スカートの線、気にならない?

東京で4年前にとある20代のアルファツイッタラーさん(以下、αさんと呼ぶ)と会ったのは、碧志摩メグが燃えた直後だったように思う。

基本、私はこの手の絵の「社会進出」については「○気にしない」(×気にならない)派だ。少女マンガを読みながら育ったが、「なんで私はこんなに目が小さいんだ?」とも思わず大きくなった。人の脳は意外とうまくできていて、その程度の飛躍なら軽々と補正して、日常生活に影響を及ぼさない。

αさんとtwitter上での「フェミ(とは限らない)vsオタク(とは限らない)」対立事象についてなごやかに意見をかわし、碧志摩メグの話題になった。

「出すなと思ったりはしないけど、絵の描き方はさ、正直かなり女性の体をエロく強調してるよね?」と私が言ったとき、αさんはきょとんとした顔で、「どのへんがそう思うの?」と聞いてきた。「いやあの、胸の影とかさ、衣服の貼りつき具合とかさ…」「ほら、乳首のあたりの影がいっそう濃くなってて、ちょうど乳首が浮き出ているみたいに…」。ちょっとむきになりながら懸命に説明したが、αさんのきょとん顔が変わることはなかった。

そうなのだ。ほんとうに私に見えるようにはαさんには見えていないのだ。「そっか、エッチなのを広めて喜ぶとかそういうのではないんだな」と、私はそのとき初めて知ったのだった。ラブライブ!コラボの西浦みかんポスター絵が炎上して、私はこのときのことを思い出した。

「透けてる?」という画像付きのツイートを見たとき、「あー」と思った。そこには「透けてる」と見ればかなりバランスの悪い、「透けてる」と見なければなぜそこに線があるのかちょっとわからない、そんな少女のイラストがあった。

私はたしかに同世代の友人たちに比べてこの手のイラストに馴染んではいるが、ラブライバーではないし、ラブライブ!も未視聴だ。そこに傾ける愛情があったらもっと違うもの(たとえば「JAとコラボ、うれしいな」とか「みかん好きの千歌ちゃんがみかん大使、ぴったりじゃん」とか)も見えてくるのかもしれない。

「こういうポーズを取ればここにしわができるんじゃないか?」「風が吹いてたとしたらどうよ?」「動きを出したかったのでは?」「下書き線の消し忘れでは?」等々。twitter上では線の存在を腑に落としたい人たちがあれこれ書いていた。(私はいくつかのポーズがプレゼン時に出され、「ここをこうして」「これはなくして」と声を反映していくうちに、流れでこうなったんじゃないかと予想している。腑に落ちないのは気持ち悪い)

「やっぱりあの線はいらないなあ」と思いながらも、口を出すほどその周辺の教養もない。後ろ髪をひかれながらも私はいつもの日常に戻る。世の中はいつも不快と雑音に満ちている。スルーだスルー! もっと大事なことはたくさんあるのだ。

ただ、プリーツスカートのひだをていねいに整えて吊るす、寝押しする、そんな毎日を送っている(いた)子(人)たちには、何かしら自分の経験とともによぎったことがあるんじゃないだろうか。

ひだがよれたり、スカートが風で巻き付きそうになったら、ひっぱったり押さえたりする、乳首の影が出ないようにアンダーウェアでもトップスでも色や形に気を遣う、下着の線が出ていないかどうか鏡で、あるいは直接触ってこまめにチェックする…、これらが自分の中のミソジニーや性嫌悪から来る過剰な行為なのかは正直いまもよくわからないままだ。

みかん大使就任でポスターに使われることになって、いろいろポーズとってOK出たけど、なんかあの線すっごく目立つ、「やっちゃった! …どうしよう」とその場に座り込んで泣きだしたくなるような感覚。うん、私じゃないんだけどね。わかってる、わかってるってば。

「千歌ちゃん、大丈夫だよ。ネットにアップされると全体が一瞬で目に入るから気になっちゃうかもだけど、ポスターで見ればまず顔に目が行くし、見る人の目の高さとかあるから、ほら、あんまり気にならないよ」。隣りに座って声をかけるシミュレーションが脳内で勝手に開始される。わかってる、私にポスターでやらかした友達はいない。

ちなみに、αさんにはそのとき以来、一度も会っていない。また会うことがあったら、あらためて聞いてみたい。「スカートの線、気にならない?」 …気にならないならいいんだ、ホントにいいんだ。


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