M-1グランプリの結果から感じたこと

こんにちは。ザワです。
昨日のM-1グランプリをこれでもかと楽しみました。

霜降り明星が優勝しましたね。
私はしゃべくり漫才が好きなので、劇場型コント漫才の霜降り明星のスタイルはあまり好みではないのですが、そんな私でもM1で一番笑ったのは「法事!」のツッコミでした。
「味噌汁大臣/ラジオネーム」というアンダーグラウンドお笑い好きにはたまらないフレーズも心震えました。
粗品さんが考えているだろうワードのパンチ力は今年のM1でピカイチだったと思うし、劇場的ネタでありながらダウンタウン好き世代に突き刺さるワードセンスは昨日の出演者でも群を抜いていたと思います。

ところで、今年のショーレースの結果は、世代が変わったなあと感じます。

R1優勝 
濱田裕太郎 平成元年生まれ

キングオブコント優勝 
ハナコ秋山 平成3年生まれ
ハナコ岡部 平成元年生まれ
ハナコ菊田 昭和62年生まれ

ABCお笑いグランプリ
ファイヤーサンダー 﨑山 平成3年生まれ
ファイヤーサンダー 藤田 昭和62年生まれ

M1優勝
霜降り明星 せいや 平成4年生まれ
霜降り明星 粗品  平成5年生まれ

ほとんど平成生まれで、まだ20代の人たちがトップに立つ時代が来たんだなあと。

中でも印象的なのがハナコと霜降り明星です。

この2組のネタはとことんポップで楽しく明るいものであり、外へ向けての毒や攻撃性、世の中の影、自分自身への自虐といったものをほとんど含んでいないのが特徴的だというのは、なんとなくみんな感じているのではと思います。

小学生の頃ダウンタウンでお笑いを知り、中学高校は海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)や爆笑問題、千原兄弟の漫才やコントをテレビで見て、大学ではバカリズムやラーメンズのライブを体感してきた中年世代である私にとって(そして、間違いなくこれらの芸人はそれぞれトップランナーである)、これらの芸人の空気を受け継ぐ芸人(スーパーマラドーナ、ジャルジャル、さらば青春の光などなど)ではなく、キャッチーでハッピーな要素が「全面(NOT前面)」にあるお笑い芸人がM1・キングオブコントの両方で優勝したというのは、大変にショッキングであり、時代の大きな変化を感じるものでありました。

それはつまり「影・毒・攻撃性・シュール(非現実的)といったものが、エンターテイメントを面白くするスパイスのメインストリームでなくなった」ということです。

ギャロップやスーパーマラドーナが審査員に言われていましたが、多分、今の時代は、自虐的なものや暴力的なものを笑い題材として挙げること自体、ちょっと時代とずれてきているのではないかな?と。

多分それはマンガや小説、アニメなどにも通じるものになってきていて、例えば「主人公がいじめられっこでモテない日陰者」であったりとか「ヒロインや身近なキャラが暴力的な性格」とか、そういう設定を持った作品は、メインストリームでなくなっていくのではないかな?と思ったりしました。(もちろんそういうのが好きな人は一定数いるだろうけれど)

それは、昭和の時代のメインだった熱血根性アプローチが求められなくなり冷静で頭脳で解決するような話が求められていくようになった変化であるのと同じで、そこからさらに「みんなでキャッチーでハッピーになろう」という視点で描かれた物語が、新年号になる来年以降求められていくメインストリームになっていくのではないかな?と。特に平成生まれ以降の若い世代にとっては。

ネットの文字で読んだだけで体感はしていませんが、最近は「ツンデレの女の子は暴力的(おそらく主人公に対して最初は否定的であることから、それを暴力的と感じる)で好きになれない」という人が増えているということも聞きます。本当かわからないですが。

私は正直若い人たちが描くマンガで「これのどこを読者は良いと思っているのだろう?」と考えることが増えてきました。

かといって私が今から若作りしてキャッチーでハッピーが全面に詰まったマンガを描けるかというと描けるわけがないのですし、そういう変化をしなければならないわけではないですが、時代として「哀愁や自虐より、ハッピーなものを求めているのではないか?」ということを、意識しておきたいなあ…などと考えたりしています。

M1の結果を見て、そんなことを思いました。

自分の頭を整理するために、はじめてこんな文章書いてみました。


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