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プログラミングコンテストの『内輪ネタ』は悪いことなのか?

著者プロフィール
ZAWAWORKS妄想発明家。妄想を叶える装置を発明している。「プログラミングでお笑い」を掲げ、SNSへの発信のみならず、個展の開催やお笑いライブへの出演など発表の場は多岐に渡る。TikTokフォロワー数4.5万人、累計240万いいねを獲得。

「内輪ネタ」というのは、あるグループ間でしか知らないことで笑いにするネタである。内輪ネタは、そのグループにとっては深く刺さりやすいが、それは身内だから面白いのであって、グループに属していない人から見たら、この上なくつまらないものである。

僕はTikTokで10代のアニメオタクがウケそうな(というより10代のときの僕が好きそうな)内容で作品をつくる。それでバズったときにふと頭によぎるのは「30代以上とか、アニメ知らない人とかには面白くないんだろうな」ということ。内輪ネタに関してネガティブな印象を抱いてしまうのだ。

この感覚は大学1年生のときに初めて感じた。大学のプログラミング授業の発表会で、ある学生の作品が皆から評価されていた。しかし、僕は「これってみんながプログラミング経験しているからウケてるけど、未経験者から見ると何がすごいのかわからないよな」と思っていた。

それはTwitterでバズった作品や、プログラミングのコンテストの受賞作でも感じる。「これってTwitterウケだよなー」、「これってエンジニアウケだよなー」。それは仕方ない部分がある。コンテストの参加者・観覧はエンジニアがほぼすべてだろうし、エンジニアは絶対と言っていいほどTwitterをやっている。審査員や観覧のお客さんが面白いと思うのは、そういう内輪ネタなんだし、それが評価される場を否定しようとは思わない。

しかし、そういった場しかないのは問題だと思う。内輪ネタばかりをやっている人はそれ以外のグループに知られることはない。もしすべてのコンテストがプログラミング未経験者にわからないような作品ばかりを評価していたら、それは多様性の否定になるだろうし、他の誰もプログラミングに興味を持たなくなるだろう。

僕は現状のTwitterウケ、エンジニアウケじゃないところで勝負して多くの人々を笑わせたい。その場所はコンテストなのか、個展なのか、お笑いライブなのかわからない。そして、皆に認められる結果と名誉がついてきたら自主開催のコンテストを開いて評価してあげたい。誰にも認められなずに我が道を通す人たちを。


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