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親と子の

 2月に入り、私が学生身分で居られるのも僅か2ヶ月となった。バイトをしているか資格習得の為に勉強をするかそのような日々を過ごしている。
 このように時間を贅沢に使えるのはこれで最後なのだろう。4月からは社会人となって時間と仕事に追われる日々になるのだろうと思うと憂鬱になる。元々2月になると私は憂鬱になりやすい。カナダ留学行っていた時もBC州は冬季の気候はほとんど雨か曇りである為日照時間が格段に下がる。日本の気候は晴れの日が多いがやはり気持ちが下がりやすい。今日は天気予報でも暖かい日だと言われていたのでバイト先にほど近い商業施設の屋上で昼ごはんを済ませてnoteに自分の気持ちと向き合っている。

 私自身、人間関係の構築がかなり苦手であって両親とも深い部分で仲良く無い。

 幼少期を思い返すと多くの友達に囲まれていた。遊びの輪の中心人物であったと今振り返る。小学校4年生の時に家の事情で転校した時に私は残念ながらいじめの対象となってしまい2ヶ月ほど不登校になった末別の学校に転校した。その経験で学んだことは「すでに完成されたコミュニティの中に新しく入るということは新しい変化を嫌う人はそのことを良しとしない。」ことだ。よって私は人のことを簡単に信用しなくなった。(それ故に大学では友達を作るのに苦労してほぼほぼヨッ友という挨拶だけする関係性の人を量産してしまった)

 人と深く付き合うというのは、人の心の奥底の部分を曝け出すことであると私は思っている。そのようなことができる関係性は誰か?まずは親の存在が出るだろう。私は残念ながらそうではない。しんどい時には横にいない手遅れになってやっと気がつく故に助けを求められないし、両親の育て方というのが他の人と違う事を知って他の人ととの人格形成が歪んでいた事を専門の医療機関を通じて知った。そのことを言っても私の両親は分かってくれなかった。だから対話を諦めた。しかしながらもしかしたら話せばわかるかもしれないという一縷の希望や願いを持って対話しても何も分かってくれなかった。
 あの人がいつも人と比べるから私は人の目線が気になるようになった。それは今でもだ。目に見える資格などの肩書きに縋るようになった。その先に何もないのに自分の生きやすさを優先するより人の目を気にする生き方をしてしまっている。そんな自分自身が嫌だし、変えたいと思ってもそんなにすぐに変えられないから受け入れないといけないのかもなと思ってもいる。

 私たち若い世代が使う親ガチャや毒親という言葉が当てはまるかはわからない。おそらく当てはまる。でも、教育資本はしっかりしてくれた。その点だけは親ガチャは外れたとは思わないし、感謝したい。でも、この先60年近くこの生き辛さを背負って生きるということについてはハズレだ。

 私はあの人たちに自分らがやった教育の仕方が間違っていたことをわかってほしい、(暴力も含めて)認めてほしい。ただそれだけだ。そのことを何度も何度も伝えてるのに母親は一人っ子で兄弟いないから比べなきゃ成長できないという。貴方、頑張らないといい会社いけないからと言われた。(就職先については誰もが知っているような会社ではないが、自分で就職活動をしている中で見つけて本当に心の底から入りたいと思える会社の一員になれた。自分の意思で選んだからこそほぼほぼ後悔してない。)

 小さい頃に比較対象に出されていたK、彼とは同じインター出身で小学校低学年の時に英検2級を取得した。その後彼は都内で有名な進学校へ中学高校と通い、難関私大に入学した。
 私は小学校2.3年生の時に4回ぐらい英検2級にチャレンジした。それでも受からなかった。試験後に採点をしていた父の「なんでこんなのも解けないんだ」というイラついた言葉や母親のKは〜という言葉今でも思い出す。そこから中学入るまで英語をやめた。そして中学2年生にあれだけ時間がかかっていた英検2級を合格し、高校留学帰国後に準1級を合格して大学に入学をした。
 Kの人生と私の人生は違うものであるが、昨年彼とあった時に英語から離れて理系を専門としている彼の方が人生が充実しているように見えて悲しかった。(彼は留年確定したとケラケラ楽しそうに笑っていた。)私はGPAを高く取るために必死に勉強して単位を一つも落とさないでストレートで卒業できるように必死にやってきた。私は親にKを越せと焚き付けられて何年か後にそれを達成した。しかしKを越した先には何もなかった。ただただ虚無になってしまい、あれ以降彼と連絡を取ることもなくなってしまった。

 周りの人からも筆者君のご両親少しおっかない人だねと言われていた。内部進学するときに私は1年間留学に行ける学科を選択していた。その時に学科に入るための評定や英語要件があった。しかし、家の教育方針であるということで追加で評価シート(先生と親が私を採点し、その結果で進むかを決める)を担任の先生に渡した。学力面だけではなく生活面も悪く言えば監視されて、投資対象として価値あるかを見るためであると言っていたことを先生から卒業間際に話を聞いた。私は1人の人間以前に投資対象(モノ)として見られていたこと、他の家庭とは少し違和感を感じたこと、そのことを先生から話を聞いたが、残酷な事に私は自分の親が見せる世界しか知らなかった。他の家庭のことは知らなかったし、おそらく他の家庭はこうだと言っても他所は他所、うちはうち。と言われるか、気に入らないなら出ていけばいいじゃないと言っていたに違いない。

 大学生になって何人かの人と家族の話をするようになって、やはり自分の家は歪なんだなと。人とは違ったんだと。

 専門の医療機関を受診したあと何回か、小さい頃から苦しんでいた話を親にしても何もわかってくれなかった。自分が間違っていることや毒親であることを認めずにあれやこれと言う母親とあの時は必死だったと弁解する父。そして定期的に成人して春から社会人になる私に干渉しようとする。(恋愛や一人暮らし等)それらに対してどうすればいいのだろうと、私が負った小さい時からの傷や生き辛さをどうしようかと私は忙しい日々の中で考えてしまうのだ。

 親は私のことを大切にしてくれてたのかそのことが分からなかったが、事情を知ってる恋人は大切に思ってるけど独りよがりな思いやりで終わっているのではないかと言っていた。もしそうならば私は結婚した時に子供は要らない。その子供も私のように苦しんでほしくないから。私が親と同じことをしないようにしてもきっと無意識でやってしまうと思う。だって、親と血を分けているんだから。

おしまい

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