「多様性」がパワーワードになった経緯

「多様性」という言葉がパワーワードになって久しい。「多様性」という言葉を使えば、世の中のさまざまなことが正当化できるようになった。たとえば、「性の多様性」の名の下に伝統的なジェンダーは批判にさらされ、男も女性の格好をしていい、女も男性のような格好をすることが市民権を得ている。女性も仕事をしなければ、男性に搾取されていると考えられ、職場における「性の多様性」名詞に性別がある欧州の言語では、自己紹介の際に自分の所有形容詞を指定する動き(she/her, they/them)もある。企業での多様性については、女性を積極的に雇用することが推進され、多様性があれば、多様な意見を生かすことができ、経営上のメリットがあると宣伝されている。

そもそもこの「多様性」がパワーワードになった経緯はなんだろうか?

近代以前の社会

現代社会は多様性のある社会と考えている人もいるが、近代以前はより多様性に満ちていたこともある。たとえばオスマン帝国内にはイスラム教・キリスト教などさまざまな宗教・民族の人々が共生していたし、国は国民に対して1つの言語を話すことを強制することはなかった。この前近代の多様性が残っているバルカン半島では、民族多様性が政治的問題の火種となっている。

また、日本も近代国民国家に変容する以前はアイヌとは交易を行っており、武力衝突はあったが、同化政策は行われてはいなかった。国家規模での異民族の同化政策が始まったのは日本の近代化以降である。

画一性の浸透と国民国家の繁栄

国民国家が国家的な公教育を開始して、領土内の国民に1つの言語で教育を行っていることは近代社会が多様性を失ってしまったことの大きな要因だろう。近代国家の画一的統治は領域内の国民統合を促し、その国家は繁栄を迎えた。中国内でも多様な方言がある中国語は中華人民共和国成立以後、標準語である「普通話」の普及に務め国民統一を達成した。その後の中国の繁栄はよく知られたものだが、その裏には中国国内でどこでも言葉が通じるという社会状況を作り上げた国民の創出があったのだ。

日本がなぜ西欧の次に他のアジア・アフリカの国に先んじて近代的発展を遂げたのも、日本という国家が元来島国で長年鎖国政策をとっており、独自の宗教・言語を持つ民族で、近代化とともに国民統合がすぐに完了したからである。

近代における多様性の喪失は近代的統治の必然的結果であった。

「多様性」を突き進める力学

近代社会が非多様性であることへの反動として、近年「多様性」はもてはやされているのか。それとも単に人権意識の高まりなど人道的進歩なのであろうか。

フランス革命に代表される近代市民革命が「ブルジョワ革命」と呼ばれるように、近代社会の根底を支える自由や人権の思想は、単に観念的進歩だけではなく、裏には王権・貴族階級の没落と、資本家(ブルジョワジー)など市民階級の台頭という政治的・経済的力学があった。

同様に「多様性」の流行についても、その裏には政治的・経済的力学があるのだ。時代的なhアメリカでは1960年ー70年代ごろから多様性が叫ばれるようになり、日本では2000年代以降「多様性」の概念が欧米から浸透してきた。

欧米社会、特に米国から「多様性」の概念が浸透してきたのは、当然その社会の社会情勢を反映している。その社会情勢とは、
1:植民地支配・奴隷制の歴史の正当化
2:人口の再生産の失敗と移民輸入の必要性
である。

1:植民地支配・奴隷制の歴史の正当化


米国では60〜70年代頃、女性や有色人種などのマイノリティーの地位向上・差別撤廃を求める声が高まったのことを機に、多様性の概念が浸透してきた。

奴隷制によって連れてこられた人々の反乱

1950年代後半から奴隷としてアメリカに連れてこられたアフリカ系米国人による基本的な人権を要求する公民権運動が活発になった。その結果1964年に公民権法が成立、さらに翌65年に選挙権法が制定され、人種間での選挙権の平等などが実現した。

それと同時にマルコムXなどに代表されるように、黒人のアメリカでの独立を目指す運動もあった。マルコムXらを指導者とするブラック=ムスリム(ネイション・オブ・イスラム)の運動がそれである。黒人自立分離運動を展開したこの運動は、白人社会への融合を目指したキング牧師らによる公民権運動と似てはいるが、キング牧師が白人社会との融和を目指したのに対し、マルコムXは独立国家を目指したのだ。白人・キリスト教が主要な社会的勢力であったアメリカからすると黒人・イスラム教の社会運動は悪夢のようなものだ。マルコムX・キング牧師両者が暗殺されてからも、黒人ゲットーを中心に自警団を設立し、共産主義革命による黒人解放を目指したブラックパンサー党の台頭など、アメリカはその国家を支えていた奴隷制・人種差別という制度は危機にさらされた。当然これらの思想・運動をアメリカは弾圧してきたが、それと同時にその国家あり方の根本を見直さなければならなかった。

このアフリカ系アメリカ人の分離主義運動を軟化させるために懐柔策としてアメリカは「多様性」を推奨し、分離主義者たちを自身の内に取り込んだのだ。

先住民たちの反乱

植民地に先住していた人々に対しても同じだ。1968年にミネアポリスで「アメリカインディアン運動」(AIM)が結成された。彼らの根本原理は「インディアン民族の自決」である。彼らにとっては、黒人もよそ者であり、アメリカ内の人種間の平等を目指した公民権運動とは違う立場を表明している。彼ら曰く、「私たちインディアンは黒人を“ハサパス”(黒い白人)と呼んでいます。黒人たちは白人の中に入りたがる。けれど私たちインディアンは、白人の中から出ていきたいのです。」

ネイティブアメリカンの民族主義も黒人の分離主義運等と同じほど危険だ。アメリカ内に独立国家が誕生し、アメリカが分断されてしまう。また、入植してきは人々は白人・有色人種を問わずアメリカの土地から追い出されてしまう危険がある。

これらの運動をアメリカ社会に取り込む必要に迫られ、アメリカは先住民の権利の保護や同化政策に対する謝罪を行っている。多様性の名の下に先住民を取り込むことで、入植者が土地を離れ先住民に土地を返還する道徳的必要性を否定できるのだ。当然現在でも先住民の権利は完璧には守られておらず、先住民の権利を取り戻す運動は行われているが、一定程度ネイティブアメリカンの権利を認め居留地を確保することで、運動は一旦の落ち着きを見せ、入植者によって建国されたアメリカは、先住民を内包する「多様性」のあるアメリカとなったのだ。

このように、アメリカで「多様性」が浸透してきた裏にはアメリカが1:奴隷制でアメリカへ連れてこられた黒人の公民権運動・分離主義運動を取り込む必要があったこと、2:アメリカが植民地国家であること、そしてその先住民達と融和する必要があったことがある。

宥和政策をとってこれらの運動をアメリカ社会自体に取り込んでしまえば、当然黒人分離主義も先住民独立も主張の根拠が弱くなり、植民地支配・奴隷制によって作られた「国であった」を正当化することができるのだ。

2:人口の再生産の失敗と移民輸入の必要性

グローバル化と人口の移動

日本でも外国人を日常的に見かけるようになって久しいが、その要因として語られることが多い事柄に、経済のグローバル化がある。

経済のグローバル化は、国民国家がその独立性を保ち余剰生産物の範囲で国際貿易を行っていた時代から、各国の生産活動が他国の生産物なしでは成り立ち得ない相互依存状態に変化した状態だ。そして人々は以前より国境を越え、出生国外での生活を送るようになった。アメリカやドイツ、イギリス、フランスなどの主要先進国では移民率は10%を超えている。

ただ、経済のグローバル化が進むことは必ずしも世界が多様になることにはつながらない。たとえグローバル化が進んでも、経済学者リカルドが提唱したような比較生産費説のように、各国は余剰生産物のみで貿易し合えば良いのであり、人の交流においても経済上必要な業務的人員の一時的な相互交換でも良いのだ。

現在主要先進国で起こっている人口の多様化は、このグローバル経済上の必要性を超えて深く浸透している。その原因となるのが、先進国、つまり資本制先進国における人口の再生産の失敗である。

人間の生産活動と資本主義における社会の定義

人間は市場で交換可能な商品を生産する経済的生産活動のみならず、交換価値のない生産、つまり、家事や育児、祭りなどさまざまな生産活動を行っている。市場経済が発達する以前は、この非経済的生産活動が人間の生産活動の大半を占めていたが、資本主義が発達することで非経済的生産活動に従事することは「搾取」されていると考えられるようになった。

子育て家事も、立派な社会活動であるが、フェミニストたちは、女性が人口の再生産活動に従事し、賃金労働に従事しないことは、「女性の社会参加が遅れている」、「男性による女性の性分業に基づいた搾取」と考えている。このように社会活動の中にあった経済活動が、逆に社会活動全体として捉えられそれ以外の活動が「社会の外にある」状態になったことを、経済学者のカール・ポランニーは「それまで(資本主義以前)の経済的な仕組みは、社会関係に「埋め込まれ」ていたけれど、資本主義では、その状況が逆転している――社会関係のほうが経済関係によって規定されている」と表現した。

この周辺化(マージラナイズ)されてしまった人間の非経済的生産活動、つまり、育児や家事の人口の再生産、そして祭りなどの宗教的・共同体的諸活動は、資本主義社会においては重要性を失い、どんどん縮小していった。

アメリカの政治学者ロバート・パットナムは「孤独なボーリング」という本を表したが、これはボーリングという娯楽が愛好会など様々な小社会によって行われていたアメリカで、人々の社会活動が低下し、共同性をを失い、個人が原子化し、最終的はアメリカ人は一人でボーリングするようになるという悲しい未来を描いた著作だ。パットナムは、この現代人の社会性の喪失をテレビの発達など一人でも享受できる娯楽の発達のせいだと考えたが、より大きな視点からは、資本主義社会の発達の結果、つまり経済的生産活動の拡大と、非経済的生産活動の縮小の結果なのだ。

先進国の人口低下

人々が経済的生産活動に偏って従事し、それ以外の活動を疎かにしてきたのを、端的に示すのが主要先進国の出生率の低下だ。日本の人口は減少に転じてきたし、お隣の韓国でも出生率は大きく下がっている。日本もスウェーデンなどの北欧型福祉国家のように、国家が子育て支援を行うこと、男性が育児参加を行うことで出生率低下を食い止めることができるとの議論もあるが、実際にはスウェーデンの出生率1.8%で人口維持が可能な合計特殊出生率を下回っている。

それに加え欧米諸国は移民を大量に受け入れており、すでに移民たちは二代目、三代目となっている。フランスの国勢調査(Recensement de la France)によると、2017年の新生児76万人の母親の18.8%、14.3万人が移民であった。2009年には16.0%で、移民を母親とするフランス生まれの子どもの割合は大きくなっている。非移民の出生率は1.77、移民は2.60、全体で1.88、移民女性によって、出生率が0.11ポイント押し上げられたのだ。資本主義社会におけるイデオロギーを内面化していない移民は、現地民よりも多く非生産活動に従事し、欧米諸国の出生率を支えている。

先進国の出生率低下の裏にある力は、資本主義・市場経済の発達、そして、それによる非経済的生産活動の周辺化だ。

資本主義以前の社会における非経済的活動

資本主義以前、または後期種本主義時代の性分業の溶解が始まる以前の社会では、土偶が多産型の女性を象徴しているように、多産は良いこととして考えられていたし、それは立派な社会活動であった。子供が家を継ぐ、親の老後を支える、または、仕送りにより引退後の親の収入を助ける社会では、子孫を増やすことが、すなわち親の生活の安定に繋がっていたし、女性はそれによってエンパーメントされていたのだ。皇帝の母親である母后とその親族の外戚が絶大な権力を誇った漢王室もこの例だ。資本制以前の社会では人口の再生産は立派な社会活動であり、尊敬・崇拝されていた。人口の再生産を行うことで、親自身の権力も強くなったのだ。

非経済活動の縮小と資本主義社会への影響

しかし、人口の再生産は市場経済による交換価値を持っていない。子供を売り飛ばすビジネスは、倫理的な理由で市場経済に組み込まれていないし(非合法では存在する)、出産にともなる女性の経済活動・キャリアの停滞は社会的問題として議論されている。

しかしながら、経済的生産活動も人口の再生産、つまり労働者の供給、および消費者の存在なしには発展し得ないのだ。これはまさに現在の日本の状況で、ベビーブーマーたちが日本の高度経済成長を支えたが、その次の世代が人口の再生産に失敗したことで、経済の規模自体が縮小し、GDPはバブル崩壊以後30年間も横ばいを続けていることがその表れだ。

一方、欧米諸国は経済成長を続けているが、非経済活動の周辺化にともなう、人口の再生産の縮小は日本と同じであるが、不足した分の人口=労働者を海外から輸入すること、つまり移民受け入れによって賄っている。

移民を受け入れなければ、高齢者の世話を行うエッセンシャルワーカーや本国民が就労したがらない、キツい・汚い・やばい仕事の担い手がいないのだ。

多様性の経済的力学

ここで経済的合理性としての、「多様性」が現れる。

人口・労働者が足りないので、海外から移民を受け入れる。貿易や文化交流に必要な範囲での受け入れではなく、移民たちが移住先国に定住し、その社会運営において必要不可欠のメンバーとなるレベルでの移民受け入れである。

人間の社会が、経済活動によって乗っ取られてしまった先進資本主義社会は軒並み出生率が低くなり、人口を維持するために移民率が高くなり、社会内部に異民族を抱え込む必要が出てくるのだ。その結果として、先進資本主義国家は「多様性」のある国家となる。

まとめ 

多様性と日本

現在「多様性」が声高らかに叫ばれている背景には、1:植民地支配・奴隷制の歴史の正当化と2:人口の再生産の失敗と移民輸入の必要性があることを論じてきた。

今年ドイツは二重国籍を容認する方向に動き出した。ショルツ首相は2重国籍を解禁させるにあたり、「ドイツは多様性に富む。だからこそ法律を現実に適応させる」と発言した。しかし、ドイツはもともとゲルマン人の国で、ゲルマン民族内の多様性は豊かであったが(フランク人やサクソン人など)、現代ドイツほど多様な社会ではなかった。話は逆で資本主義発達の結果、人口の再生産に失敗し移民を多く受け入れ「ドイツは多様性のある国になった」のだ。

多様性と日本

日本は先進国の中でも多様性の少ない社会だと言われているが、植民地支配と奴隷制を行ってきた社会ではないし(大日本帝国の支配は短すぎた)、人口の不足を移民輸入によって賄うことも行っていない。

日本において多様性という言葉が欧米からの押し付けと感じられるのは、日本社会において多様性を推し進める現実的な社会条件が整っていないからなのである。

日本社会に多様性の概念を持ち込むのは、アメリカのジャイアント・セコイアの木を、日本の竹林に植え付けるようなものだ。気候・植生も違うので、セコイアは大きくのびのびと大地に根を張ることができない。弱って朽ち果てそうなセコイアの木をなんとか保つために、日本人は必死に木を支えている。

先住民について、北海道のアイヌ民族に関しては、局地的に多様な社会を実現する社会が必要だろう。現在アイヌ民族が伝統行事として、行政から無許可でシャケ漁を行うことが問題となっているが、これに関してはアメリカの居留地のように一定の場所でのアイヌ民族の伝統的活動を自由に許可するべきだろう。

人口の再生産の失敗においては、移民受け入れに消極的だった日本においては問題が顕著で、現在は移民を受け入れていく方向で政治は進んでいるようだ。この傾向がさらに進み日本国内の移民が増えたら日本でも多様性を推進する社会的現実が醸成されてくる。

社会正義というのは、その社会の置かれた一定の歴史的・地理的・社会的・政治的条件を反映して成り立つものだ。欧米先進国で「多様性」が推進されているからと日本でも同様に「多様性」と叫ぶのは、いささか奇妙な考えだ。

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