見出し画像

無題:雪解けに混ざる泥土

 1日も経たずに、永久凍土が溶け出した。それはとても喜ばしいことで、いつものTwitterライフに戻っている、今のところは。
 ただ、いきなり溶けだすものだから、海水面は突如として増えていき、その水は溢れ出していくことになった。

、詰まるところ、この思考に意味は無い。ただ、前回の駄文とはまた違った感じになる。正直、何を書こうかというその思考さえもすぐにぼやけてしまうこのふやけた脳で、泥土が混ざるこの汚い雪原を歩いていこうと思う。
 最近、こんなことばかり考えるから、昔の自分は一体何を考えていたのかと不思議になるし、それを知る手がかりが少ないことへの憤りを抱いている。昔はあんなんだったな~というのは、結局今ある自分から回想される主観でしかなく、そして今この瞬間の私もその回想の対象に入ってしまうわけである。

 そんなわけで、書こうとしたことがすぐふわついてしまうことにすらいら立ちを覚えているので、後で見返してこれを下書きに戻そうとも、まぁいつか意味あるものになるだろうとは、思う。


 離れ小島で観測していた私は、時折船を漕ぎ出して本土の土を踏んでいた程度で、ちっぽけな存在だった。住処の島も護岸工事でガチガチに固められ、それはそれは小さいものだった。別にこれで満足だった。

 気づけば、私は本土に移り住み、23区とは流石に言わずとも、首都近郊のどこかにいるような感じになっていた。私は私なりに振る舞い、好きにやらせてもらっているとは思う。ただ、“こんな“私の周りに人がやってきて、声をかけて仲良くしてくださる方が増えてきた、そんな気がした。
 事実、私が氷漬けの中で覗いたその鏡面には、幾らか私の名前をあげてくださる方がいたようなのである。離れ小島出身の田舎モンがよくもうまぁ、といった感じである。

 私は、自己を過小評価するし、長所なんて、良い所なんて見出すことなどできない。節目節目で書いた自身の長所など、忘れてしまった。長所は驕りに繋がることでもあるし、何よりもネガティブ思考が過ぎていて、自身の良さなど全く分からない。だから、私の良さについて指摘されても、おおよそそれを素直に受け取れず、ははーっといった感じで平伏してその言葉を賞状を貰う時のように受け取るのである。畏れ多い。

 なのだから、私の名を呼び、慕って(これこそ驕りの認識だ)くださる方が何をもって私にそうしてくれるのか、あまり分からないのである。騒ぎに騒いでいるこの私が。まぁ、ごく最近はnoteを書くこともあったから、それで良いと思ってくださった方もいたのだろう。恐れ多すぎる。

 とまぁ、凍結してからというもの、私の名前を挙げられるのはひどく嬉しく、死後現世に一度留まって人々のその反応を見ているような感じだった。これなら、幾らか想ってくれるなら、あぁ死んでもいいなァとすら思うほどだった。

 ただ、私は段々虚しくなってきた。もちろん、しばらく頭の片隅に残っている方もいたかもだし、そもそも凍結解除から私を出迎えてくれる方も何人かいた。でもきっと、すぐに忘れ去られて行くのだろうと思った。それは現実世界でもそうだし、ネット社会でもそうなんだろう。

 凍結されてからというもの、Twitterをやらずとも結局それに変わる何かをすることはなく、いつまでもやるべきタスクに手は伸びなかった。あの空間は、私が形成した、そして隣人が織り成す空間であり、それは私の全てですらあった。
 私の現実世界は、悲惨だ。と、悲観的になる。
 中学時代までは結構友達が多い部類だと思っていたし、同じ代の男子なら大体は顔見知りですらあった気もした。しかし私は広く、浅い。
 中学卒業とともに買ってもらったスマホで交換したLINEの数はまぁまぁなものではあったが、先に比べれば少ないもの。それに加えて、会話するやつなどひと握りだ。
 成人式で会ってみんな立派になっていたが、それ以降もそれ以来も、同級生の動向はまるで知らなかった。地元の高校通いだったから、駅で会うことも、なかった。最初の親友で、しかも1番近所にいる男友達なのに、今も昔も何をしているのか全く把握していないし、彼が何を思っているのかも分からない。

 唯一の救いは、昔からの付き合いである男子グループに私も属していたことである。高校、大学と、今は疎遠気味ではあるものの、関係は続いた。ただ、私はそこにいるべき存在ではなく、高校生の時から会う度に聞く彼らの話は酷く輝いており、私はくたびれたものだった。今も変わらないし、彼らは輝かしい未来を歩むのだろうと思う。

 成人式やその1年位前の折にインスタを作れと言われたから、それ以来動かしてはいて、地元のヤツらと繋がる機会は増えた。ただ、結局のところ、私に関心があるのはゴシップくらいなのだろうと吐き捨てている。成人式は、あの一時だけ中学時代に戻れた気がして、本当に楽しかった。それだけだったのかもしれない。

 でも、ネットの方に目を向けてみると、どうだろう。あんなに冷たい空間であるはずなのに、私に向けられる言葉には常に温度を感じるようで、とっても嬉しい。対面にはおらず、どこか遠くにいる、お互いのリアルなど何も知らない他者の存在がこんなにも、嬉しく、愛おしく思えるのかと不思議な気持ちになる。
 表示されたただの文字列でも、その先にあなたがいて、口に出して話すよりも手間なそれで私に発信をしてくれるということ。それがたまらなく嬉しいのだ。私でもこんなのだから、価値観が同じなら推しはもっとそんな気持ちになっているのかもしれない。

 ただ、ネット社会の繋がりは一瞬で、きっとすぐにちぎれてしまうものなんだろう。別に私を死ぬまで覚えていろだなんて言うつもりも、頼むつもりもないが、急にそのことを感じて悲しくなってしまった。

 私は、こうしたネットの人たちとの関係性が切れることに酷く不安を覚える。中学当時、ハマっていたモンハンのオンラインで出会った仲間たち。部屋を作り一緒に狩りに行っていた彼らはいつしか、いつだったか、動向も掴めずインターネットの海に消えてしまった。フレンドのメッセージ欄でか細く連絡していた当時にとって、彼らの足跡を掴むことなどできやしなかった。スマホもまだ無かったから、ゲーム内のチャット欄でSNSを聞いておくという頭もなかった。
 彼らには、もう二度と会えない。でもきっと、こうして当時のことを思い出しているのは私だけなんじゃなかろうかと、未練がましいだけなんじゃないかと、悲しさを覚えてしまう。

 私がもし家庭を、子供を授かるとして、この世に我が子を生み出してしまうその“エゴ“があるのなら、それはきっと、私のことを1番忘れないでいてくれるのは実子なのだろうとすら思うほどだ。
 
私はいつからか、忘れ去られてしまうことに酷く怯えるようになってしまった。
でも、性格上忘れないでと、強く求めることなどできないし、降りしきる雨にかき消されるようなか細い声で言うことしか出来ない。その思いですらも、私のエゴなのであるから。
 私のこと、覚えていてもなんもいいことは無いから。限られた脳のメモリーに私を含めることなど、あってはならない事なのだ。

 私はインターネット、向いていないんだと思う。自らが湿地帯に足を踏み入れ、その中で身も心もぐちゃぐちゃになっていく。ばかみたいだ。
そんな中でも、輝くものが、言葉がある。
今回の凍結はそれをわずか一瞬でも拾うことが出来た、幸ある出来事だった、という話である。

人を想う気持ちだけでなんとかなりませんかねぇ!ほんとに。まぁ、それ以上でもそれ以下でもないから、そんなことのレベル止まりだし、他者への奉仕なんて嫌だしね、あーあ、なんかYouTubeに脇道逸れてたら気分変わっちまったな おーわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?