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大人が目を奪われるだけのことはある

目を奪われがちな大人が多いが、目を奪われるだけのことはある

最近、SNSをしていてそんなことを思う。
顕著なのがTwitterのフォロワーのようなSNSで自分と繋がっている人たちについてですね。
フォロワー数の増減を気にしてみたり、仲良くしていたのにフォローが外されていて気にしてみたりする毎日です。
Twitter管理アプリなんてものも出て来て、前回の可視化の話でしたように全部見えてしまっていて、利用者は尚更敏感になってきています。
便利になって嬉しい反面、悲しい世の中です。

僕はあまり数の増減は気にしないのですが、信頼していた人からこっそり外されてたりするのに気がついた時なんかは流石に少しは凹んでしまいます。
僕何かしたのかなとかね。それなりに気にしますね。何だよ、結局気になってるじゃないのよ。なるほど、大人が目を奪われるだけのことはあるねえ。さすがのSNSだ。

見えているものの中から何を信じるべきか
自分で取捨選択しないと疲れてしまう

少し前にカツセマサヒコさん(@katsuse_m)がこんなツイートをされているのを見かけました。

本音だと思って信じたものが建前だったり、冗談かと思って聞き流したものこそ本心だったりした。まごころに包まれてたつもりが下心に抱かれていて、真摯に受け止め応えようとした言葉は社交辞令にすぎなかった。すれ違ってたんじゃなくて一方通行なだけだった。でも信じてたかった。そんなことがある。

本当にその通りだなと思います。
特に可視化が進んだネットの世界は尚更ね。
オイオイ、ぺらっぺらの嘘、建前が透けて見えちゃってるぞ。
折角、よしなに出来るだけの関係を築けるのに、中途半端にしちゃうくらいなら、最初から自分に好意なんて向けてこなけりゃいいじゃない。
よしなにって言葉の意味分かってるのかな。
なんて思ってみたりする時もありますよね。
こっそり外すならブロ解してからにしてくれよ。なんてツイートをしてる人を見かけることもしばしばありますね。
全く世渡りってぇのは上手くいかないねぇ。
なんて今日も静かに心を傷めてみたりする。

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