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始めてみる

自分の人生は自分しか生きられません。
そして、他人の人生も歩むことはできません。

自分のすること、自分で決められてますか?


子供の頃に何かを選ぶ時、周りがどうではなくて自分がどうしたいかで選びなさいと良く言われたのですが、大人になってみると、なかなかこれが出来なくなってしまう事が多いと感じています。

よく聞きませんか?

「明日仕事だから」
「友達が、〜だから」
「嫁が、家族が、〜だから」

これら全て自分以外の要因です。

当たり前に本人が、やるかやらないか、行くか行かないか、を決めれば良いだけなのですが、大人の選択には何故か本人以外の要因が出てきます。

仕事も家族も、断り文句としての聞こえはいいですよね。責任感があるような印象を与えます。
ですがよく考えてみると、自分ができないことを周りのせいにしてるだけだとも思うのです。


大人なら、
自分のすることくらい、自分で決めたい。


いやいや仕事は責任が、と言うかもしれませんが、仮に明日から突然社員の1人が来なくなってもその会社は潰れないじゃないですか。
一時的に誰かがその穴埋めに苦労するくらいで、半年も経てば平常運転です。
残酷ですが、歯車は替えが利きます。

日々は常に選択の連続で、その小さな選択の積み重ねが未来となる訳です。

自分の選択の結果が、自分の望むものでなかったとしても、自分で決めて精一杯やれたなら、経験を糧に次に進めます。
自分で選ばなかった結果が、自分の望むものでなかったら、またそれを自分以外の要因の所為にして、経験も得られず、同じことをずーっと繰り返し停滞し続けるだけだと思います。

あなたはどちらが良いですか?

選択はもちろん自由です。
停滞し続けるのも、進み続けるのも自分の選択一つです。

もし停滞をしたくないのであれば
自分の意思で新たに何かを始めてみる。

失いたくないものが増えるほど変化は怖くなります。ですが、変化をしないことに進歩はあり得ないのも事実です。

そして、自分が変わろうと変わらなかろうと、世の中は束の間に大きく変わっていきます。

自分で選べず変化のない未来が望むものではなかったときに、それを自分以外の所為にし続ける人生では無く、自分として生きる一度きりの人生は、自ら変化を選び、周りの所為ではなく周りのお陰と感謝し合えるような人生を歩みたい。

これが冒頭の、

自分の人生を生きる

ことだと私は思っています。

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