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20040311 九六銭

 江戸時代の貨幣制度$${^{*1}}$$は諸般の事情$${^{*2}}$$により現代と比べるとかなり複雑になっていたようだ。

 三貨制度$${^{*3}}$$と呼ばれる制度になっていた。江戸時代に「三貨制度」と呼んでいた訳ではないだろうが、とにかく三つの貨幣制度が共存していたらしい。三つの貨幣とは「金貨」「銀貨」「銭貨」である。金貨の最大単位である小判一枚の一両と銀貨の丁銀や豆板銀50~60匁と銭貨の4000~10000文とが同じ価値であった$${^{*4}}$$。

 それぞれの貨幣の交換比率が一定になっていないのは年代によってそれが変化しているからだろう。交換比率がほぼ一定であれば、現代なら外貨交換みたいなものだから、それほど違和感はない。

 不思議なのは銭貨の単位である。一文銭を96枚、緡(さし)$${^{*5}}$$と呼ばれるひもに通して一まとめにすると百文として通用したのである。九六銭$${^{*6}}$$(くろくぜに$${^{*7}}$$)と呼ばれた。省百$${^{*8}}$$とも呼ばれた。

 現代の日本の通貨にたとえると一円玉96枚で百円玉と交換できると言うことになる。例えばどこかで十円玉を一円玉に両替してもらう。これを一万回繰り返すと10万円になる。これを貨幣包装機$${^{*9}}$$などで96枚ずつまとめて、再び銀行に持っていけば4100円分儲かることになる。ただし、この制度だと10万円を銀行で直に一円玉に両替すれば96枚ずつ包装したものが1000個貰えるだけなので、儲けは出ない。

 こんなぼろい商売が江戸時代には可能であったかと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。江戸時代には上の十円玉のような「一円玉10個分の価値」の通貨がなかった。やはりちゃんと考えてある。

*1 日本におけるお金の歴史(年表) 江戸時代の貨幣制度
*2 馬場 章 のホームページにようこそ! 貨幣史
*3 FEATURE_FAQ_sub2 <三貨制度の体系図>
*4 日本におけるお金の歴史(年表) 三貨制度
*5 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 緡
*6 〈えど友〉江戸博友の会会報 第17号
*7 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: くろくぜに
*8 ITO Toshikazu Home Page 省百法電卓
*9 Google 検索: 貨幣包装

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