見出し画像

好きの追求と競争は相反しない - フォトコンに選ばれて安心した話 -

今回は自問自答です。
今年に入ってからフォトコンテストなどの入賞が続き、白目を剥いているこの頃です。私の2024年は2月で終わりかもしれません。
その1:

その2:

その3:・・・とまでは言えないものの、生放送での評価コメントから一応入れさせてもらいました。

コラージュ作り解らんと3時間位頑張ってた

すごく嬉しいです。
応募するからには「これが今の最大限…!!!」と渾身の一撃を繰り出していますし、他の素晴らしい入賞作品と同じ賞をもらえているのも光栄です。同時に、最優秀賞を取れないのは未熟さを覚えます。

そして、そうした一通りの感想を経て落ち着いてくると、
最後にやってくる感想は「安心した」でした。もちろん普段の投稿やこれまでに出した本に対するリアクションや感想はとても嬉しいですし、そこに返しきれていない自分が歯がゆいです。

そもそも私の場合、殆どの場合で被写体は東京・お台場と有明だけです。

そこの風景や街の変化を切り取ったり、歴史と照らして本にしたり記録として編纂しています。風景写真も民俗資料自体もありふれたジャンルですし、お台場が好きだからひたすら自分の好きなことをマイペースに掘り下げています。

そこで思ったのは、普段の活動が競争とほぼ無縁なことです。基本的には自分が設定した目的に向かって、好きなものを好きな形で切り取って表現しています。それが相手の心に響くならもっと嬉しい。
(もし仕事なら自分の想いよりも、顧客が求める要件を理解し最大限応えられるものを提出する必要がありますよね)

一方でフォトコンテストはその名の通り競争です。
自分が好きなようにやっていることを権威に選んでもらえることは、好きにやっていることが単なる独りよがりではないと背中を押してもらえたようで安心したのだと思います。
(独りよがりではないから普段からリアクションや感想を頂けている(=相手の心に届いている)のだとも考えています。)

また、普段撮影するものと同じものをもう一度撮る方法(つまり被写体の再現方法)は経験値や技術としてストックされていきますが、その土台となる撮り方や写真との向き合い方は割と自己流だからです。いわゆるセオリーや方法論としての向き合い方に安心感を得られたのだと思います。

そう自問自答していくと、好きなことを追求することと競争に参加することは、必ずしも反対の概念であったり相反することではなく、相互的なもので共に自分を補強することなのかもしれません。

そもそも写真ほど長く続いた趣味がなく、仕事以外で実績を出して賞を得る経験がないから、受け止め方に慣れていないんだなぁとも気付きました。

そんなことを三連休で考えていました。

ミラーレスを買ってから5年ですし、お台場に接してからもそろそろ5年です。そういう意味では一歩一歩やっている気がします。
入賞したからやり方が変わる訳ではなく、これからも初心を忘れずに進めて行きたいと思います。

「面白かった」「役に立った」など琴線に触れる部分があれば、スキなどのリアクションを頂けると次に書くモチベやテーマの参考になります。