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ゴジラの記憶♯27 ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS

ゴジラ-1.0のアカデミー賞視覚効果賞受賞、とりあえずお目でとうございます!いや~自分が生きているうちに、まさかゴジラがアカデミー賞獲るとはねぇ。いや、未来永劫、ゴジラ映画、怪獣映画とは無縁の世界と思っていた。やはり、ハリウッド版ゴジラ(エメリッヒ版とは違う)が地ならししてくれたのも大きかったのだろうか。あれで、映画を作る側も選ぶ側も、「僕はゴジラファンです」と言いやすくなったのかも知れない。

それに引き換え、この頃のゴジラは本当に、谷底時代であった。ゴジラシリーズ27作目、ミレニアムシリーズ5作目、機龍シリーズ2作目、そして劇場版ハム太郎との併映3作品目のこの映画、いや特撮部分は頑張っとるんですよ。それに、映画全体が「モスラ」(61年)の後日談になっている構成も悪くないし、クライマックスの”プロジェクトX”的展開も盛り上がったし。ただ、いかんせん、それを怪獣ファン以外の誰が観るの?と言う感じなのだ。実際、この映画でも盛り上がったのは一部の”大きなお友達”のみ。一般の映画ファンにとっては、「ゴジラ?まだやっていたの。」てなものだったに違いない。

これは別に、作り手の思いが薄いからという訳ではない。監督始め作り手側の多くは勿論ゴジラが好きだし、一生懸命作っているのもよく伝わってくる。また、映画会社の東宝も、ゴジラと言えば会社の金看板だし、映画にするとなれば客を入れないといけないことは分っている。だからこその”ハム太郎”の併映だったんだろう。でも、そのことごとくが、客の入らん方へ入らん方へと行っているのがこの頃のゴジラなのである。だから今この映画を怪獣ファン以外に薦めるときは、デビューして間もない長澤まさみが小美人の役で出とるよ、ぐらいしか言う事はないのだ。

元々、庵野監督は、ウルトラマンや仮面ライダー程の思い入れはゴジラになかったらしい。だからこその「シン・ゴジラ」だったような気がする。前半の高速台詞の政治劇やゴジラのあの姿はその賜物だったのだろう。また、山崎貴監督は、自他ともに認めるゴジラファンであるが、エンタメの作り手としての割り切りができる。言わば、「そこそこの経費でそれなりに面白い映画を作れて、しかも当たる」映画会社にとっては一番有難いタイプの監督なのかもしれない。実際「ゴジラ-1.0」は、ゴジラは決して主役ではなく、人間ドラマの一パーツとして見事に組み込まれていた。その辺が、海外であれほど受けた要因の一つでもあったし、「ゴジラが暴れるところだけ観れればいい。余計な人間ドラマは要らない」という批判の元にもなるのだが、これが商業映画であり、多くの人に観た貰わなければいけない物である以上、今回のアプローチは大正解だったと思うのである。

やはり、人付き合いと同様に、ゴジラをスクリーンで観続けるためにも、”適度な距離”というのは必要っちゅうことなのだろう。その”適度な距離”をグチャグチャにしてしまった問題作、「ゴジラ・ファイナル・ウォーズ」で一旦シリーズは幕を閉じるのだが、その話は次の機会で。


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