だった。驚くエリックに対して、ルークは言った。


「船長、この〈蛙〉って奴はですねえ、不思議なことに、何をどうしても死なないんですよ。腹ただしいことこの上ない。こんなデタラメな存在、居ていいわけがないんです。これも狂気の宇宙の産物ですよ」


 ルークは〈蛙〉の腹に刺さったままのビニールパイプ槍を足で蹴ると、言葉を続けた。


「〈蛇〉。確かに〈蛇〉は私達に秩序と理性を与えた。だがしかし、もはやそれを知った私達には、〈蛇〉はもう必要無いんです。人類には、宇宙の狂気から解き放たれるべき時が来ているのです。この宇宙から、〈蛇〉を、〈彼ら〉を駆逐し、そして秩序の領域を押し広げる。それが、私達〈教団〉の教義です」


 ルークはエリックに向き直り言った。


「船長。エリック船長。私はあなたを許しましょう。〈彼ら〉の元に私達を置き去りにして、ジョーイと二人で地球へ逃げたあなたのことを許しましょう。船長。また私と、一緒に仕事をしませんか。〈教団〉に、入りませんか。きっとあなたのことなら、皆歓迎してくれるはずです。私が説得します。あなたこそが〈教団〉に必要なのです」


 エリックは彼の言葉に答えられなかった。恐ろしかった。ルークを恐れていた。ルークへの返答を恐れていた。だから彼は逃げ出した。背を向けると走り出し、ドアを開け、一目散に階段を駆け下りていった。
 残されたルークは、一人呟いた。


「そう。そしてあなたは逃げる。またしても。そして私は、あなたにそうされるとわかっていた」

<つづく>

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