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シャーマニズム、逃避行と海、遅くなる帰還、それでも人生は続く

前兆

2024年4月10日~11日にかけた話が中心です。
ライブの話は書きますがそれがメインではないので、それ目的で読みに来たのであればお帰りになった方がよろしいかも知れません。
要は、ライブが核になっているだけの、ただの私の身の上話です。

おさらいとして、週の初めにはこんな状態になっていました↓とても鬱々としているので読むのは非推奨です。要するに「死にてぇ~、死ぬかも」みたいな話でした。


2024年4月9日。
神椿新宿戦線のDay1、Albemuthのライブが同時刻に行われている中、結局それに行くことが出来なかった自分を悔やみながら、翌日に開催される春ちゃんのライブに行こうか迷っていた。

両日ともライブチケット販売の締切まで意外とチケットが残っていて、春ちゃんの場合だと機材席開放のBチケットのみが残っていた。
チケット受付の締切は9日の23時まで。
先に示した鬱々noteの内容の通り、自分の精神はかなり切羽詰まった状態で、全ての行動に対して「死ぬ前に最後~」という枕詞が付く有様になっていた。

そもそも、新学期が始まるそんな週にライブの日程が配置されていたのが悪かった。そこにライブがなかったのなら、また自分は何かをこなしたフリをして誤魔化し、無事その日中に家に帰ってどうしようもない日々を繰り返していたのだろう。

死ぬ前にひとつ、会場に来るみんなに会いたい。好きな人に会いたい。ライブ自体は正直今までのライブシリーズを観てこなかったので、妥協し見過ごすことだって可能だった。春ちゃんは全員好きなV.W.Pメンバーの一人だし、これでもデビュー時から見ている人間でもあり、オリジナル曲も無難に幅広く好きだった。
だから、1日だけなら最悪誤魔化して行けるだろうと思い、ライブのある日が自分にとっての「最期の日」だと仮定して好きなことをすると決め、未だAlbemuthのライブが行われていた19時辺りにチケットを購入したのだった。

午前中から講義が入っていると嘯き、家内で誰も自分が目に入らない空白の時間を狙い、いつもテキトーな服を着て外に出ている自分にとってはワンランク上がったような身なりをし、悟られないように最低限の身なりを前日に整え、手持ちの資金を全て常備して、もう帰らないかもしれないと思いながら家を飛び出した。


会場入りまで

過去において、ライブの入場開始時間の割とギリギリに着弾することが多かった自分にとって、今回割と早く会場付近に漂っていたのは早めに家を飛び出したかったからが理由です。
特にやることも無く、当初はコラボカフェに行こうとも思っていなかったので、新宿まで歩ける距離の場所で降車して歩き始めました。

前日はすごい大荒れな天気だったのに、この日はすごい天気良かったですよね。個人的にこれにめちゃくちゃ救われた気がしました。
なにか人に渡すものが見つかればいいな~とは思ったんですが、それらしい物が見つかる場所に歩いていた時に導かれなかったので諦めました。

(ここからは写真でダイジェスト)

鬼子母神
お参りはしなかった
神田川の魚道
まさかこの季節に来れるとは思わず、
各地で桜を見れたのがハッピーでした。
ここに来るまでの道は、去年の5月辺りに講義サボって歩いて新宿行った時の道のりとまるっきり同じで変わんねぇな俺って笑っちゃいました。その時は川の方に行かなかったです。
11時辺りだったのでご飯を食べようかと思いました。
ちょうど歩いていたらなんかミシュランがどうのっていうすごいラーメン屋が近くにあったので、混んでなかったら行こうってなりました。
昼前だったので席が空いていて並ばずに入れる奇跡を巻き起こす。怒涛の1530円と強気の価格設定でしたが、それだけ価値のあるラーメンだったと言っていいほどの美味さだったよ。ちなみに、店員さん2人で回していたんだけど、店主さんなのかなんなのか、その人がもう1人の方に厳しく指示を下していたので、割とオシャレなところだけどそういうところはちゃんとラーメン屋の雰囲気だってなった。お店出る時に気をつけていってらしゃいませと言って頂ける気遣いがあるお店。
歩いてたらその先の方向に神社があったのでなんとなく行きました。自分も1度は聞いたことのある、それなりに有名な神社さん「穴八幡宮」です。初訪でした。正直な話、生きて帰る気がしてなかったので御朱印貰えばよかったです。
これはいい感じの境内階段。
Good坂①
歴史的な坂が多いことに目を配り、行政側がこういうタテカンを用意してくれるのは本当に優秀ですよね、23区は。
Good坂②
お腹痛くてこの近くのライフに駆け込んだ。
マジで助かった。my life。
会場まで30分くらいかかる距離にある公園でひとまず休もうとしたところ、コラボカフェの誘いを受けて程なく合流しに。自分は別に待つことに対してそんなに腹立たないのがデフォなんだけど、人がいる間にTwitter見るのもあれだし、かと言って話すことも無く輪にも入らず、腕組んで目を閉じているひたすら雰囲気の悪い地蔵になっていてダメだった。正直何か理由をつけて離脱して、会場で人に挨拶したりするかとも思ったけど、別にその時そういう声がけもなかったのでひたすら待ちの姿勢に。
結局コラボカフェの提供時間がライブ入場時間とバッティングしそうで危なかったので食べれずに離脱。新宿駅の方にあるシェイクシャックでハンバーガーを食べました。コラボカフェの店、元はハンバーガーのお店だし。
基本的にチェーン店+バーキン、ご当地バーガー位(あと市販の)しか食べたこと無かったので、普通に美味しかったですね。ピクルスが良かったって話。
着いたらすぐ、ぼくはB席で時間のんびりなので、S・A席のみんなはどこかに行っちゃいました。
会いたい人には会えたのですが、“怒“涛の“緊“張、ドキンちゃんになっていたのでどうしようもなかった。。。あと周りに人がいるのも少し気になるしね……。
次お会いしてもあんまり変わらない気がするので頑張るなら俺の方なんだよな、お会いできて嬉しかったです。緊張とライブ後の色んな感情に流されてしまった感はあったけど。
また会いたいです。
Zepp新宿、入場してから中にトイレあるし、ロッカーあるし、俺は吸わないけど喫煙所はあるしめっちゃ偉いっすね。ローチケ端末を取りに一旦帰っていたフォロワーさんを待ち、ロッカーを割り勘して会場に向かいました。
自分はB席なので指定されたエリアの前方を狙うくらいしか出来なかったけど、S・Aだったら人間ブルドーザーできるの面白すぎ。自分は1人でそういうことする勇気はないかな……。


ライブの感想

最近、ライブのセトリまとめる人とかそういうツイートをあんまり目にしなくなった気がするんですけど、最早金払ってセトリ把握する時代に突入してるんすかね。
今回は公式側がセトリ貼ってくれてこれホンマにまじで偉くて。みんなこれして欲しい。

自分は、春ちゃんがどういった想いでここまで活動をやってきたのかっていうのを、春ちゃんの過去も含めて話半分でしか把握していない人間だった分、今回のシャマニIIIは過去を顧みるというより『春猿火』との融合というテーマを一貫してやっていたと思いました。
ライブ中、自分的には細かいことを考えずに、しかしながら前例として『廻花ちゃん』の件もあったため、ライブ終盤はどう収束していくのかなというのが気がかりという位でした。

自身の神椿のライブ還暦としては、ヒューリックホール-豊洲PIT-武道館-代々木第一体育館と、どんどん会場の規模が大きくなっていく流れに沿っていったので、初めて訪れるZepp新宿、そして真っ当なワンマンライブとしての両方の規模感が合わさって、声出しもできるしオルスタだし、DJタイムもないし。
それぞれのライブの良さがあるので今回が一番!とは言いきれないのですが、コロナ明けのライブ現地の体験で純粋に「楽しかったー!」となりましたね。

もうね、全部良かったね。これお世辞抜きなんだけど披露されたやつ全部良かった。アルバム心獣中心曲でありつつも、ED含めて新曲は5つ!全体の5分の1ですよ。
心獣はリリースからちょっと経って、ミニライブでも披露はしたけどやっぱり現地で、生で浴びるのは違うもんよね。最高。まぁ、最近新曲聴けてなくて、行こう!ってなったライブ前日にちゃんと通しで聴いたレベルなんですけど……。

春ちゃんはコンポーザーが刷新されていくに従って、どんどん強烈なものになって行きつつも、ラップの要素は今も活きているし、ハードな曲調に載せられた歌詞は春ちゃんを汲んで書いてくれている。それでいてCHILLな要素を兼ね備えているのも春ちゃん曲の強みで。
台風の子~Starcloudまで全部ぶっ飛ばすし。
そこからの緩急、九紋龍着装を経てOarana~daydreamの𝐶𝐻𝐼𝐿𝐿タイム、そこからテラ-中間地点-居場所。私的にはこの中盤のセトリの組み方に対して大いに拍手をしたい。

単に観客側を一旦冷ますような抑え目の曲じゃなくて、ゆったりとした時間が流れ、ただただリズムに乗せて体を揺らしたり、春ちゃんの明朗なFLOWに合わせてリズムを刻んだり。こういった時間が本当に最高だった。その時間が一層染みさせるのは、それまでの曲で大いに観客を暴れさせていたっていう効力もあるわけなのよ、セット売りだよね。
あとこれと地続きの話なんだけど、ホントのホントに終盤で、META大暴れ、本人MC-砂時計-room wear-本人MC-身空歌 っていう、もうこれ。最高。正直ライブって疲れるし、感情ぐわぐわ揺れちゃうし。でもこの新曲の𝐶𝐻𝐼𝐿𝐿曲2つをここに持ってかせたのも、アコギ演奏なのもひたすら偉いし、そこから今回のライブの根幹になる大事なMCへとゆったり繋いで行ったのが本当に良かったかな。
やっぱり神椿のライブって、終盤に何か展開的にしでかすことって多い気がしていて。観客からしたら気が気じゃない、ハラハラするんですよね。
その点、春ちゃんが春ちゃんのままでいてくれた事も大きいのかもしれないけど、(熱心なファンではないから気の持ちようは違う、というのは前提として)気持ちよくライブを終われたかなっていう感想が強いかも。
それはもう春ちゃん自身の人柄も作用してくれているのかもしれないね。あと、ライブ後のinformationが4つくらいで終わったのも偉かったなぁ。

『春猿火』に自身の魂を“下ろす“ことに無事成功したから、『シャーマニズム』は終わるんだね、ということで。私たち自身もインターネット人格との違いに半ば苦しむ中で、特にそういった「バーチャル」の存在においてより高次元の悩みであるはずで。
“下ろした“とはいえ、どうか上手いことこれまでと同様……なのかはよく分からないけど、ONとOFFが切り替えられるような生活を送れていればいいなって思いました。


ライブ後-終電逃し-

この画角見ていつも思うんだけど、横から撮れよ。
柱が絶妙に邪魔すぎる。


会場を後にしてから、その時間に初めてライブ後に会うフォロワーさんとの会話ってめちゃくちゃ楽しいよね。今回は先ほど申した通りロッカーを割り勘していたので、その人待ちをしながらドリンクのゴミ箱付近でフォロワーさんと数分ライブのアツさを語っていました。
さっき触れてなかったけど、CALLとかやばすぎだろ。正味Fesみたいな雰囲気じゃないとやらない曲なのかな~とか、ゲストに幸祜ちゃん来た時はクソほど叫ぶ準備しようとか身構えたりしてソワソワしてたんですけど。いや~~~凄かった。

その後、荷物を取り出して(ロッカーの鍵を持っていた人が、ライブ開幕の「台風の子」で昂ってつい春ちゃんの方に向けて鍵ぶん投げちゃったとか嘘ついてたのでマジで焦りました。やりかねない。)、その人の元にいれば自ずと酒の席が出来上がっていくので流れに身を任せていました。

今回で3回目のエンカとなるフォロワーさんとは、結構長いことお話していたような気がします。初めてお会いした時と同じくらい喋ったような……?なんとか目を合わせて話し、そして目が泳ぎ……。熱心にお話を聞いてくださるし、受け答えてもしていただける神様のような人なのですが、その分自分が懸命に話を繋ごうとあることないことつい話してしまうので、大体の内容は掴めているけど、なんか、話せてたのかな……、大丈夫かな……?変なこと言ってない……?と、毎回不安になる。

普通にド平日の夜ライブと出演者が1人で人を選ぶので今回はそこまでフォロワーさんに会いませんでしたが、ちょくちょくいつもの人に挨拶をしつつ、とりあえず終電まで飲んでいくことに。現場を重ねて行くと、会ったことのある人とまた会える尊さって半端ないね。

フォロワーさんを友と一緒に駅へお見送りしつつ、ここで一旦運命の別れ。この場合、運命の別れは俺の話ね。
このまま終電までに帰って上手いこと誤魔化しきれば、その日を無事終えられたのですが……。
普通に友をそこで1人にしてしまうのでそこは一旦、相手に意志を確認しつつ「まぁとりあえず酒飲みに行くか・・・。」ということで、先に店で席を確保していたフォロワー組に合流。

ライブ後の乾杯って“生きてる“だろ。
ここのカシスソーダ?カシスオレンジ?美味しかったですなんか、うん。という事で赤いのが俺のっす。
ドリンク多いと普通に何飲むか迷うので目が回る。
酔ってはないです。

周りに比べて終電が早く、1人だけ先に楽しい場から抜けるのってクソ虚しいし、個人的にはもうライブ後に襲ってくる【現実】に耐えきれず、「あ~~~~~~帰りたくねぇ~~~~~」という気持ちに支配されていたので普通に終電を自覚的に見過ごしました。ハイ。

そんなこんなで周りの終電にあわせて午前0時辺りまでに各々バラけていき、私は友の宿探しに付き合う感じで夜の街に消えて行きました。

この間、終電を逃したことを親に報告できず、また、単に言い訳として使っていた虚偽の理由(-大して仲が良い訳でもない大学の友達(実在)とご飯を食べに行くという理由-)だけで「終電を逃す」という事象を引き起こすのことにもやや無理があり。
そしてだんだんと自分の行動が怪しまれていくという状況の中で、親への連絡が後ろめたくなりずるずると遅くなっていきました。

結果としてこれが足枷となり、家を出てから1日半、こちらからの連絡が途絶えてからだいたい1日音信不通にしてしまうという、「かなりヤバい状況」を引き起こしていく出だしになりました。

「オワリはじまり」


深夜徘徊

終電を逃して特にあてもなかったので、ひとまず覚えのある他のフォロワーに今どんな状況か連絡をしつつ、酒席に同伴した友の宿探しになんとなくついて行きました。夜の街怖すぎ。(1回目)

なんやかんやして妥協で宿をみつけて無事友とお別れをしたあと、ライブ会場付近のカラオケで夜を溶かしていたフォロワー2人にわざわざ動いてもらってしまい(これホンマにごめん、ありがとう)、お互いの中継地点になる場所で落ち合うことになりました。

そこに行くまでの間、定期的に親からの連絡が来ており、どんどんと胃が痛くなってくる始末。なんとかそれっぽい言い訳を考えても苦しいだけなので、ずっと頭を抱えていました。本当に辛かった。泣くくらい。もうだって怒られたくねぇんだもん、怖くて。それを分かっていて今回行動した末に、保険として使っていた言い訳も効力がゴミクズと化していて、正直に打ち明けることも無いまま、鬱々としたまま合流地点に向かいました。

ガチで鬱。ここでそれなりに見知っている人と一緒に居る時間を作れてよかったかもしれない。

合流後、なんとなく「風呂行くか?」の動機のもと、フォロワーが来た方向の道に戻ることに。(マジでごめん)
全員限界の中歩き、限界トークを繰り広げ、夜中いきなり叫んだ他人に呼応したフォロワーにビビったり、限界治安をすり抜けて、銭湯に着いたけど風呂場の料金を見てやっぱ入るのやめたりして……。
1時間位お店の閉店時間まで時間を潰したのち、フォロワーの2人は一旦快活inするみたいだったので、私は「始発に乗ってぼちぼち帰る」みたいなことを言って別れました。

自分、相手がもう振り向く気配無さそうだなって思ったら動き始めるタイプなんですけど、見えなくなるまで見送っていたら、2人のうち1人が何回も振り向いては手振ってくれた(多分テンションイカれてたんだと思う)のでめちゃくちゃ嬉しかったです。大好き。
なんかどこかでも書いた気がするんですけど、手振るの好きなんですよね。

ちなみに私は深夜徘徊を始めた辺りから、この状況だとノコノコ家に帰れそうにない、どんな顔して帰ればいいのか分からなくなり、「始発で帰る」という選択は既に排除されていたので先の発言は普通に嘘をついていたことになります。

私が死に場所を求めるのはなんとなく「海」だと考えていた(先のnote参照)ので、この時点の心情はぐちゃぐちゃになっていたから正直よく分かってないんですけど、「ひとまず海に向かう、その後のことはその時考える」の思考のもと、解散後半ば衝動的に海に向かうことになりました。

新宿駅に向かったので、そのついでに「その日」並んだコラボカフェの行列の跡地を見に行きました。
こういう場面に出会う時、なんか不思議になるよね。
意味がわからなくなるというか。ここに居たんだよなっていうのがさ、どうにも信じられそうになくて。


ここからは特にライブの話どうこうではなくなるので、ブラウザバックを推奨します。


逃避行の開始

出発

逃避行の始まりはJR新宿駅。
かのゲンフウケイMVでは、奇しくも同じ新宿駅で場面が始まっています。
ハンバーガーを食べに行った際、特に誰も触れてなかったけど新宿駅の前を歩いていた時強く意識していました。

MVの場面では、1度地元に帰省するというのである意味で「逃げ」なんだけど、俺の場合は本当に逃げ続けてばかりだな。


今書いてる瞬間がちょうど1週間前の話だからまだ深夜徘徊をしている途中なんだけど、振り返るとまだ不思議な感情。「なんだかんだ楽しかった」という心情にはまだなれていない逃避行だったかな。
というか、“逃避行“とか銘打ってるけどやってる事ただのカスだから。

目的地のイメージは、「海」「人が少なそうな海」「それなりのロケーションは欲しい」「近くても遠くてもいい」……最後の条件は、最悪帰ることも視野に入れ、流石に遠すぎるのは取り返しがつかなすぎるかなと思い、当初の計画通り千葉を目指すことにしました。
あと、「人が少なそう」なのは、あくまで人目につかず死にたいという訳ではなく、感傷に浸るのに人の喧騒は全くもって必要ないという意味です。

……
仏教の講義を受けていた時に、その行為自体がかなりショックでやけに記憶に残っている話が「補陀洛渡海」。“ふだらくとかい“と読むのですが、要するに、舟に乗って「浄土」を目指し海に出る捨身行なんですが、大抵それが行われていたのが紀伊半島でした。
そういう、海に突き出す形で存在する半島になんとなく憧憬して、千葉の、特に南房総を目指して行動を開始することになります。

東京を経由して千葉に入るため、まずは中央線快速に乗って東京駅を目指します。
中央線と言えば黄色い線の入った電車で、かのARCADIA MVの一場面に登場し、その聖地辺りを歩いていると目にする電車なのですが、乗った記憶が正直無かったのでこれが初めてだったのかな。
夜を使い果たす人間がいるように、この電車から生活が始まる人々もいるのかもだなと、ポツポツいる車内の人間を見て思ったりして。

その後、(始発かな?)総武線快速-君津行き-に乗り、初の総武線に乗ることになりました。グリーン車の案内があってビビったけど、そういや総武線も湘南新宿ラインみたいな二段型の車両がグリーン車だったな、と全貌を見た時に思い出した。
結構停車駅があるので、ひとまずここで寝てました。電車でガチ寝はあんまりしないんですけど、寝れたのかな。あんまり覚えてないや。

その後、君津降車だと中々南端まで遠いので、出来るだけその先に行きたいなと思い内房線に乗り継ぎをしようと思いました。
ただ、なにぶん初めての駅、初めての路線、そして寝起きが相まって、ボヤボヤしていたら-安房鴨川-(だったかな?)行きの電車を逃してしまいました。
その後、-館山行き-の電車がだいたい30分後に来るようだったので、それまで寒いホームの中で椅子に座りうずくまっていました。

私がライブ後に深夜徘徊をした後、こんな異常行動に出ていることなぞ周りの人間は露知らず、交差する人々の生活も平等に流れて行きます。ちょうど新学期が始まった時期なのもあって、進級して授業の内容について話したりしている学生たちが眩しかったです。はぁ辛い。

電車到着後ワンマン運転の電車に乗り、「ボタンを押して降りるタイプの電車は久々だ……」なんて思いながら、どうせ終点で降りるのだからその心配もあまりなく、再び電車に揺られます。
途中、どこでかは忘れたけど割と長いこと駅に途中停車していて、停車している意味もよく分からずなんだか不思議な時間だと思いました。反対側のホームで電車を待つ人々。桜……だったかは記憶が朧気だったけど、なにか咲いているような木々たち。鳥のさえずり。およそまだ朝と言えるような時間帯で、暖かな木漏れ日がさす。
微睡んでいたのでまだ良かったのですが、今の私の状況に対して許されるはずもない、あまりにも穏やかな、安らかな時間が流れていて気が狂いそうだったのを覚えています。

到着-罪人の行進-

そうして、館山駅に着いたのが9時くらいだったのかな。あれ~、4時すぎくらいから行動してた気がするんだけどなぁ、随分時間かかったナ……まぁいっか海まで歩くか……なんて思いながら、おもむろに歩き始めました。
地形上、南端に行くには一山越えねばならず、電車の線路はそれを避けた形態になってます。いや、だからこそというか、「山があり海がある」という素晴らしさが身に沁みていた自分にとっては奮い立ちはしたのですが。

まずは館山駅から南へ。歩いた進行方向的には東にある海を眺めながら歩いていたら、館山港に行くか洲崎に行くかという二叉の道まで歩いていきました。
洲崎を経由して海に沿いながら歩くのもアリだったのですが、正直クソほど歩きそうだなと直感で思い、山を突っ切る形で通っている-館山白浜線-を頼りに、房総半島最南端の地「白浜野島崎」を目指します。

ちなみに、車道に出るまでにかなり道に迷ってしまい、半ば山に食いこんでしまって何とか戻ったり、田んぼが広がりカエルの鳴き声が鳴り響く中歩いていて「春だな~」感を味わったり、景観も良くて、ここに誰か一緒に居たらこの景色の良さを理解してくれていたのかな……とぐったりして写真は撮らなかったりしていました。

下から読むと「ざんき」だったので思わず撮った写真。
写真を撮る元気が回復したのは海に出る付近あたりだったので、これ以降の道のりの写真はほぼ無いです。


車道に出てからはかなりの地獄でした。よくある幅の狭い道路で、歩道なんてほぼありゃしません。片側のみが通行するなら車は避けてくれますが、両側とも来ようものなら、もしくは大型車両の場合私の横を掠めていきます。
そもそも、元々歩いていた県道の車の通りが激しくて道を逸れた結果、清掃工場の方に向かう道だったので結局ゴミ収集車が行き交う中歩く羽目になり……、その末にたどり着いた道が-館山白浜線-だったわけでした。
結果としてその道も結構車の往来が多くて、どっちにせよ辛かった。特に、トンネルを2回通ったんですけど怖かった。明かりはついてたから良かったんだけど……。

この間、ただ歩くことに集中している時もあれば、ボロボロと、ヒックヒックと大の大人が肩を揺らし泣きながら歩いていることも何度かありました。どうしようも無い。
どっちみち、私には死ぬ覚悟すらも無いので、海に行っても私は身を投げることはないだろうとは思っていました。情けない男なので。
ただ、帰れる余地が無くなればずっとさまようことになりますし、もう完全に連絡なんて絶って、海を見ながら何処かに腰掛け、ずっとそこに居てやろうとすら思いました。死ぬ覚悟がないなら、そのまま穏やかに、緩やかに死を待つか、倒れるだけというやつです。

ただ、「海に向かう」という行為を「死ぬこと」に結びつけていたその時の自分にとって、頭の中で強く死を意識させられることになっていました。
しかし、「死ぬ前に好きなことしてやろう」と定義したために観に行ってしまった昨夜のライブ、そしてお会いした方々にかけられた言葉たちが走馬灯のように頭を駆け巡るものだから、ずっと苦しかった。
あと、一昨日に解散したAlbemuthの「舟」という曲の歌詞が反芻したり。(「君をなくした朝」「わたしは愛おしい夢をみてた」)
ライブ空間というのは、基本生命を生かす作用がある気がして。それが特に「春猿火」というアーティスト、そしてその楽曲とリリックが度々私に突き刺さりました。
そして、今日かその先にそのうち死んでやろうと思っていた自分に対して、会った皆は「次のライブでも」とか、「また会いましょう」とか、「死ぬなよ」とか、そんなことばかり言うんですよ。

別に、決まり文句、定型文であろうとなんだろうとも、、それらは私の足を引っ張るのに十分すぎる効力を発揮しました。そんなもんだから、「俺、死にたくねぇよ……」とガチ泣きするという発作を何度も繰り返して、かけられた言葉を何度も思い出して……。
次のライブまで生きることって難しいんですよ。簡単じゃねぇんだわ。でも気づけば、何も成さぬままライブの日からコチラに来ていたりするんだよ。そんなことを繰り返してばかりだった。

全てから逃げるために選択する死なんかよりも、俺にだって生きたい理由があるし、基本はそれが天秤の重きを占めていたわけなんだけど。本当にどうしようもなくなると、全部どうでも良くなったり、好きなものに対して見切りをつけ、妥協をしたりして、“死“の方へ傾けようと天秤の重しとして自らの拳を振りかざしたりするわけなんだ。

でも、逆・死に目に会うをした結果、自分が好いたコンテンツ、そして出会った人々による、「自身が広げもたらしたもの」によって、最終的にこんな自分を生き長らえさせてしまう羽目になってしまった。
自分自身にも、身内にも嘘をついてきた自分が、その人たちに対して大きな嘘をつきたくはないって思ったの。「また会いましょう」だなんて軽々しく答えちゃってさ。その内で自分は何を考えていたのかって話なのに。

現場から、インターネットからオタクが1人消えたってなんにも無いよ。これは最後の話にも繋がるけど、俺1人消えたって、たとえその瞬間に悲しみが沸き立ってもその内消えていくもの、忘れられていくものだと思ってた。
インターネットの場合はどうか分からないけど、どうもそういうわけじゃあなかったらしい。

道を抜けた先で、その先に見える海と、めがね橋に出会いました。

この辺から、写真を撮る意欲が蘇ってきました。
ここから、「野島崎灯台」をめざします。
途中行く方面をミスりましたが無事着きました。


そういえばここら辺の地域でも源頼朝と関わりがあるそうなのですが、ちょうど電車で通ってきた辺りで、追討の挙兵後一旦平家にボコられた時に頼朝が逃げた場所が安房なんですよね。
天下の征夷大将軍様たちもみんな逃げた経験はあるし、俺も許してくんねぇかなとか今思ったりした。最終的には歴史が評価を下すもんですけどね。

たまたま前を通った和菓子屋さん。
「房総名物」らしい酒まんじゅうを買いました。
肝心のまんじゅうは写真撮ってないんだけど、普通に美味しかったです。保温して売り場に置かれているんですけど、時間経ってから食べたので温かいまま食べたかったな。
先の方に見える灯台が目的地です。
近くにあったスーパーで、まんじゅう用のお茶・酒二缶・ウイダーinゼリーモドキを購入。
前日の夜はおつまみをつまんだくらい、早朝前には唐揚げ2個位で自分がここまで活動できたことに驚きで、普通にお腹は空いていましたが、食べる気は出なかったのでひとまずゼリーを。
なんか食堂で海鮮丼食うイメージがあったんだけどね。
観光案内はこんな感じです。
もうあとひたすらに海、海海、酒酒酒、で、とりあえずそこだけを考えていました。
房総半島最南端へと向かう道です。
最南端の地です。
後ろに見える灯台ですが、維持費的にもお金が必要なのか、中に入るのに料金が発生するので海で十分だった私は入るのをやめときました。
実際の海の眺望はこんな感じ。
岩でゴッツゴツでしたし、風はこちら側にバンバン吹いていたので身投げしても岩にすり減らされていたって感じですかね。
ウルトラ最強ビューポイント。
これがあったのでこの地は百億万点でした。
潮風でベンチが錆びついているのが最高なんだよなぁ。
はい。
なんだよ。

しばらく酒を傾けながら海を眺めていたのですが、夕日を見たいにしてもまだ14時辺りだったので、この頃日が長いのもあって粘るのはかなり至難の業。
海から吹いてくる風が思いのほか強く、寒い。人足はおぼろげでも、何度か自分の座っているベンチの方に近づいてくる人もおり、2組目あたりでさすがに申し訳ないと思い、場所をいそいそとお譲り。

30分も座れたかどうか、かもでしたけど、夕日はともかく夜まで居てやろうかとすら思うほど海を見ていたかった(海を見ると全部流されるので)のですが、さっき言った通り思いのほか風が冷たくて寒く、居続けるのはキツイだろうという判断に出ました。時間を待つにしても、ただ虚しいだけで。
上のベンチを降りてからは、別の下のベンチで酒まんじゅうを食らいつつ、1度海を見てリセットされてしまったこの現実に再び立ち会う必要が出てきました。

ここにやってくるまで、1時間ごとにかかってくる親からの電話。それらを振りほどいて行動をしていたのですが、家を出てから一日は経つ。そろそろ流石に生存報告位はした方がいいのでは無いかと思い始めるも、相手からの文面自体は無く、今どういう態度でこの状況に臨んでいるのか分からず、未だ打ち明けるのが怖くて。
途中の道のりで、これまでの事を全て打ち明けて、自分の希死念慮とかそういった話も真面目にしようかとは思ったんだけど。

それでも、「海を見る」という行為がなんとなく中途半端に成し遂げてしまったという点。この後、特に行く宛てがあったわけでも無く、帰路に着く間に心の整理を付け、連絡をして家に帰るように善処しようと思い、とりあえず帰路に向かいました。

帰路

行きのような鈍行歩行をする訳にもいかないので、歩いている途中何度かバスに横切られていたことからバスが走っていることに気づいていたので、灯台を後にし、バスの時刻表を確認してからその待ち時間中までに進めるバス停まで歩きます。
ちょうどめがね橋が架かっていた先にある「長田橋」のバス停で乗車し、再び館山駅に向かいます。

ICカードが使えない路線バスは去年英彦山辺りに行った時以来で、乗車時に券を取るタイプは初めてでした。素人でごめんなさい運転手さん……。
最終的に財布が薄くなってしまったのですが、小銭は記憶にないぐらい豊富にあったので、現金小銭払いでも何とかピッタリで対応出来ました。

これまたゲンフウケイMVでの話なんですが、主人公が恐らく新宿駅のバスターミナルから出ているバスに乗って帰省している場面があるのですが、なにせ久しぶりにバスに乗ったものですから、その姿と重ねてぼんやりと車窓から外を眺めていました。
駅に向かうにつれ乗客が増えていき、同時に増えていく運賃で「小銭足りるかな……」とヒヤヒヤしていましたが(千円札であれば両替可能なのでまぁ)、無事降車。行きと比べて帰りは複雑な乗り合わせになっていましたが、さっきスーパーで買ったゼリーをひとまず吸いながら、これからどうしようか考えていました。

手順としてはとりあえず千葉駅まで出て、そこからまた東京駅に戻るといったもの。
それまでの間、現在地共有-インターネット接続停止とかをされたんですが(後々、これは外部からスマホ紛失を危惧して取られていた措置だったようでした)、なんとか親の態度が和らいできて、自分の口からやっと「帰る」という一言を引き出すことに成功しました。相手がずっと怒ったままであれば私は怖くて帰れない家出子供おじさんになっていたので本当に危なかったです。はぁ情けない。
その後、もう残り少ない充電の中、何とか家に帰ることに後ろめたさを軽減することに成功したため、長いこと電車に揺られて無事帰還したというわけでした。


おわりに

家に帰ってからは、余程大事を起こしてしまった故に神妙な空気が流れたまま家族会議が始まりました。親側にもかなりの迷惑をかけてしまい、その苦労や経緯を聞きました。
それと、家に戻ってくるまで自分がしていたこと、嘘をついていたこと、結果的にはそうならなかったけど、なんかつい、「その日が人生最後だと思って、最後に海行って死のうかと思ってた」みたいなことをつい口走ってしまいました。

結果として、私は「家族から愛されていない」とまでは思わずとも、あまり愛されている気がしなかった分、今回の行為を経て私はかなり愛されていたのだということに気づき、泣きながら作ってもらったおにぎりをかぶりついたりしていました。
なんか良い話風に書いていますが、会話の全体としてはお互いかなり体力を消耗した形でやり取りが繰り広げられました。

私としては、これまでの事、抱えた苦しみややるせなさを言葉として上手く伝えられる自信は無かったし、素直に相手に打ち明け、受け止められたり、そうして貰えるように口を動かせる気もせず。
このような行為に繋がってしまったものの、こんな行動に出たことで「私の深刻さ具合」を強引に理解してもらう形になってしまいました。

あまりベラベラと話すものではありませんが、その翌日に精神科に連れて行ってもらい、診察自体の手応えはないのですがひとまずMMPIというものに回答して提出した、という感じです。結果待ち。

今のところ大学に行く気力はあまりなく、ぼんやりと生きています。今後の話をされる度に不機嫌になったり、考えたくなかったりそんな自分が本当に嫌だったりと、その後の将来のことを自身も強く意識しているからこそ辛く苦しいことがかなり多いです。
おまけに、周りから「あっ、今これ気遣われている」と分かる行為に触れるとかなり辛いです。そんなこと口にしては相手の厚意をダメにするので必死に隠していますが……。

そしてそして推し活に対しても現在寒冷期が来ているため、かなり食指が鈍いです。なんとか時間をかけて取り返していければいいのですが……。

前回のnoteの不穏さからして、自分も含め「本気で死のうとしている」と思っていた人は正直誰も居なかったと思うのですが、少しでも心配をかけさせてしまって申し訳なかったです。
少なくとも、今は家族の面からして苦しくとも“死“へ行動を移すこと、それの足がかりになるような行為はしないはずです。悲しまれるということがなんとなく分かったので……。そりゃ分かってはいたんですが。

これからどうなるのか自分にも分からず、立て直せるのかも自分ではっきりと断言できずにいて不審がられる日々を送っていたりもしますが、とりあえず私はなんとか生きています。自分1人の力ではなくて、色んな人の足を引っ張って無様に生きています。最悪です。

正直、こんな個人的な事をnoteに認めない方がいいし、誰かの教訓や参考に、力にもならないとは思うのですが。なんとなく、人生においてこのライブのあった日が“天王山“になっている気がしたので、記憶の鮮度が落ちないうちになんとなく綴った次第でした。
とりあえず、今年の夏は色んなものがやってくるので、なんとかそれまでに良い感じのアルバイトで軌道に乗せておきたいのですけどどうなるかなぁ。

下を見て下を笑いながらこちらまで落ちてこられたら困るけど、こんなどうしようも無い私がいるんだから、今のみんなには少しでも長く笑顔でいて欲しいかなぁ。

ほんじゃ~~~~の。レッジャーノ。

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