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クソみたいな文章です。読まなくていいです。


惰性で付けたままのピアス。伸びきった無精髭。
今日の未明、今の自分に行動力があったのなら、きっと私は死んでいたと思う。

生きることは難しく、死はいつも隣り合わせ。昔の時代と比べて死が私たちから遠ざけられたとしても、ペルソナの選択画面のような感じで「死」のコマンドが増えれば、生活の隣に死は存在することになる。要するに隠しコマンドだ。

文章に起こすのも苦しい。数十秒ごとに顔を俯ける。クソみたいな文章。誰の得にもならないもの。結局こういったメンタルが筆を進めることになっても、筆跡はかすれていて読めもしない。読み返す自分が居なくなれば、全てに意味はなくなる。

クソだ。死にたくて仕方がない。

1年ほど前から、どうしようもない日々の連続だった。
大学生の春休みは長いようで短い。何もしなければすぐに終わるのは、これだけに当てはまるわけではないだろう。
年末から年明けにかけて、焦燥感に駆られたまま旅行に行った。充足感を得て心を充電させたのもつかの間、春休みの課題に手をつけないまま、短期バイトをこなして3月を過ごした。

4月、私にとっては初めてのことであり、課題を提出しないままゼミに出席をした。その場をやり過ごしたが、翌週以降、自身の進捗に手をつけることはほぼ無くなったと言っていい。
資格過程の講義をこなす反面、同じ講義に出ていたゼミ生に対して憂き目を感じて、資格過程とゼミどちらの出席も疎かになっていった。

夏休みは実習があり、どうしても外部の第三者が関わるために、それなりに普通に、真面目に事をこなした。その後、年明けの実習報告を兼ねた最終回はライブ明けの月曜日で、後期のゼミは欠席を重ねて留年が確定していたこともあり、今更どの面下げて講義に出席すればいいかも分からず、普通に欠席した。
結局、今までひた隠していたことが遂に親にバレて、卒業出来ないことが周りに知れ渡る。
富士山噴火もかくやと言うばかりに激怒され、絞られ、正直なところ尋問誘導のように留年へと転がって行った。

結局何も改善しないまま、その場しのぎに返答を重ねて行ったため、何も変わらないまま、こうして初回の講義をすっぽかして川辺でうなだれているわけである。
授業料、年金支払いのため、それなりに働く必要がある。働くだけなら別に構わないのだが、私にはそれ以外にも、卒論をこなし就活をこなして内定を得て無事卒業しなければならない。
そもそもその2つが出来なかったからこうなっているのに、今以上に頑張る事が果たしてできるというのか?否、無理である。

全部、自分のせい、お前のせいなのだと指をさすのだろう。誰だってそうする。今の流れを追ってきて、ゴミだということが分かっただろう。
そういう人の話を俺はもう耳に入れない。俺の苦しみなんて分からない奴らだろうから。全員死ねばいいとさえ思う。

やらなければならないことを自覚していて、それをやらないとどうしようもないことは分かっていて、それでもなお頑張ることが出来ないこの苦しみがお前らには分かるのか?努力するとか、その末に失敗したとか実らなかったとか、そういうテーブルにすら立てていないことがわかるか?

大卒じゃなきゃこの先、自分のようなやつなんて虫けらのように扱われるだろう。ろくな仕事にも就けない。今後の展望はなく、やりたい事はさしてある訳でもない。あるのかもしれねーけど。こんな状態だから就活で頭ペコペコするメンタルも確保出来てねーよ。卒論のテーマは自分の好きなものにしたのにまるで手がつかねぇし。
自分の家庭的な立場、居場所はどんどん失われていく。穀潰し。役立たず。バカ息子。1人の居場所を求め、夜に溺れる。
こんなの、頑張るか死ぬかの2択でしかないんだよ。誰にも許されない。誰も救ってくれない。こんなヤツだから。死ね。

大学では友達ができなかった。言い換えれば、作らなかった、作れなかったのとも言うべきか。コロナを言い訳にする時代はとうに終わったが、自分の居場所なんてなかった。ないなら作ればいいんだろ?うるせーよ。ああ言えばこう言うやつ、正論とか、求めてない。うるさい。
別に1人でもなんとかなった。何か困ったことがあっても、完全オンラインの時に交換した連絡先で、文面だけのやり取りで自分が得られなかった情報を補完したりした。

それと並行して、SNSの依存度も高くなっていく。2022年以降は、インターネットの中で息をすることが増えてきた。1年に何回か、実在するのか曖昧な人間と会える瞬間がある。
彼らに見えている自分の部分は、普段のSNSの様子と、当日の自分の身なり位のものだ。SNSで好意的に受け取られれば、現実の数日間で人当たりを良くすれば、大抵楽しい時間が与えられることは約束されている。
僕は、画面の向こうにいる私の好きな人たちを愛している。愛しているが故に、こちらの依存度も増えていくばかりだった。彼らに会えるだけで俺は嬉しかった。
だから、彼らと会い、彼らと共に盛り上がるライブまでに体勢を立て直せない自分をずっと呪っていた。夢から現実に戻されるのがずっと嫌だった。
彼らに再び会うためには、ライブで大暴れするためには、その時までに何とか頑張って生きていく必要があった。今はそれも出来そうにない。自分の行いのせいで、そもそもライブにすら行けないのかもしれない。
身の潔白を証明し、来たるライブのために行動をすることも叶わない。こんなクズ野郎と、人々は果たして時間を共にしたいだろうか?

好きな人たちに会いたい。バカなことしたい。ライブ前だから、皆に会えたからその浮ついたテンションで一生笑っていたい。
好きな人に会いたい。照れて目線をそらしたりしたい。舞い上がっちゃったりしたい。きっと可愛くて素敵な人なんだろうなあ。抱きしめたい、抱きしめられたい。手を握りたい。生きているんだって感じたい。頭を撫でられたい。全部赦してもらいたい、救われたい。

人は、そんなもののためにある道具ではないというのに。迷惑だ。


苦しい。
苦しい。川のせせらぎと、近くで弾いているおじさんの歌声とギターだけが今を維持してくれている。
奇しくも、自分の研究テーマのフィールドの中に佇んでいるのだからなんだかおかしい。
住んでいるところからほど近くの、里山、裏山的な存在だから、身を隠して慰撫して誤魔化すのにはもってこいの、良い場所なのである。


自分は、前日までに明確な目的、義務等が設定されていないと目覚めは良くない。
だから、あやふやに月曜日死のうだなんて思ったりしても、朝から行動しようとはならないわけだ。結局、逃げるだけの人生だと自分の中で分かっていた。

私がもし死ぬのであれば、こういうプランを用意している、というのを去年の冬前辺りから考えるようになった。
人の死に方は色々ある。楽に死ぬやり方もあるのだろうが、私は「海」にこだわった。

高校生の頃、海と密接に関わる神社を複数参拝してからというもの、「海洋散骨」という葬儀の方法があることを知った。
正直、内実はあまり風情がない。粉をサラサラと撒いて手を合わせる位のもので、簡素ですらあり、その中にはもはや哀愁ささえある。一例を見ただけだからよく知らないが。

自分はいつまでも時代に残る、たとえ打ちひしがれて放置されても、いつかは誰かが見つけてその時を伝えるであろう石造物の存在が好きだから、墓石というのもまぁまぁかなり好きだ。
ただ、私の後続なぞいやしないだろうから、いっその事母なる海に飛び込んでいくという腹積もりでいる。散骨とは行かずとも、海を彷徨う水死体と化すのも良いだろう。1度沖から離れて溺れてしまえば、あとはもう身を任せるだけだ。そのうち勝手に溺れ死ぬのだろう。海は全て繋がっているのだから、海を視る視点に私が加わったら、せめてもの救いにもなるのかもしれないし。

選ぶ場所は気分にもよる。遠くまで行きたいか、近くの海で済ますか。いずれにせよ、死ぬ前にはやりたい事をしたいので、電車に揺られながら車窓に酒のカップを置いて、液晶画面に目を落とす間もなく、ずっと遠景を眺めているんだ。
終点がちょうど海の場所だとなお素晴らしい。そうして海岸までおもむろに歩いていくんだ。寄り道なんかしたりして。
人気がない場所だと助かる。予約ツイートをして、公開前のnoteを遺書に仕立てて、共有リンクを貼ったりしてさ。そんな、未練タラタラのことばかり考えて。
こういう時だけ、やけに色んな人が読んだりするんだよな、とか。アカウントに鍵をかけたり、プロフィール欄が意味深な言葉になっていたりとか。どうせインターネットのことなんて、みんなすぐ忘れていくんだろうなとか。現実においても、なんで死んだのかもよく分からないまま、特に引きずらないまま終わっていくんだろうなとか。遺書を書く元気なんて無いし、書いたら書いたで決断が緩むんだろうなとか。
もう全部どうでもよかったりしてさ。
幸祜ちゃんのことは……心残りだけども、別に俺1人で何か成り立っていたわけでもなく。でも軽い認知はされているかもしれないから、訃報は伝えずにいて欲しいとか思ったりしつつ。
好きな人はどう思うんだろうな、とか。別に俺が居ないと生きていけない人間なんていないしな、とか。

メダルゲームのプッシャーが耐えずメダルを押していて、決め手ひとつでメダルが下に落ちていく。今の自分の感情を表すなら、そんな感じ。
自分が生きていくために必要な、生への意欲に結びついているようなことを、もうどうでもいい事だと押し流して落とすことで、死ぬ方へと天秤を傾けていっているような具合。正当化。

ホントだったら俺は死にたくなんかないよ。でも頑張らないと生きていくことは許されない。許してくんないんだよ。でも、許されたとしてそこに寄りかかったら、自分は立ち直れるのだろうか?

もう、嘘をつき続ける生き方なんてしたくない。ずっと苦しいだけ。幸せになるにはどうしたらいい?誰も助けてくれない。誰も助けられないよ。結局自分でどうにかするしかないんだから。
だから、自身で引導を渡すくらいしかないよな?

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