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舐めたらあかん、初対面

「自分が好きなものを否定されると悲しいですよねー」的な話をしたら、
「えっ、嗜好について議論できないってことですか? 寂しいですね」
と言われたのが、ボディブローのように効いている。

相手はマッチングアプリで知り合い、1時間ほど前に「初めまして」の挨拶を済ませたばかりの人である。

「ま、まあ否定のされかたにもよりますよねー議論の余地がないくらいきっぱり言われるとどうしても、っていうね! アッハッハ」などと返した気もするが、もはや記憶はあまりない。

気がつけばその人とは別れていたし、いつのまにか本を2冊買っていたし、しまいには以前のバイト先に駆け込んで、当時からの友達にその出来事を涙ながらに語ったりしていた(仕事中マジごめんね)。


…ボディブロー、いや、クリティカルヒットかもしれない。

私が「好きなもの否定されるのやだー」と言った2秒後とかに、

  • あなたにとっての好物は、他者にとっては違うかもしれないんですよ? 独善的ですね

  • そもそも、それは本当に「否定」だったんですか? ただディスカッションをしたいと思っただけかもしれないじゃないですか。度量が狭いですね

  • あなたはただ共感を求めているだけ。議論もできない関係性なんて非生産的だと思いますけど

これらの煮こごりみたいなのを投げつけられたわけで。
切れ味といい反射神経といい、鋭すぎる。ジャックナイフどころか、もうニードルである。


私は、「初めまして」がわりと得意な方だと思っていた。
なぜなら、よほどのことがない限り、初対面の相手に「意見」をいただくことなどない…と考えていたからだ。

お互い、安全圏に腰を据え、当たり障りのない会話で腹を探り、そこから得られた上澄みのようなもので、相手の人となりを推察する。
これが「初めまして」のセオリーだし醍醐味じゃん? などと思っていたのだ。

そういう意味で、私は「“二度目まして”以降が勝負だよねー」とか吹聴していたこともあったのだが(もう言いません)、
今回のケースは、まあ「五度目まして」とかだったら起こってもおかしくないかな? くらいのことが、ものすごいフライングでやってきた、みたいな感じだ。

「“五度目まして”はフライングする」という体験は、私の肯定感をしっかり叩き潰した。
この段階なら踏み込まれない、と高をくくっていた私が甘かった。


そんな出来事を経て、「じゃあ私は実際、議論が苦手なんだっけ?」と振り返ってみたが、特段そんなことはない…と思う。
もちろん、相手が頭ごなしに否定から入ってきたら「なにくそ!」と思うこともありうるが、基本的に論じるのは好きな方だ。

たぶん、きっとそうであるのに、「寂しい人」とまで評されたのは、私がよっぽど鼻持ちならない自意識的なものを、言動の端々から放ってしまっていたからだろう。

まあたしかに、仕事でこっぴどく揉めた翌日だったし、鼻息の荒さを残したまま臨んでいたかもしれない。
なんなら「私って何も悪くないですよね?」みたいな面構えをしていた可能性もある。初対面の人からしたら最悪である。

自我が強くなっているときに「初めまして」をすると、とんでもないカウンターを食らう、ということがよくわかった。


…と、反省はしているものの。
(わずかでも私が先方のお眼鏡にかなっていたら、こうは言ってこないでしょうね…)とも思っている。

相手がどうであれ、私はニードルでブッ刺すみたいことはしないよう気をつけねばと、帰りに大戸屋で麦味噌汁をすすりながら誓った。

(サムネイル写真は、動転しながらいつのまにか買っていた本です。お料理、美容もがんばるぞ♪)

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