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月の光が差す部屋で

「そろそろかな」

「そうかも」

「何かいうことある」

「今更」

「まあ、いいじゃん。どうせ最後なんだし」

「色々ありがと」

「こちらこそ」

「まあこんなこと言っても何もならないけど」

「いいじゃん。そんな悪くない人生だった」

「そうなの」

「少なくとも最後はね」

「そうなんだ」

「君は」

「平均値ぐらいなんじゃないの」

「うん」

「だけどここまで生きていられただけで、凄い運がいいんだろうね」

「確かに」

「キスしてよ」

「いきなり」

「最後なんだからいいでしょ」

「最後じゃなきゃいいのに」

「そうだね」

「最後なのかな」

「そうかも」

「本当にそう思う」

「分からない。もしかしたらあと十年、二十年生きたりして」

「そんなに生きたいの」

「一人なら別に。二人なら生きていたいかも」

「そうなんだ」

「少なくともすぐに死んでしまう必要はない」

「かもね」

「君はどうなの」

「どうだろ」

「僕と一緒じゃ」

「分からない」

「そうなんだ」

「もう一回キスして」

「うん」

 ……もう二十年以上前に見た光景である。当時小学生だった私はふとした拍子に夜中目を覚まし、寝ぼけ眼のままトイレに行く際に上記の会話が父と母の部屋でなされるのを聞いた。なんだかよく分からない気持ちになって、自分が何しに来たのかも忘れて部屋に戻ったのを覚えている。現在、両親は仲良く過ごしている。普段の父と母は明るく、冗談の絶やさない人たちで、あんな会話をするなんて想像にもできない人たちなのだ。

 あれは何だったのだろう?一番可能性が高いのは、「自分達以外世界には誰もいなくなったごっご」をしていたというものだ。しかしそうだとしたら、私の両親に対する認識というか、イメージ、態度を根本的に改めなくてはならないことになる。というより、何か嫌だ。

 記憶違い?それはない。私はあまり小さい頃のことを覚えている人間ではないが、この会話だけは夢だとか妄想でない、純然たる事実だったと断言できる。

 劇か何かの練習をしていた可能性もあるだろう。とは言え、二人が劇団に所属しているなんて話は聞いたことがない。前にさりげなく質問をしてみても、劇なんかに興味はないと言っていた。それも嘘かもしれないが。

 もしかして、父と母に似た何者かがしていた会話なのだろうか?いや、あれはどう見ても私の両親だった。もしあれがコピーなのだとしたら、私自身コピーであることを否定できなくなってしまう。恐ろしいことである。

 あるいは、こんなことかもしれない。いや、こんなのあり得もしない妄想だ。自分でも分かり切っている。だが、時には妄想が真実よりも価値があることもあるではないか?

 ……父と母はあの時本当に世界で二人きりだったのだ。その理由は何でもいい。隕石が衝突したり未知の病気の大流行で人類がほとんど死に絶えたのだろう、多分。二人もいつこの世を去るかどうかも分からない。絶望の中、淡々と二人は愛を語り合う。

 そんな折、突然、本当に突然、彼らは自分達二人しかいないことが「設定」であることを研究者に明かされる。彼らは、「もし地球上に二人の男女しかいなくなったらどのような行動をとるか」という実証実験に参加させられていたのだ。本人に実験の意識はないままに。

 実験が終了し、二人はこの世界で生きていくことを許された。二人はすぐに結婚した。小さい頃から知らず知らずのうちに実験されていた彼らは、お互いの他に寄り添う相手を持っていなかった。その後紆余曲折がありながらも、幸せに生活を送っていた二人は子供を授かることになる。それが私だ。

 父と母はすっかり我々の社会に馴れていたが、実験の影響をすべて拭い去ることはできなかった。その結果、無意識のうちに過去の体験がフラッシュバックするようになっていた。夜になると、本人たちも自覚のないまま、実験の最終局面、いつこの世界からいなくなってもおかしくない中で、二人で交わした最後の会話を繰り返すようになった。私が見ていたのは、両親の記憶であり、原体験であり、全てだったのだ……。

 あるいはこれも、実験だったりして。

 

 

 

 




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