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20070613 日付変更線(3)

 マゼラン一行の世界一周で、なぜ日付が一日ずれた$${^{*1}}$$のだろうか。現代であれば日付が知らぬ間にずれると言うことはない。それは日付変更線$${^{*2}}$$があるからではなく、通信技術の発達によっていつでもどこでも正確な時刻を知ることができるからである。

 マゼラン一行の場合は、知らぬ間にずれてしまった。三年かけて世界一周して戻ってきたらずれていたのである。一日後ろにずれていた。毎日、航海日誌をちゃんと付けていたのに日付がずれてしまったのは何故か。

 毎日日誌を付けるため、船の上で日付の変わり目を知るにはどうすればいいか。日没か日出$${^{*3}}$$を基準にするのだろう。地球を一周を目指して航海をしながら日出の回数を数えていく。丁度地球を一周すると、出発点に留まって日出の回数を数えた時よりも一回分ずれる。東から西に回れば一回減り、西から東に回れば一回増える。これは一周するのに何年掛かっても同じである。

 地球の自転と逆の方向、即ち東から西に回れば、太陽を追いかけていくことになる。今、太陽が真南にあるとする。移動しながら明くる日の太陽が真南に来るまでの時間を計ると移動した角度(経度)分だけ留まって観測している時よりも長くなる。留まって計測すればきっちり二十四時間$${^{*4}}$$だが、移動していれば(移動角度$${÷360}$$度$${×24}$$)時間長くなる。西から東に回れば短くなる。地球一周は移動角度が$${360}$$度になることだから、ちょうど一日分(二十四時間)が移動にかかった各日(日出から次の日出までの期間)に振り分けられたことになる。

 東から西に回れば、太陽を追いかけるので、地球を一周した時点で日出が一度なかったことになる。一日で地球を一周すれば太陽はいつも同じ位置に見えることになるので日出が見られない。実際には一日経っているが、日出がないので一日が終わっていないことになり、日付がずれたことになる。一日で何周も地球を回れば太陽が東に沈むように見える。時は太陽の位置と関係なく刻々と流れているので、これを日付が遡ったと解釈することは普通はしない。逆も同じで日出が何回も起こったので日付がどんどん変わったと言うこともない。

 日々の移動量が小さければ、日出の間隔が季節とは別に変化していることに気付かないので、世界を一周した時点で一日分の増減が不思議に思えてくる。

 こう考えていくと日付変更線というのは全く意味がないことが判ってくる。通信や時計技術が発達している現代なら全くない。常にどこかの時刻帯に合わせておけばよい。マゼランの時代はどうか。現代と同じである。ずれることが悪魔の仕業ではなく道理ということが判っていれば、どこかの寄港地で日付をずらすことにすればいいだろう。

*1 20070612 日付変更線(2)
*2 日付変更線の昨今事情
*3 20060107 初夢(2)
*4 20040304 閏年の一日

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