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自転する日記 2月6日 深夜1時

関東の雪は明日の朝まで降るみたいだ。
都心も真っ白で、テレビを見たらみんな滑りまくっていた。
あの路面で自転車に乗ってる人、ノーマルタイヤの車でスピード出してる人、それは滑ります。今からホテルを探す人も、明日の早朝から絶対にやらなきゃいけない仕事がある人もいるだろう。大変だな。

珍しい雪景色が真っ白なまま残ることはなく、降ったはしからすぐに多くの人の足跡やタイヤの跡で蹂躙されていく大都会。

かたや山奥で、積もりだしたら人も車も途端に姿を消すこの田舎。

屋根に上って雪下ろしをするとか、
雪像が造れるほどの量は降らず、雪合戦だ、かまくらだ!と
犬のように駆け回る子どももおらず、ただ降って、静かに積もって、
太陽が昇れば静かに融ける。
この辺りの雪はもうずっと、それだけだ。

★★★

傷跡を残すほどの豪雪が降ったのは、確かちょうど私が生まれた年の冬、
1度あったくらいだと聞いたことがある。
九州だけど、電信柱が倒れたとかなんとか。
半世紀以上前の話だ。
ただ私が幼稚園の頃でも、30cmくらいならば度々積もっていた。
小学校・幼稚園まで3.5kmの道を、姉と私は往復歩いて通っていた。
雪面に沈んだ足を持ち上げて歩くのが大変だった。


思い出した。
大雪だと連絡網で今日はお休みです、
と電話がかかっていたのに、
わが家にはその連絡が来なかったことが
1度だけ、あった。

その朝はものすごく積もっていたんだけど、連絡が来ないので、
これは学校も幼稚園もあるんだな、と両親も素直に思ったんだろう。
ボンボンのついた赤い帽子をおそろいでしっかり被って、
私たちは出発したんだった。
幼稚園の年少と小2の姉妹で手をつなぎ、一生懸命歩いた。

いつもよりだいぶ時間がかかったはずだ。
運動場の手前で私たちは別れた。
人気のない園の教室に入ると、先生1人がストーブの前に座っていた。
他の園児は誰もいなかった。

「あら、今日はお休みよ!連絡がなかったの?」

先生もびっくりしていた。
小学校も当然休校だった。
お姉ちゃんもすぐ出てくるだろうから、それまで待ってようね、よくがんばって歩いてきたね、とほめられて、先生が私の口の中に丸い金色の飴玉を入れてくれた。
お休みでガックリしたという記憶はなく、頑張ってたどりついたら自分1人で先生にほめられ、おまけに教室の中で飴玉を口に入れてもらう、というスペシャルな出来事に気分が高揚したのを今でも覚えている。なんと単純で可愛かったことか、5歳の私。

そして先生と2人で姉が迎えに来るのを待った。
ところがいつまでたっても姉は来ない。
遅いねえ、小学校もお休みなんだけど。ちょっと見てこようか。

そう言っていると、ようやく姉がやって来た。
息を切らせていた赤い頬の姉をまだ覚えてる。
そのあと、また3.5kmの道のりを、手をつないで足を持ち上げ持ち上げして帰った。

あの日、姉は学校がお休みだと聞かされて、少なからずショックを受けたらしい。帰る時には妹のことを忘れていたのだ。約1kmほど歩いたところで思い出し、戻って来てくれた。

考えたらまだ小2の女の子だから、無理もない。
ほぼトンボ帰りで戻って来た私たちを、がんばった、がんばったと両親も祖母もほめてくれたっけ。

思い出してよかった。
関東地方の皆様、朝もお気をつけて。
雪に気を取られて、お連れの方をどうぞお忘れなきよう。


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