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【読む雑談】#13 もう社長になるもんやと思っていた。(1/6)

雑談ラジオ # 13 独立元年から振り返ろう企画:牧貴士編をテキストでお届け。因みにほんのり関西弁。

【読む雑談】# 13 もくじ


企業人生振り返ろうのコーナーということで。
普段は僕が進行してるんですが、今日は松本さんに、気になるところをどんどん突っ込んでいただきたいなぁと考えております。
ファシリテーターとかやったとかあります?

松本
そんな、ないです。でもイベントとか座談会とかで仕切ったり、1対1で話聞いたりはよくあります。


聞いてください!
カウンセリングの勉強もしてはるから。

松本
そうですね、役立つかなぁ(笑)。


何から話しましょ。

松本
いつ独立したんでしたっけ?


2005年の9月ですね。
2004年3月に大学を卒業して、2004年10月入社で光通信ていう営業会社に入り、ちょっと成績良かったので、その半年後の2005年4月に、会社作るから東京行けって言われてそこの立ち上げメンバーで行かされて。
元々は大阪駅近くの郵便局裏の、どっかのホテルの上のオフィス階に入ってたんです。

松本
へぇ、僕もその辺の専門学校行ってたんです。


あ、そうですか。肥後橋最寄り駅の…なんちゃらかんちゃら江戸堀っていうマンションに住みながら自転車で通ってた。

松本
大阪に住んでたんですね。


その半年だけ大阪に住んでました。
それで、2005年4月東京行って、立ち上げやって、8月くらいにもういっか、と。元々社会勉強のために働こうと思って営業会社行って、営業学んで、ていう感じだったので。
東京では、23歳で、管理職で、部下持ってみてたんですけど。

松本
早いですね。


光通信はそんな感じなんですよ。
どちらかと言えば僕は結果出せなかったので、しんどいなというのもあったし、別に管理職したいわけじゃなく起業したかったんで、8月に辞めて9月から独立しました。

松本
いつから起業したいと思ってたんですか?


中一ですね。

松本
中一?早くないですか?


僕、小6の時に弟を亡くしてて。

弟は病気がちで体が弱かったんです。
親ってそっちのほうを心配するじゃないですか。僕は丈夫やったんで元気に育ってたんですけど、やっぱり親に見てほしかった。
弟が小3で亡くなって、弟が死んだこと自体は悲しくてその辺の記憶が一切無いんですけど。
子供が僕一人になったんですね。葬式とか終わって、ようやく親に僕のこと見てもらえると思って。
でも全部終わって落ち着いたら、母親が毎晩家の前で泣く日々が始まり、僕のことは結局見てもらえない。今は亡き人のことを想って泣いてるわけですから。
僕はグレて、親を嫌いになり。でもヤンキーになれるほどのこともなく、ただただ親に歯向かってた。

その流れで、父親は普通にサラリーマンで働いてたので、こんなふうになりたくないなと思って、サラリーマンは嫌や、サラリーマン以外なんやろう、社長?みたいな。
中一の頃から「将来社長になる」みたいなことを学校でも家でも言うようになりました。

それは単純にその場から逃げるみたいな感じでしたけど。
ずーっと言ってたので、気付けば、もうなるもんなんや、って自分の中でマインドコントロール。
今やから言語化できますけど、自分で言ってるのを自分がやっぱり一番聞いてるので、もう社長になるもんやと思って。

(2/6へつづく)

【読む雑談】# 13 もくじ

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牧さんのnoteはこちら > 企み屋|牧貴士

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