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斯くして、虫の音は消え去った

筆の柄の部分が腐り、墨汁は枯れ、硯は欠け、筆毛は抜け落ちた。それでも、書かなければならない。


今年の冬は、というより四季の指揮系統が軒並み破壊され、意味の分からない年を過ごす羽目になった。
気づいたら暑く、涼しく、寒く。と、これまで幾度と積み上げて来た変化に対して、そう約束されているものなのに、まるで毎年初めて味わうかのように、季節に翻弄されていく。
それでも、秋虫たちが去っていく瞬間を私は逃さなかった。しかし、秋は彼らを逃がしたのだ。私を置いていって。入れ替わるような寒さと、静寂。澄み渡る空気と煌めく星空。星は遠い。

冬のことは、好きなのか嫌いなのかよく分からない。


今回は、変わらない自分について書くシリーズの3部目。5月-8月-11月の経過。読んでイライラしたり、嘲笑ったり、教育無免許もちの反面教師としてぜひご活用ください。

それでは、さようなら。


今日は久しぶりに、自分の意思だけに従い歩いた日だった。お決まり月曜の逃避行。前期と比べて、私が家を出るのはだいたい夕方前辺りで、この時期は特に暗くなるのが早い。だから、すぐに暗闇が私を飲み込んでいく。日の入りが遅かったかつての日々の方が、まだ幾ばくか明るい気持ちで歩くことが出来たのだろうと、辛くなる一方。

最近は定期圏内の比較的近場で時間を潰すことが多いが、正常に動いていればすぐに終わる時間もひどく長く感じて、辛い。車のヘッドライトは眩しく、あわよくば轢かれないだろうかとすら思う、歩道のない道を歩いたこともあった。もちろん、そうもいかないのでスマホの明かりでなんとか存在を示す。

大抵目的がない時、私は水場を求めてさまよう。つまりは、河川だ。1番いいのは海ではあるのだが。今回は川の近くにビオトープが整備されている素敵な公園を目的に歩き始めた。

その喉元にたどり着く前、綺麗な上弦の月とすすきが揺らめく、夕暮れの景色を目にした。置き去りにされた秋が目の前にあらわれ、私はつい写真を撮った。稀に、こういう脳髄を刺激するシャッターチャンスというものが存在したりする。嬉しかった。
こういう時、そういう場で足を止められる程度の感性を持ちえた自身の歩みに少しばかり感謝する。

公園に着いた時は、もう夕暮れの終わりに差し掛かる時間帯だった。目的の先へ向かった歩行者がはけるのを待ちがてら、少量の承認欲求を解消すべく、写真を投稿した。ただ、今の自分はこの写真に良い文を添えられやしなかった。

そののち、目的地へ向かった。公園内で1番ひらけていて、なおかつ川の近くに接岸できる場所。その目に映る景色の情報全てが、なにか私に訴えてくるような良い場所だった。

水流、その紋。魚が時折見せる波紋と、水しぶき。揺れる水草。どこかへ帰る鳥たち。枝葉から見える夕暮れの空。片方には夜空、月。クレーンのランプと、工場の明かり。冷たい風。………。

その後、どうしようもなく暗がりの中、目を慣れさせて、かろうじて人がたどれる道のある自然道にやや無心で入っで歩いたり、とか。
普段は人の気配がする場所を歩くものだから、なんだか久しぶりに自然に取り残されているような感覚を味わえた気がする。冬の夜は冷たいから、自然もきっと私に冷たい。


このように、久しぶりに自分一人で外を出て、なおかつなにか刺激されるようなものを獲得できたので、その情景に背中を押されてなんとか筆を取った。
11月は変な140字のつぶやきで済ませてしまっていたので、記事の方でも書こうかと、今の自分の醜態ぶりでも書こうかと思ったのだが、今回はそれがオマケになる程度の内容を獲得できてよかった。



ある人は、自分を褒めてくださる時に「見えている世界の切り抜きかたと、語彙の素晴らしさ」について言及してくださるのだが、ここ最近の筆の腐り具合にはさすがに焦るものがあった。

これからの将来が青地図から血塗れに、いや、もはや無血開城ですらあり、もはや黄ばんでいる。それに伴い、自分も共に腐っていってる感触がする。
まず、文章を書くにあたり、自分の書いたnoteを読み返すという行為を実行するのにだいぶ時間がかかった。こんなに書けていたのかという驚きと、まるで別の人の文章を読んでいるかのような感覚。
これまでメンタルが終わった時に紡いでいた無駄な言葉も、今となっては出力するのも困難になってきた。これじゃあ、これじゃあ、他人との縁をつなぎ止めている糸が切れてしまうという無力感が漂ってきた。

でも、(毎度この褒め言葉で嬉しくて、苦しいんだよなという思考に支配されていて)その人は「そこらへんをのびのびやってもらえると」ってちゃんとおっしゃっているのを見落としていたことに今気づいたんだよね……。(ちゃんと文章は全部読もうね!)


ぶっちゃけ、Off Vocalで投稿するので読まれないと思い、書いてしまいますけど、本当にこの人大好きなんだよな。
酔いにかまけてなのか、そういう話題だったからたまたまそういう会話の導きだったのか分からないけど、「やれることは一緒に『やりたい100のこと(※私が書いたやつ)』やっていきましょう‼️」って言われた時は、正直もうなんだか泣いちゃいそうだった。
この日の夜は特に、下半期に入ってから1番やる気のスイッチが入りかけて、頑張ろうと思えた瞬間だった。(なお)

でも、このまま人生が転落していけば他の人はともかく、この人にも見捨てられていくのだろうなという危機感がとても強くて、つらい。自分とは対称的に、命削ってガリガリ頑張っている方なので、発言の度に自分の心臓にいがぐり・ウニ・ガンガゼが突き刺さっている。
けど、頑張れそうもないのでもう、あれかな、って。


自分の現状について一言で言うなら、未来が無いです。まだ、せめて9月から頑張れば何とかなれたものを、そのまま逃げ続けて、ラグナロクが遂にやってくるといった感じでしょうか。立ち向かうための姿勢が崩れに崩れて、毎晩自身の機嫌や正気を保つのに手一杯で、でも、どうしようも出来なくて。いつ死のうか、どういう感じで死のうか、その道筋をまるで旅行の計画を立てるかのように妄想もするようになり始めました。さほど深刻では無いですがね、我が身可愛さなので。

本当に解決したいのなら幾らでも方法があるはずなのに、いつまでも1人で浅瀬で溺れていて、そんな姿をもはや1年ほどみんなに晒して、呆れていることだろうと思います。
それはそれとして、それにどれだけの正当性が担保されようとも、腹が立つ発言についてはイラつくので、なにかあっても胸の内か私のいない身内にて陰口でもたたいておいてください。たたいても、もう発熱しないし、良い香りもしないけど。



お元気で!

こーどおぶここnoteは、私が無事に狂えたら書こうかなって思ってます。じゃ。

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