娯楽的プログラミングを夢見て
モノローグ
「役に立たないプログラミングがしたい」
高専時代、親しい同年代のプログラマたちに、幾度となく口にしたことを覚えている。
インターネットで儲かった人がいる。彼らが開発したツールを使って儲かった人もいる。自動化で過重労働から開放された人もいれば、それで職を失う人がいる。プログラミング技術と、1つのアイデア。それだけで、世界を変えた人がいる。日本を少し変えて大儲けした人なら、たくさんいる。
儲かることは良いことだ。便利になるのも良いことだ。それらにプログラミングが役に立つのであれば、活用しない手はないだろう。大儲けして、その上世の中が便利になるならば、大変素晴らしい。
だが、天邪鬼な私は、そんなつまらないことにプログラミングを使いたくなかったのだ。
「まず C コンパイラを C で書く(おっと、リンカも忘れずに)。次に OS を C で書いてそれを自作コンパイラでコンパイルする! これが夢なんだ。最高に役に立たないけど、最高にクールだ」
こんな小さな夢が、私の姿勢を明確に表している。私は最初から最後まで、プログラミングが楽しければそれでよかった。プログラミングは手段ではなく目的で、つまりは純粋に娯楽であった。
娯楽としてのプログラミングの認知度は低い。
役に立たないプログラミングは、”練習” として扱われることが多い。
競技プログラミングや CTF 等は、ある程度娯楽的性質を認知されつつあるが、「競技プログラミングは役に立たない」などと言われることも多い。つまり、"役に立つ"ことを期待されているわけだ。
よく考えてみれば、娯楽としてのプログラミングを啓蒙するメリットが殆ど無い気もする。
それでも、純粋に娯楽としてプログラミングをするという選択肢も知ってほしい。
大人たちは、プログラミングができる子どもたちに、エンジニアや経営者の道ばかりを見せた。彼らに悪意はなかったし、多くのものを与えてくれた。エンジニアは給与が高く、それだけで魅力的に見えた。
ただ、みんな忘れていただけなのだ。絵が上手くても、絵描きになる必要はない。なんて単純なこと―。
役に立つだけがプログラミングではない。
プログラミングは、とても自由なのだから。
あとがき
年末年始、Facebook でエモい文章が大量に流れ込んできたので、エモい文章を書きたくなったのでした。
それなりにずーっと思っていたことですが、ちゃんと文章にしたことは初めてかも?
なお、本文の主張に反して、私は今も結構役に立つプログラミングをやっています。お金をもらうためだったり、自動化のためだったり……。なんだかんだ言っても、プログラミングという特殊技能は娯楽だけに使うには、あまりにもったいなかったのでした(ただ、基本的にはやりたくないので、費用対効果を考えつつ他の手段を取ることも増えました)。
一切段取り考えず、ふと思い立って1時間くらいでガーッと書いたので、超読みづらいはず。あと校正するつもりも一切ない! ここまで読んでくれた人は、奇特な方か、私と親しい人でしょう。親しい人はだいたい奇特なので、つまりあなたは奇特な方ですね。
文章は好きだったはずなのに、最近は書く機会が減ってしまって寂しいです。2018 年は、意識的に文章を書くようにしたい!
あと、無理だと思うけど小説書きたい。
2018年 元旦