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無題:タナトスの涙もしょっぱいといいな

去年、すなわち2023年の特に後半から、自分の“死“についてとかく意識するようになった。
なにか重大な罪を犯し早く“楽になりたい“人間が死刑を乞うかのように、はたまた数多の拷問の末に苦痛から解放されるため死を乞うかのように、自身に対して“死“を求める思考が強くなっていった。

わざわざ回りくどく「~を乞うかのように」と例を出したのは、犯罪者だとかそうだとかそういう違いがあるだけで、概ね私も彼らと同じ状態にあるからである。
ある一定の時期に入ってから達成されるべき事案がまったく成し遂げられておらず、なおも逃げ続け、その中には隠し続けてさもそれをクリアしたかのように振る舞うような人間だ。
それでいて、そういった事態を招いたのは紛れもなく自分自身であり、外的要因を加味したとしても重大事件の犯罪者と重なる部分が多い。自身が犯した罪を“死“によって贖おうとする姿勢がまずそうなのである。
「生きて罪を償え。」自分に向けられた訳でもない声なき声に応えるならば、まさしくその通りだった。

だが、だからといって私は簡単に自身の“死“を敢行できる程の胆力は無く、行動力も無い。しかも、別に自分は死にたいわけではなく、肯定してもらえるのであれば生きていたいのだ。私をこの世界に繋ぎ止める楔がまだいくつか存在しているからというのもあるだろう。

そうした、「己自身が発生させた、自己責任論をも含めた全ての苦しみから解放されるための“死“」「頭の中で“死“のシミュレートをするだけの、行動力も何も無い堕落した日々」「生き“たい“理由もある、頑張り“たい“理由もある」「生も死も謳歌できない愚かな自分」………。と、日によって表す言葉は違えど、そうした意識が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す日々を送り、自己の課題を思考の海にただ浮かべてチャプチャプしているだけで放置している。

自身の課題に気付いておきながら、いつも何かに嘆き呻き勝手に苦しんで、ありもしない、ありもするであろう正論や苦言を投げかけられる妄想に怯え、最愛の人達にすら愛想を尽かされることに体を震わせ、それでもなお何も変わらない自分をお送りしているスポンサーが誰もいない人生番組をやっている。


クソみたいなあらすじを書いたところで、自分が死ぬことについて考えている間に近い身内が亡くなってしまった時の話をする。2024年初の無題シリーズ。



いつかのペット(家族)が亡くなった時のように、訃報を聞いたのは自分が朝起きた(それで起こされた)時のことだった。

自分が密に関わりのある親族はごく少数だ。だから葬儀の出席も記憶が朧げな幼い頃に1回あったかどうかのレベルで、まともに焼香をしたのも今あげたペット(家族)の葬式の時以来で、10年以上もの歳月が流れている。
今回亡くなった方は、指で数えても記憶がハッキリしている会った回数が片手の数でギリ数え切れるかどうかのレベルで、私自身は良くしてもらっていたが、頻繁に会ってはおらず正直距離感というものがあった。

それは居心地の悪いものというのでは決してなく、物理的な距離も含めて私とその故人を隔てていたに過ぎなかった。だからいつも挨拶する時は、お互い踏み込み切らずに会話が進められていくし、会話の中心に自分がいる訳でもないから、当たり障りもなくその回が終わっていくような感じだった。そんなものだから、未だに呼称でしっかり本人たちの前で呼んだこともなかった気がする。

大きくなってからまともに写真も一緒に撮っていなかったし、何か出来ることがあったのかもしれないと今になって少し悔やんだ。
が、悔しさよりも、自分とその故人との距離感はそうあるべくしてなったはずで、私が遠慮しがちな性格なのもあるのだろうが、事が起きる前に何か自分が変えられることって特になかっただろうなと思い、落ち着いた。強いて言うなら、1人でその人(たち)に会いに行くことをしなかったというのが挙げられるだろう。これも行動力の無さに起因しているわけである。


そんなこんなで、親族の関係としては近いものの「密」かと言われればそうでも無い、ただ漠然と「そこに在る」存在としてお互い別の世界で生きている。そんな認識をしていた人がいきなり亡くなったのを口頭で聞いて、何となく信じられずにぼんやりとした悲しみに包まれる数日だった。


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葬儀当日、季節は冬。朝はこの時間まだ暗くて生活を開始している人々の多さに頭では分かっていても毎回驚きつつ、都市の息遣いを感じさせる交通網に身を委ねていく。
高校の修学旅行ぶりとなる、というと遠征組に飛び蹴りをかまされそうだが、そんな新幹線に乗って車窓とGoogleマップをぼんやり眺め、行先を目で追ってフォロワーの故郷に思いを馳せる。まさかこのような機会で乗ることになるとは、と気持ちを落としつつ、しっかりと新幹線の加速に食らいついてワクワクしてしまう。


実質初めてとも言えるちゃんとした葬儀に「大人」として参加したものの、意外にもあっさりと(個人的な感想、もちろん長いと思う人もいるだろう)終わってしまった。
葬儀が始まる前に故人の表情(状態)を見る機会があり、私はそこで実感して悲しみのあまり泣いてしまうのかと思っていたのだが。魂が失われた空の器を初めて見た時、なんとも、絶句してしまった。葬儀屋の整え方に問題があったのかもしれない……が、涙が枯れるほどの悲しみにおそわれたというか、その表情が今も脳裏に浮かび上がり、辛い。そんな感想しか抱けなかった。

挨拶をした親族の人たちにも気の利いた挨拶をすることが出来ず、なんて声をかければ良いのか苦悩した。個人的な話なのでぼかすために構成が分かりにくく申し訳ないが、喪主とお会いした時なんて特にそうだ。
いつもその人は会う時に私の両腕をその両手でもって掴んでくれるのだが、そんなことをするような人が周りにいないもので、尚且つ懇切丁寧に来たことを歓迎してくれるものだから、少したじろいでしまうのが常だった。
(分かりにくい喩えだが、キングダムに登場する元趙国三大天の廉頗は、部下(幹部)を激励する時に力強い抱擁をし、指揮を大いに高める描写がある。これは後々になって読んだものなので当て嵌めたに過ぎないが、両腕を手で掴まれるのは不思議と何かしらのパワーがあるような気がした。恐らく一生記憶に残るものだと思う。)

今回もそうなるべくしてなったのだが、私は1番の不幸にあったこの人にどう声をかけるべきか、言葉が詰まりただ頷くことしか出来なかった。何となく、強く抱き締めたい思いはあったのだが

その日は大雪の予報もあり(結果的に大変な目にあうのだが)、足早に帰るためしっかりとした挨拶も仕切れないまま式を終えて帰ることになる。葬儀では多分よくある枠だとは思うのだが、私はただとんぼがえりをする遺族枠になってしまい、心の中にわだかまりが出来てしまった。

その後の帰路の方が大変だったためにその記憶が1日の中で比重を占めてしまったのが辛く、また雪が降り始めた時は故人の想い『立ち“往生“=まだ帰らないで欲しい』という天の現わしなのかと思い、尚も辛く1人で涙を浮かべていた。
落ち着いてからしばらくして流れた車中の曲も(狙っていないし、前からそういうセットリストだった)しばしば自分の心情に重なる部分も多く、三重苦という感じだった。藤井風の「花」とかもう、

葬儀とその後に続くなんかの間は、合掌をしたり焼香する以外は黙って聞いているしかない。大人たちも今の私のように“最初“が必ずあった訳だが、どんなことを考えながら式に参加していたのだろう。

まず、仏教儀式にほぼ参加したことがなかったので、そもそも経験として勉強にはなった。お経は何を読んでいるのか全然分からないが、たしか宗派によって違かったりしているし、固有・固定のものやお坊さんが独自に編んだ読経もあるんだよなとか色々考えつつ、儀式に使われる道具による音響効果や所作などについて観察をしていた。
声がやけに通るなと思っていたが、そういえばいつかの講義でもやったように、服だか袖のどこかにマイクを仕込んでいるみたいな話を聞いたことがある。

なにぶん初めての場なので、儀式中はよく周りの様子をみてしまう。立ち回りを合わせる必要も生じるからである。また、位置的に特に悲しみに暮れる人の姿や、後ろの人達のすすり泣き、一般席の様子等色々見れたわけで……。
私の場合、あまりの衝撃でまだ故人の死が実感出来ていなかった分、残された人たちの悲しみを感じ取ったり、想像をすることで泣いてしまうのが回数として1番多かった気がする。今故人が主役であるはずなのに、そういうことで泣いてしまっていいのかな、と思いつつ、在りし日の故人を思い浮かべて辛いこともあった。



そういう訳で、自分が「死にて~」とか勝手に考えていたら憂き目にあう羽目になってしまい、こんな時期であるからこそ、故人の死のタイミングは私の人生において何か大事な一因になっている気がしてならなかった。
もちろん、私が死にて~とのたまっていることを知っているのは、今見ているあなたたちを含めたインターネットの人だけがほとんどなのであるが、私は引き留められ、考えを改めるようにと故人に促されているのだろうか。

また、自分が死んでも友人がどう反応するのかも分からないし、悲しみとかあるのかな?と思ってしまうし、身内だとしても、その悲しみを抱えながら程なくして亡くなるか、悲しみも薄れていくのだから別にどうってことなくないか?と薄情に思っていたのだが。

実際に見ているとやはり死者を送る儀式として日本人にとってこれ程仏教が即していることってないなと思った演出効果だったし、少なくとも自分が死んで泣く人がいるのかもしれないかと思うと胸が痛む。しかもそれ見れないし。
自分はこんな式を催されるような人間でもないからと思いつつ、私が今回見たのはその人の人生の終着点だからこそ成せた規模のもので。
私はそんな場所にまで到達できるのだろうか?という疑問と、これはまだ序章に過ぎず、これを皮切りにどんどん身内が亡くなっていくだろうという哀しみの連鎖と、そういう時期がやってくるにまで自分がなんとなく生きてきてしまったという違和感、葬儀の運営を執り行う立場にいずれなるかもしれないという可能性とか、それはもう色んなものを無駄に肩に背負い込んでしまい勝手に辛くなってしまった。

ここ数年で冠婚葬祭(祭を除く)をひとしきり体験してしまい、強制スクロールで勝手に大人になってしまった(裏を返せば、周りの尽力でならせて頂いているのである)ことを実感しつつ、まだまだ心が育っていないクソガキでゆく先々が本当に危ぶまれる。

今回の『葬』の部分で分かったのは、自分が故意に死ぬことに対する懐疑さをなんとか獲得しつつも、そんな心の整理をいつまでもグダグダとし続けているうちに自分が参加する人生のイベント招待状は否が応でも叩きつけられてくる。だから、私は心と体(テイ)を早急に整えなければ生き恥を晒しながら無様に生き長らえていく羽目になるということだ。もちろん、いつまでも健康なわけが無いので急にぽっくり死ぬかもだが。

そんなわけで、死人(しびと)に対する対応の仕方からして、「誰も幸せにならない」としばしば諭される自の殺は余計できないだろうなとなった分、じゃあこれから自分はどう踏ん張って生きていくんですか?ということになるわけで、結局行動もせず答えも写さぬままこの話は勝手に終わるのである。

『(本当普通の大人になっちゃったんだね?)』と「花女」の歌詞にあるが、大人になってしまったと実感するトリガーとして、自身の中でとぐろをまくようなものもあれば、自身の周りに巨大なナニかが蛇行して、「その時」になればいきなり牙を向けてくる大蛇のような要素もある。

いつまでも、普通の大人にすらなれない人間がいる。

(現在オール済みにつき、原文の確認は怠ることにする。)

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