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2022.01.15 【レジェンド語り第06弾:城島健司語り】台本

出演>ジャンコさん、zabo

番宣
Radiotalk:<野球トーク>ミドル巨人くん ハッシュダグ企画

#ニセキュウジエン02  開催中です!

テーマは【理想の四番打者像とモデルプレイヤー】

<レギュレーション>

昨年10月に続き、二度目の #Radiotalk のハッシュタグ企画 #ニセキュウジエン 募集です!
何卒、ご参加をご検討願いたく思いますm(__)m

#Radiotalk  歴もうすぐ4年目のベテラン底辺トーカーのzaboがお満を辞して届けする、ハッシュタグ企画なります。何卒。

#ニセキュウジエン02  のお題です。
【理想の四番打者像とモデルプレイヤー】
です♪
配信くださる方は、
・ #ニセキュウジエン02 と概要欄にご記入ください。
・ ご返答は収録配信で、30秒以上3分以内のサイズでお願いいたします。
・ 締め切りは1/23日曜日の23:59です。
・ 賞品などは一切ございません。

皆さまの善意のみがたよりです!
何卒、よろしいお願いいたします。  m(__)m

【本編】


レジェンド語りシリーズは

・第一弾【王貞治】 トークゲスト:ストーンコールド

・第二弾【野茂英雄】 トークゲスト:まつきち

・第三弾【田淵幸一】 トークゲスト:MAX

・第四弾【荒木大輔】 トークゲスト:けんけん

・第五弾【高橋慶彦】 トークゲスト:バオバブ

に続く第六弾【城島健司】 ゲストはジャンコさんです。

ジャンコさんは、2021.03.20 【パリーグだよ!全員集合】以来二度目のご出演ではありますが、ボクがたまーーにやる、スペースにたまーに遊びに来てくれます。

また、今回の特集:城島健司とジャンコさん、そしてボクは昭和51年の生まれです。

ほか、有名プロ野球選手は、相川亮二・赤星憲広・新井貴浩・サブロー・小関竜也・金村暁・金城龍彦・里崎智也・篠原貴行・多村仁・二岡智宏・橋本将・福原忍・藤井彰人・英智・マイケル中村・渡辺俊介 など

また、ぼくら界隈では、還ってきた鍼灸師・ワイルドカープことセブン・もとお・ピョン・ホークス@北九州らがそうです。


Q:まず、ジャンコさんにとっての城島健司とは?

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でわ、城島健司を掘り下げてまいりましょう。

城島健司/1976年6月5日生まれで現45歳/右投げ右打ち/182cm89kg/捕手・一塁手/現役:ダイエー1994入団➡シアトル2006海外移籍➡阪神2010移籍2012 代表歴:2004年アテネ五輪代表で銅メダル 2009年WBCで金メダル

<日米通算 18年 1785試合出場 1837安打 292本塁打>

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<プレースタイル>

強肩強打の捕手。そのバカ肩は座りながらの一塁・二塁への牽制球は度肝を抜きました。これは、肩を痛める要因になるようで2005年。座り送球で肩を痛め封印。2007年バランスの取れた投げ方を指導され、メジャーでも強肩を披露。阪神時代の2010年に座り送球解禁。【ジョーバズーカ】と恐れられます。

リードは大胆で不敵。強気のリードが売りでしたが、MLBでは投手陣から不評を買った。

打撃は長距離砲。内角低めの球が得意。完全なボール球でもすくい上げて、スタンドインさせるパワーがありました。

走塁は鈍足。

趣味は釣り。自分がメインの釣り番組も多数。さらに、釣り人としての釣果も芳しく、その評価も高い。

2000年、タレントの大藤真紀と結婚。1997年TVQ九州放送「タカハチ組」で出会い、その結婚発表記者会見は福岡放送「めんたいワイド」で生放送した。


【その歴史を紐解きます】


・1980年4歳時、王貞治選手の引退試合で挨拶をしているVTRを見て、プロ野球選手に憧れる。

・1990年中学三年時、プロOB野球教室で王さんに出会い、褒められる。

・1991年、別府大付属高校野球部入部。強肩を買われ捕手に。「自分は捕手をやるために生まれた。それが宿命」と考えるようになり、「これまでにない、打って守って走れる捕手」を目指す決意を固めた。

高校では1年から4番。高校通算本塁打は70。甲子園出場は無し。

高校卒業後は駒澤大学入学予定だったが、プロ入りが本位であると読んだダイエーの根本陸夫代表取締役専務が1994年、ドラフトで強行氏名。コミッショナー事務局から警告を受けるも、憧れの王貞治が次期監督ということもあり、一転、ダイエーホークスに入団。

この件をきっかけに、プロ入り拒否選手はドラフト会議で指名できないルールを定めた。

1994年ダイエードラフト ①城島 ②斎藤貢 ③本間 満 ④藤井 将雄

・1995年・・・打撃は非凡なモノを発揮するも、ワンバン捕球が苦手。達川、森、野村など名だたる名捕手から「キャッチャーに向いていない」とされ、周囲も捕手にこだわらなくても・・・と声も上がった。一軍でも一塁手として出場もあった。1年目は開幕二軍スタートも5月31日対オリックス戦、代打として一軍初出場。7月9日対千葉ロッテ戦、エリック・ヒルマンからプロ初安打。7月14日vsオリックス戦、捕手として初スタメン。

・1996年・・・二軍で英才教育。8月24日ウェスタン記録25本塁打達成。9月3日からほぼ全試合スタメン出場。9月10日近鉄・久保康生からプロ1号本塁打。同年オフ、吉武慎太郎とともに、ハワイ・ウィンターリーグに派遣。

・1997年・・・開幕から一軍。史上最年少21歳45日でオールスターファン投票捕手部門一位。この年、打率.308。15本塁打。

工藤・武田一浩の左右両エース、若菜コーチ、ベテラン捕手・田村からのアドバイスで捕手として大きく成長。不動の正捕手となる。工藤の公開説教などもこの年。

・1998年・・・打撃を徹底マークされ打率を.251まで落とすも、チームは初のAクラス入り。

・1999年・・・4月30日、球団社長・根本陸夫死去。日本一を誓う。

全試合出場、打率.306 17本塁打 工藤との最優秀バッテリー賞受賞。工藤はシーズン終了後FAで巨人へ。

・2000年・・・試合途中で右手骨折。試合出場は84試合にとどまったが、リーグ2連覇。日本シリーズではシリーズ記録4本塁打も日本一を逃す。

ミレニアムON日本シリーズでした。

・2001年・・・4月13日対オリックス戦。1イニング2本塁打。6回にも1本で一試合3本塁打。この年、打率.258も初の30本越えの31本塁打⑨。

この年小久保44本⑦、松中36本⑥、井口30本⑫。30本塁打が4人はパリーグ初。それが全員日本人はNPB初。

・2002年・・・打球を鎖骨に受け骨折も、本塁打25本⑫打率.293。

・2003年・・・「子供たちに夢を与えるスーパーキャッチャーになりたい」と公言。打率.330⑥ 34本塁打③ 119打点②

この年、松中、井口、ペドロ・バルデスとともに100打点以上が4人はNPB史上初。3年ぶりのリーグ優勝。パリーグMVP獲得。捕手でのMVPは野村克也以来30年ぶり2度目。日本シリーズはvs阪神。井川・ムーアなど、シーズンでは苦手としていた左腕から本塁を放つなど、シリーズ4本塁打。

シーズン終了後、アテネオリンピック予選に出場。4番キャッチャー。

・2004年・・・6月1日1000本安打達成。出場939試合での達成は捕手では、いにしえの阪神・土井垣と並び最速。

夏、アテネオリンピックに参加。4番捕手で銅メダル獲得に貢献。

8月27日、アテネから帰国後タクシーで西武ドームに駆け付け代打出場もレフトフライ。このシーズン、NPB歴代捕手最高打率.338③

リーグ一位もプレーオフで西武に敗れる。

・2005年・・・6月4日、通算200号達成。7月中旬に右肩痛で、9月22日自打球でスネを骨折でケガに見舞われました。

オフにはアラン・ニーロを代理人に立てFA権行使。メジャー移籍

・2005年11月22日、マリナーズと契約

・2006年・・・開幕戦から7番捕手で先発。日本人捕手として初のMLB選手。この試合エンゼルス・コロンから第二打席で初安打初本塁打。

このシーズン、マリナーズ捕手最多となる18本塁打。打率.291。76打点 OPS.774 

・2007年・・・打率.287 14本塁打 61打点 OPS.755

守備率.998、盗塁阻止率.465と両リーグトップ。捕手防御率5.08 はリーグワースト2位。

・2008年・・・3年2400万ドル(約26億円)。高額で契約延長も、打撃不振とレギュラー捕手はく奪もあり、アリーグの逆MVPに選出された(ESPN・・・エンタメのメディアネットワーク) 

・2009年・・・WBCでスタメン出場 .333 1本塁打 4打点 1盗塁 4得点。優勝に貢献。

リーグ戦は正捕手スタートも4月肉離れでDL入り。5月左足親指骨折で2度目のDL入り。その間に若手捕手の台頭もあり、出場機会が激減。オフには残りの契約期間を破棄、NPB復帰を計る。

阪神、ソフトバンクが獲得に乗り出す。先に動いた阪神への入団を決意。

2009年11月13日、年棒4億+出来高で契約合意。

・2010年・・・3月26日、決勝タイムリー。ヒーローインタビューで「長崎県佐世保市から来ました城島です!」と挨拶。

このシーズン、ヤクルト・古田が1997年に記録した164安打を抜く、セリーグ捕手最多安打を更新する達成(165安打)。これにより、城嶋はセパともに両リーグの捕手最多安打記録保持者となる。

また、両リーグの捕手ゴールデングラブ賞受賞も初。

しかし、このシーズン左膝半月板負傷。11月に手術。

・2011年・・・左膝全治6ヶ月との診断もより早く復帰。しかし、膝の可動域が狭くなり、他の箇所にも異変が出て、守備・打撃とも不振。

8月16日に左膝クリーニング手術でシーズン出場不可に。

・2012年・・・内野手として出場も、坐骨神経痛や左ひざ裏肉離れ。

9月に二軍戦の復帰を果たすも、捕手に戻るのは絶望的とのことで、「捕手のまま現役を全うしたい」と考えた城島は引退を決意。1年の契約を破棄することになりました。10月18日、任意引退となる。

【引退後】

・しばらくは球界から身を引き、釣り関係の仕事をメインに活躍。

・2019年12月20日、ソフトバンクホークス会長付き特別アドバイザー就任。

【楽屋トーク】


・オンリー

・リクエストーーク をもらうこと


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