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【完結版】青空の下で奴から離れ君に会う日は来るか?

※この記事は逆噴射小説大賞2023年に応募した小説作品の、800字より先を書いた掌編です。
 猫も人間も平穏無事ではありません。

 晴れ渡った青空は俺にとってこんなにも呪わしい。しかし、お前が死ぬ日が来るならこんな風にあたたかで気持ちの良い日であって欲しい。そう思いながらまた俺は死ぬ。これも、もう昔の記憶だ。

 六度目の俺は猫であった。名前はクロである。由来はもちろん黒猫だからだ。名前はあっても誰かに飼われている猫ではない。そのへんの爺婆じじばばや子供に適当なエサをもらって生きている。俺はもはや猫であるので、人間のようにたっぷり考えることはできない。しかし俺の魂というものが、猫の体の野生にそぐわぬ奇妙な突き動かし方を命令する。雌猫の尻を追いかけるよりも先に、餌をたらふく食うより先に、大事なものがあると言い聞かせている。

「クロは毎日誰かを探しているように歩き回るねえ」
 その通りだ。俺は誰かに会いたくて、会いたくてならない。誰だったかもわからなくなったくせに、会えばきっとわかると信じている。俺はとんでもなく未練がましく生まれ変わり続けている。五度目の俺が果たしてなんの生物だったのかなんてすぐ忘れたくせに、死ぬ前に誰かのことを考えたのは覚えている。

「やっぱり飼い猫だったのかい、クロ。大人しいものね」
 俺はずっと野良生まれ、半野良暮らしの猫だった。猫の小さな頭で覚えている限り、そうだったはずだ。
「なんとか私の飼い猫にできないもんか……」

 さっきからうるさい女がずっと俺に話しかけている。知った匂いと声であるが、特段好きでも嫌いでもない。女は幸せそうによく笑う性格だったから、俺の探している相手ではない。俺の知っているあいつはちっとも幸せそうな顔をしなかった。だから違うんだ。

「クロ。私の猫にならないぐらいなら、私にクロから取り上げられるもの全部ちょうだいよ」

 ある日の昼に気がつけば、俺は死にかけている。切れた耳からあたたかい汁がぼたぼた流れ出る。なんて女だ。ご老体の猫を殺そうとするなんて。

「どうしてもっと早く会えなかったのかなあ。そうしたら、クロをたんまり甘やかして、他はなんにもいらないって猫にできたのにねえ。今からでも、私以外はなんにもいらないって言ってくれればいいのにねえ。でも猫が喋るなんて期待しちゃいないし、だから命ぐらい、私にくれてもいいじゃないか」

 勝手な女だ。呪われてしまえ。呪わしく死んで生まれてを繰り返す俺に、呪われて不幸になれ! そんなことを考えたって、ぼろぼろの年老い猫より何倍も大きな人間に、まともに逆らうことなんてできない。

「いでで、野良猫に引っかかれると病気になって最悪死ぬんだっけ?」
 いいことを聞いたではないか。俺は更なる報復を重ねてやろうと暴れるが、首根っこ掴まれて地べたに押さえつけられる。
「クロぉ、どちらにせよ私は不幸にも近いうち死ぬ予定でいるんだよ。お前よりいくら大きくたって……」

 猫の知ったことではない。首が、息が苦しい。もうだめだ……。

 七度目の俺は猫である。凍えた木立の陰に置き去りの箱の中、横たわっている。空は晴れていたが、枝葉は霜をまとっているらしい。きらきらと輝くはずの頭上がよく見えない。俺は目が開くようにはなったが、あまり見えてはいない。においも空気が冷たすぎてわからない。毛皮と箱が擦れてかさかさ鳴る音も、よくわからない。

 影が差したと思ったら、人間の女の手のひらが小さな俺の体を抱えた。優しいことだ。けれど、きっと俺は助からないだろう。俺は死期が近づくときだけやたらと頭が回るのだ。短い時間でたっぷり物思いに耽ることができるが、その前後にはろくでもない出来事ばかり起こる。そんな経験を何度もしてきたから、すぐ助かるか助からないかわかるようになってしまった。

 今、俺の体がその温かさを奪っている手のひらの主が、探しているお前であって欲しかった。すぐに(間違えた)と思い直した。やっと再開したばかりのお前とこんな風に別れて、そして助けられなかったからって泣かれたくない。女は泣いている……。

 猫、猫、猫。俺ときたらいつまで経っても猫。いつになったら猫ではなくなって、お前と同じぐらいの背丈と目線で会うことができる? いつになったらあの暗い深い何もない穴ぼこに、放られないような強い体になれる?

「猫だって人間だって、いつまで経ってもヤツからは逃げられないのだよねえ、怖いよねえ」

 誰かが俺に柔らかく話しかけていたが、どうでもよくなっていた。体がだるくなってくると、他の全てはどうでもよくなる。そのくせ暗い場所が俺に近づいてくるのが、はっきりわかるのが恐ろしい。俺は呪われているのだ。怖い。せめてお前には、こんな風に呪わしい思いをしてほしくない。どうして俺はお前といつまでも一緒にいられないのだ?

「みんな生物だからね、終わりから逃げられるなんて期待しちゃいけない」

 そんなことを言うな。やっぱりひどい奴だ。おれの探していた人間はそんなこと言ったりしないのだ。俺は懸命に、けれどきっと相手にとってはひどく弱々しい力で頭を擦りつけた。
「それでもおまえがあんまり怖くないように、ここにいてやるからね。ノワ」

 人間の女が勝手につけた名前で俺を呼ぶ。俺の体を撫でている。俺は……。

 九度目の俺は猫であった。八度目の俺のことは忘れた。どうせまた生まれてすぐ死んだのだろう。
「にゃあ」

 ここで急に覚えていないことをさも覚えていたように語ってみるが、俺は一度目の生から猫であった。最初に俺を飼った人間の女をずっと考えて考えて、考え続けたせいで、どこかの時点で自分がかつて人間であったかのように思い違いをしたのだろう。

 なぜ覚えてもいないことをこうも鮮明に思い返せるかと言うと、まさに俺は死にかけていて、そこで俺に十度目の生はないと知ったからだ。九度も猫生を送っていれば、わからぬはずのこともわかるようになるようだ。

「最初は出来ていたことが、気がついたらできなくなっていたのはつらいことだね。けれども、できなくなったことがいつの間にかもう一度できるようになったりもするのだね。例えば、猫を撫でるとかね」

 日の当たる縁側で、シワだらけの手が軽く俺の頭を撫でている。俺は彼女の膝に乗り、動かずにいる。

「私は猫を死なせたことがあるんだよ。最後までちゃんと世話することもできない情けない人間だったことがある。そんな私がねえ、人生ってのは不思議だよねえ……猫にわかるはずもないか」

 女が笑う。俺の探した女ではない誰かが……。

 それとも探していたのはお前だったのか? ふと思いついたが、それもわからない。わかっていてもわからなくても、今の俺には誰かがそばにいた。最初の俺と同じように。それは悪い感触ではなかった。

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