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ジョージ・ハリスンを愛でる!

✔︎2027年公開のビートルズの伝記映画!
✔︎盗難されていたポールのファースト・ホフナー・ベースがポールの手元に戻ってきた!
✔︎ジョンとヨーコの "WAR IS OVER" にインスパイアされ制作された映像作品が第51回アニー賞で短編アニメーション作品賞を受賞!

など、2月後半も興奮するビートルズ関連ニュースがいくつも届いていますが、2月の目玉イベントは何をさておき我らがビートルズのリード・ギタリスト George Harrison の誕生日です。

まず最初の確認事項として、ジョージの誕生日には2月25日説と2月24日説が存在しているのをご存知でしょうか。
ビートルズのデビュー後、プロフィールなどでは2月25日生まれと記載され語り継がれてきましたが、ある時から「いや、本当は2月24日だよ?」という声がちらほら聞こえてくるようになりました。

ジョージが生まれた日について、ビートルズ研究家の第一人者マーク・ルイソン氏の『ザ・ビートルズ史』にはこう書かれています。

赤ん坊は予定日より三週間近くも遅れて1943年2月25日木曜日になってからわずか10分後に二階の表側にある寒々とした寝室で誕生した。

マーク・ルイソン著『ザ・ビートルズ史』〈上〉

1990年代初頭に、『ジョージの出生時刻は1943年2月24日午後11時50分だった』という病院の文書が新たに発見されたとかで、24日説をジョージも唱えるようになっていましたが、「そもそもジョージは病院ではなく自宅で生まれたんだよ」と両親やきょうだいが証言しているので、個人的にはやはり2月25日説を推したのでいいんじゃないかと思っています。

ただ、二日に渡って誕生日を祝うことは決して悪いことではないので、2/24と2/25は連日ジョージのバースデー気分で過ごすことにしましょう。

ジョージ・ハリスンについての資料諸々

ジョージゆる歴史まとめ

そんな基本情報から早速我々を惑わせてくる魅力的なジョージ・ハリソンという人物についてわたし目線で簡単にまとめてみたいと思います。
(※以下本文は、個人的な好みからハリスンではなくハリソン表記とさせていただきます。)

誕生〜クオリーメン

ビートルズは1940年生まれのリンゴ・スター、ジョン・レノン、1942年生まれのポール・マッカートニー、そして1943年生まれのジョージ・ハリソンの4人で構成され、つまりジョージはメンバーの中で最年少です。

Harrison Family

ハリソン・ファミリーでは両親のもとに姉一人兄二人の末っ子として生まれ、裕福ではないながらも愛情を注がれて育ちました。
結構自由にさせてもらっていた印象で、ギターを始めた時も特に母ルイーズは練習に付き合い励ましてくれたと言います。

やんちゃなジョージ少年は学校が嫌いで、態度服装髪型などできっちり反抗的なお気持ちを表明していたようです。
「小学校を卒業し名門と言われるグラマースクールに行くようになり僕の暗黒時代が始まった」と本人も語っています。

ポールの一学年下だったジョージですが、通学するバスで知り合いギターを通じて仲を深めます。
そしてポールがジョンと出会いクオリーメンのメンバーとなったのち、ポールによってジョンに紹介され、ダブルデッカーでのギターオーディションを経て晴れてクオリーメンへ加入。ここでビートルズの三人が集結します。
1958年の初めのこととされています。

ビートルズ時代

ビートルズ期のジョージ雑まとめ

ジョージはとにかくギターを愛する少年で、ハンブルク時代スチュアート・サトクリフの脱退後に新しいベーシストが必要となった際も、ジョンと共に頑なにギタリストのポジションを固辞しポールがベースを弾かざるを得ない形になる訳ですが、1962年のビートルズのデビュー後もしばらくは「ギターさえ弾けたらそれでいい!」と言う感じだったのが、レノン・マッカートニーチームが作曲する姿を身近で見ることで「自分にもできるかもしれない」と作曲を始めます。

でも、それはとても困難な道でした。

強烈な才能と個性を持つジョンとポールの陰で、残念ながらビートルズの活動期間にはメンバーやスタッフに正当な評価を下してもらうことが出来ず、自作曲を発表するチャンスは極端に制限されてしまいます。
シングルA面B面はもちろん、アルバム14曲のうち1曲でも自分の楽曲を入れてもらうのは非常にハードルが高く、なんならレコーディングの時に聴いてもらうチャンスさえなかなか巡って来ない状況でした。

しかし、ビートルズ中期にはアルバム "Rubber soul" でシタールを演奏し、"Revolver" には初めて自作曲が3曲も収録され、ジョージは過酷な環境下でも音楽性の幅を広げ作曲の才能を磨き急成長していきます。

ただ、不運なことにほぼ同じタイミングで天才ポール・マッカートニーの才能がさらに爆発し、ビートルズがライブツアーを辞めさらにマネージャーのブライアン・エプスタインを失ってからの活動の中で、そのポール・エクスプロージョンを前に様々な葛藤や忍耐と共存していくことを強いられます。

そんな中でも、狂ったようなアイドル生活から解放されたビートルズ後期において、ジョージは自発的に様々な外部のアーティストとの交流や東洋の哲学や音楽を取り入れながら、自らの内面と向き合い思考を深め、彼独自の音楽を追求していきます。

バンドではジョンとポールという高い壁にぶち当たり、新たに習得を始めたインド音楽では険しい修行と卓越した演奏者たちの壁に阻まれ、周り道をしながら自らのルーツのギターに回帰したジョージの作り出す音楽は、徐々にビートルズの中でも確固たる地位を築いていきます。

ソロ時代

ソロ期のジョージ雑まとめ

ビートルズ解散直後は、押さえつけられていた才能と積み上げられた楽曲を一気に放出し、満を時してリリースした "All Things Must Pass" で、メンバーの中でもっとも大衆に支持されるソロアーティストとなりました。

大規模なチャリティ・コンサートを成功させたり、自社レーベル "Dark Horse" を立ち上げたり、私生活では離婚再婚そして愛息子も授かり、音楽界以外でも様々なプロフェッショナルとの交流があったり、映画制作に注力してみたり、音楽活動から一時期離れてみたり庭仕事に勤しんだり・・・2001年に癌で他界するまでジョージはそのユーモアや皮肉や愛情や生真面目さや色彩豊かな音楽で私たちを魅了してくれました(今もなお魅了し続けてくれています)。

Wonderful George

わたしがジョージの存在を知ったのはビートルズに出会った小学生の頃ですが、ちょっと日陰な感じのハンサムっていうところに単純に惹かれました。
ビートルズは4人ともゴージャスで美しいですが、ジョージの美貌には時々息が止まりそうになります。

そしてビートルズの素晴らしいハーモニーを支えているところにもグッときて、エピソード本を読み、度胸が据わっているところやクワイエットとかいいつつとても人なつっこそうでおしゃべりなところ、ユーモアのセンスなんかにも唆られました。

ポールが初めてクオリーメンでリードギターを任された時、緊張しすぎて相当トチってそれ以降リードギタリストはジョージの担当になったとか、ジョンやリンゴはステージに上がる前に緊張で吐いたというエピソードを見かけますが、ジョージはそういう話を見聞きすることがなく、世界の注目が集まるスーパーバンドのステージでトップバッターやリードギタリストとしての重圧をちゃんと果たしててかっこいい!なんても思っていました。

I don’t like your tie.

ビートルズの音楽作りに欠かせない存在となるプロデューサーのジョージ・マーティンと初めてスタジオで対面した時の、あの有名なジョージのギリギリのユーモアにも痺れます。

George Harrison - 1962

マーティン先生とのスタジオでのレコーディング・セッションが終わり「何か気になることがあれば言ってくれ」と言われた緊張の面持ちのビートルズの四人。
しばしの沈黙の後ジョージが口を開き、「そうですね、あなたのネクタイが気に入りませんね」と言ったことで「やっちまった!」という空気が流れたのち、幸いなことに爆笑が起こり一気に場が和み、その後ビートルズは20分ほど冗談を連発しスタッフを虜にしたという英雄エピソードは、ジョージがビートルズに不可欠な存在だと示す好例のひとつかもしれません。

1964年の初めてのワールドツアー直前にリンゴが入院してしまった際に「リンゴがいないのにツアーを回るなんて意味不明。僕は行かないよ」と言い切りなんとか説得され出発したというジョージの芯の強さと友情にもグッときました。

ビートルズがまだハンブルク巡業に行く前のうだつの上がらなかった時代に、ともすれば崩壊していたかもしれないジョン・ポール・ジョージのギタリスト三人のグループを存続させていたのもジョージでした。
ジョージは演奏の場を見つけてきて二人を誘い、バンド活動が完全に止まってしまうことを防ぐ役割を果たしていました。

そして "The BEATLES : GET BACK" のドキュメンタリーの中でも、解散間近のビートルズの活動と自分の音楽的な欲求をいかに共存させられるか考えているような発言をしたりと、ポールとはまた違ったベクトルでジョージもビートルズが続いていく道を懸命に探っていたのではないかと思います。

ジョージ曲の魅力

今回改めてジョージ誕生月間に彼の遺した楽曲を聴いていて、ジョージは「やるせない気持ち」を歌わせたら右に出る人はいないんじゃないかと思いました。

もちろん "Set On You" や "This Is Love" 、トラベリング・ウィルベリーズの楽曲みたいなご機嫌な曲も、"Beautiful Girl" のようなロマンチックな曲もとても素敵ですが、どうにもならないようなモヤモヤした行き場のない感情みたいなものが詰め込まれているジョージの楽曲は、共感を抱くと共になんとなく聞いてると元気づけられる気がします。
それは何故なのかと考えてみましたが、ジョージならではの独特のコード進行から導き出される独特のメロディラインと、ジョージの変に寄り添ってこないあまり抑揚のない歌声(最高に褒めてます)が理由かも?という結論に至りました。

ビートルズ時代のオリジナルのデビュー作は "Don’t Bother Me" という歌詞を一見すると失恋ソングと取れなくもない楽曲ですが、ジョージ曰くツアー中に体調を崩して寝込んでるホテルで作ったそうで、また一説には「君も作曲したら?」としつこく言ってくるジャーナリストに向けて書いたという話も読んだことがあります。
アイドル真っ盛りの時期に、ファンに媚びるようなキラキラした内容ではなく「放っておいてくれ」とか歌っちゃうジョージが最高ですし、信頼できる!と思います。

「恋愛ソングを書いておかないとアルバムに収録されんしな」という雰囲気でラブソングも作ってはいますが(※個人的な印象です)、中期以降はラーガロックを持ち込んだり、歌詞もストレートな気持ちの表現から抽象的だったり宗教的なものが増え、しかし後期では一転してかなりキャッチーでシンプルな楽曲を披露するようになります。
ジョージは確実にビートルズの音楽性の振り幅を大きくすることに貢献しています。

やるせなさを歌った曲

わたしが特に好きな「やるせない気持ちを表現した楽曲」というのは、
Don’t Bother Meに始まり、
I Want To Tell You
While My Guitar Gently Weeps
I Me Mine
Isn’t It A Pity
Wah Wah
So Sad
Not Guilty
See Yourself
Deep Blue
This Song
Run Of The Mill
・・・
あたりをイメージしていますが、そういう心をザワつかせる楽曲があるかと思えば
Here Comes The Sun
What Is Life
Give Me Love 
Love Comes To Everyone
Blow Away
みたいな曲もさらっと歌っちゃったり、特にソロでは神への愛を隠すことなく熱烈に表現しつつ、LSDや瞑想から生まれた作品を披露してみたり、突然ロマンチストになったり、いきなりゴリゴリのミュージシャン的な姿を見せてきたり、そういうギャップみたいなものに触れながら「生きてたら色んなことがあるよな」と思わせられて、「やるせないけどきっと人生って美しいはずなんだよな」と軽く諦めつつも前向きにさせてくれる気がするのです。

George Harrison - Blow Away and Me…

ギタリスト・ジョージ

そして外すことができないギタリストとしてのジョージの魅力。
これはポールが語ったところに尽きるかな、と思います。

ギタリストとしてのジョージのいいところは誰の真似もしなかったこと。
ヒーローや手本にする人はたくさんいたけど、ジョージはその中から自分のスタイルを作ったんだ。

出典 ”Living In The Material World" - 筆者要約

決して技巧派ではなかったジョージのギターは、でもとても丁寧で、楽曲に寄り添いその良さを引き立てるために入念に練られているように感じます。

ジョンやポールよりもたくさんコードを知っていた少年ジョージは、指から血が滲むほどの練習熱心なギター小僧であり、加えてハンブルク巡業での過酷な日々でその技量はさらに磨かれ、"Till There Was You" や "And I Love Her" のような素晴らしいギターを聴かせてくれます。

また、ジョージが多様する不安定なデミニッシュコードや独特なコード進行の上に乗っかる個性的なメロディラインも、ジョージにしか出せない楽曲のカラーを特徴付けています。

ジョージは即興でピロピロ弾けてしまうタイプのギタリストではないかもしれませんが、セッションを重ねながらより楽曲にフィットしたフレーズを考え出していくプレイヤーです。

例えば今やいくつかのテイクが聴けるようになった "Let It Be" のギターソロを聴き比べてみても、より良いフレーズを生み出そうという姿勢が伝わってきます。
因みにわたしは Take 28のギターソロが好きすぎて、聞くと必ず涙してしまいます。

それから、1969年にデラニー&ボニーのツアーへの参加がきっかけで始めた スライドギター奏法も、ビートルズ・アンソロジー・プロジェクトで誕生した "Free As A Bird" やビートルズの最新曲 "Now And Then" でのポールによるジョージ・オマージュでもフィーチャーされ、特にビートルズ解散後のギタリスト・ジョージの代名詞のひとつとなっています。
ジョージの奏でるスライドの音はとてもメロディアスで、ここでもジョージのギタリストとしての繊細さに震えます。

こんな素晴らしいギタープレイヤーでありながら曲を作って歌も歌えて、ビートルズにおいては彼らの最大の魅力のひとつであったハーモニーを支えていたなんて、どんな天才かと思います。
三声コーラスでは常に一番ピッチの取りづらいパートを担当し、楽曲に一層の美しさと厚みを加えています。
ジョージが歌えるギタリストだったという事は、ビートルズの人気を支えるひとつの大きな要因であったと言っても過言ではないと思います。

ジョージという人の魅力

ジョージの人間的な魅力は、彼が他界して一年経った時にエリック・クラプトンが指揮を取り実現した "コンサート・フォー・ジョージ / Concert For George" が示してくれます。
ジョージの音楽やユーモアに魅せられた、彼と交流のあった多数のアーティストが、ジャンルや年齢を超えてジョージのために集い、愛と笑いに溢れた最高にあたたかい空間を作り出しています。

マーティン・スコセッシュ監督が制作したジョージのドキュメンタリー映画
"リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド / Living In The Material World" でも、ミュージシャンにとどまらずコメディアンやF1レーサーなどジョージのその交友範囲の広さと、友人たちに与えたインパクトや深い愛情を知ることができます。

そんなジョージと近しい人たちが必ず語るのが、『優しさと怒り』『愛情深さと辛辣さ』のようなジョージの二面性です。
神を追って、エゴにイラつき、物質社会からの解放を求め、自然を愛する人。
矛盾を抱え極めて人間的に思えるそのジョージが紡ぐ、時に切なくて儚くてやるせない、非常に人間くさい音楽にわたしは惹かれます。

いつもビートルズからは主に元気をもらっていますが、特にソロ期のジョージからはエネルギーを与えてもらうというよりは、余計な力を抜いてもらっている感じかもしれません。

わたしはジョージほど大胆でも強くもないので、ジョージというフィルターを通して、自分の力を頼りにするだけでは決して見ることのできないものをたくさん見せてもらっています。

ゴージャスだったり異様だったりする景色や人やシチュエーションだけでなく、精神世界や人間の美しい絆を知ることができ、そんな経験をする度にジョージへの想いが深まっていきます。
そしてそれは、わたしがビートルズに抱く畏敬の念と同じ類のものです。

「人生ってやるせないことも多いけど、自分のマインド次第で美しさを見つけることもできるよね」とジョージは教えてくれているような気がします。

これからもっと歳を重ね、もっと過酷になっていきそうな世界を生きる上で、もっとジョージを必要とすることになりそうだな、と少し背筋が寒くもなりますが、やりたいことやっておこう。会いたい人に会っておこう。それが無駄かどうかなんて考えなくていい。
ジョージについて深く考える中で、そんな風に思えた2024年のジョージ・ハリソン生誕の月です。

ジョージへの愛や魅力はまだまだ書き足りませんし、GET BACKでも私たちを魅了してくれたジョージのファッションについて、パティとオリヴィア、二人の素敵な妻たちとの関係などフォローしきれていない内容も膨大にありますが、ジョージへの興味関心を少しでも深めていただけたなら幸いです。
今年のジョージの誕生日には己の中のジョージと対峙しながら彼の楽曲にざぶりと浸りましょう。

▼同じ内容の動画ver.もYouTubeにアップしています。


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