怒りの違いは人間味

絶対的7%(旧コンビ)時代、営業でいかせてもらったイベントでの漫才を見知らぬ誰かにYouTubeにアップされたことがあった。ある日後輩が教えてくれた。
”売れている”の38万段階下にいた自分たちの動画をあげてももちろん再生なんてされておらず、「何のためやねん!」とまずは思った。
次に「まぁでも自分の見聞きしたものを思い出用ににあげてる人もおるかぁ。宣伝にもなるしいい思い出になってくれたならよかったかぁ。」となった。
そしてそこから「ちゃうやんちゃうやん。違法アップロードになるんか。これ。」となった。
この順番が後輩からしたら可笑しかったらしく
「普通は一番に”違法アップロードやんけ!”でしょ!腹立つでしょ!」
なんて笑われたが僕自身はそこにそこまでのひっかかりがなかったのだ。

この原因として
自分みたいなもんがその対象になるとは思ってなくて面食らった
とかもあるが、その後輩とそのあとも話していった中でもっと根柢の話として”違法アップロード”に対しての怒りのベクトルの違いを感じた。

そもそもマンガ村から雑魚芸人のネタ動画にいたるまで、規模感に関わらず違法アップロードがよくない行為だというのは大前提。異論は認めない。(ほんまに認められへん時に言うん珍しいね)
ただこれに対する怒りというのは2つの側面がある気がしていて
”クリエイターの利益、作品性が侵害されている!”
という側面(以下:ク利益)と
”ズルして人のモンで稼いでるヤツおる!”
という側面(以下:ズルモン)である。
この二つの比率の違いが後輩との感覚のズレにつながっていたようだ。
後輩は

ク利益:ズルモン=9:1

くらいの感じで

僕は

ク利益:ズルモン=3:7

くらいの感じ。
後輩的にはズルモンに対して「そう言われれば…ぐらいでマジでそこ普段意識してないっすわ!」らしい。
一方僕は「人のモン盗んで金稼いで俺より良い飯食うてるやつがこの世のどっかにおるん許されへん!!!!」が大部分を占める。マインドが売れてなさすぎるか?

だから僕は何の儲けも生んでいない今回の違法アップロードに対しては反応が遅れたのだろう。
似たようなケースで言うと転売ヤーに対してもそうだ。
「買いたい人が買えないじゃないか!」
よりも
「ふざけた稼ぎ方しやがって!」
が僕の中では強い。
違法行為以外でいってもこの感覚が影響してくるところもある。
違法アップロードや転売ヤーほど「許せない!」ではないが「あんま好きちゃうなぁ」なものに

○○(漫画作品)に学ぶ人生論

みたいな出版物がある。
さすがに公式に許可とかは取ってるであろうから責める気持ちはないのだが、なんか好きになれない。
人の創ったものから名言抽出してまとめてるだけの人が編集者に「先生!今回もお疲れ様でした!」なんて言われて焼肉屋で打ち上がってるかと思うとゾッとする。
でもこれも一概に全部がダメというわけでもなくて。
独自の解釈であったり、現実世界への置き換えがあれば全然いいのだ。
例を出すと

こういうルフィの人柄に世の人々は惹きつけられるのです。→◎
”作品”がなぜ魅力的なのか やからOK

こういうルフィの人柄のもとに、仲間が集まるのです。→×
それは”ストーリー”ですやん。なぞってるだけやん。NG。

同じように

このカイジの名言は現実でも活きる学びがあります。→◎

タイトル「カイジに学ぶ逆転できる人の特徴」→×

なんとなく伝わったかな?


やってみてあらためて自分が事象のどこに嫌悪感や怒りを感じているか説明するのは難しい。でも取り違えられても困るし。
今回の件で初めて言語化したがこの感覚の差は意外と大事で、同じ事象に対してもどこに嫌悪感・怒りを覚えたか。これは人間の根っこに近いものだったりするのではなかろうか。”嫌い”は相手を知る重要なファクターだ。
純粋に相手のことをもっと知りたい。だから僕は聞く。

「嫌いな芸人とかおるー😊??」



意地悪とか性格悪いとかではなく。








いやマジでマジで。

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