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こどもとポケモンカードと文化の話

先日、H2さんがこんな記事をあげられました。

これから書こうとしているわたしの話はH2さんの記事へのアンサーソング的な意味合いが強いので、ぜひ先に一読いただけたらと思います。

折に触れて感じていたのですが、H2さんという方は、わたしたちが心にぼんやり溜め込んだり、気になってはいるけれど、どうにも言語化しにくいもやもやとしたことを、うまく形を与えて言語化することがとても上手な方です。
人に伝える、コミュニケーションのあり方を考え続けてるわたしとしては、「嫉妬」してしまいますね。

だからというわけでもないのですが、琴線に触れる記事が多いので、これまでもH2さんの記事に触発されて記事を書いたり書かなかったり、twitterに垂れ流してみたりとしてきました。

そんな中でも今回のお題(ではないけれども)はしっかり記事にして表明しておきたいと感じて思い腰をあげたところです。

こどもにとってのポケモンカードは遊びのひとつ

H2さんの記事の中で大切なことはこの部分だと思います。「鬼ごっこと同じ」という表現もその通り。ここを少し掘り下げてみたいと思います。

こどもたちにとって興味のあることは全て遊びと同じです。本を読んだり絵を書いたりすることもそうですし、追いかけっこしたり木に登ったりすることも遊びです。

ポケモンカードもこどもにとっては、この遊びのひとつだということはわたしも異論ありません。面白い遊びのひとつですよね。

そして、トレーディングカードゲーム(TCG)であるがゆえに、「イーブンの環境で対戦することが難しい」という側面があることも事実だと思います。親のサポートなしに全ての有用カードを揃え、強いデッキを常に持つことはこどもには不可能でしょう。

「遊び」は選択されていくもの

親のサポートのないこどもが、サポートを得たこどもに負けてしまう。それでこのゲームを辞めてしまう。確かに悲しい問題です。しかしこれはポケモンカードだけに起きることでしょうか?

先ほどこどもにとって全ての興味あることが遊びであるとお話しましたが、それを楽しんでいたこどもたちは、いつしか遊びの中から選び取っていきます。それまで単に「遊び」だったものが、「勉強」やら「クラブ活動」やら「習い事」などという名前のものになっていきます。

その選択には自分だけでなく親の関与や環境が大きく影響を与えるものです。他の子より得意だから、楽しいから、という理由もあるでしょう。反対に「他の子に勝てなくなった」ことで辞めてしまうことも大いにあることだと思います。

こう考えていくと、こどもたちが選び取っていくのであれば、辞めてしまうことも受け入れるべきことなのではないか、とわたしは思います。

お金がかかる、という側面やカードの入手方法がランダムであることなどからTCGの仕組み自体がこどもにあっていないのではと考えることもありますが、偶然手に入ったカードで強くなる、という夢があるという点ではとてもこどもたちに向いている遊びでもあります。

君はこのデッキでどうしたい?

わたしはこどもたちにルールを教えたり、デッキの作り方の相談を受けたりといういわゆるポケモンカードのティーチングを行っています。

辞めてしまっても仕方がない、とは言いましたが、その実、ポケモンカードをみんなに楽しんでもらいたい、続けてもらいたいという気持ちでいっぱいなのです。

ですからわたしはこどもたちとポケモンカードの話をするときに、いつもこんなことを聞きます。

「君はこのデッキでどうしたい?」

そんなもの、勝ちたいに決まっているよ!こどもたちは不思議な顔をします。でもこの「どうしたいのか」はとても重要なのです。

日本一になりたいのか、それともお父さんのあのデッキに勝ちたいのか、その目的によってデッキの作り方もプレイングの仕方も全く変わります。当然、ティーチングの内容も変わってきます。お父さん自慢の炎デッキに勝てるギミックを一緒に考えて、ただただそれを成功させるデッキを作ることだってあります。

うちの中で家族や友達と楽しむだけなら、持っているカードだけでより良いデッキにすればいいし、レギュレーションなんて無視しちゃえばいいのです。重要なのはその子が何をしたいのか、であって、それを手助けするのがティーチングなのです。

対戦会に誘ったのは悪いことなのか?

うんざり会というイベントについて、わたしは話を伺いながらそんなことができるのか!と驚き、いつもすごいなぁと思っていました。H2さんが「ガチもユルも楽しめる」という目標を掲げて継続されていたイベントは素晴らしいものです。

そこで射幸心を煽られてしまった、ということでH2さんは少し傷ついてしまっていますが、それは仕方のないことです。もしもうんざり会に参加してなかったとしても、どこかでレアリティの高い高価なカードと出会うでしょうし、それによって純粋に楽しめなくなることにもぶつかるものだと思います。

大事なのはそこで大人たちが嗜めらるかどうか。光っているカードがたくさん入っているより強いほうがかっこいいとか、テキストは一緒だとこどもと笑い合うことで、バランス感覚を養っていくことです。弱いと馬鹿にしたカードで勝てるデッキを作って見せるというのも、彼らに新しい価値観を持ってもらうためのいい経験になると思います。

目の届かないところでパチンコや賭け事に走る前に、一緒にパックを剥いて一喜一憂しつつ、どこからが許容できないことなのかを一緒に経験していくことができるのは素晴らしいことではないでしょうか。危険だからと遠ざけるのではなく、教材として捉えてしまえば良いと思うのです。

こどもは大人が思う以上に周囲の影響を色濃く受けるものです。勝利より重要なものをこのゲームから得られるかどうかは、一緒にいるわれわれ大人たちにかかっているのです。その意味でH2さんのうんざり会に集まる皆さんと対戦できたこどもたちが不幸であったとは思えません。

レベル差や目的によって遊び場がかわることは自然

ポケモンカードはスポーツと違って体格差などが影響しにくいため、大人とこどもで対戦することもできますし、こどもにも大いに勝利のチャンスがあるところが面白いところです。

とはいえ、レベル差の大きな対戦は楽しい対戦にはつながらないことも多いです。また目的が違うプレイヤー同士の対戦は楽しいものではないこともよくあります。

同じスポーツであっても、プレイヤーのレベルや目指すものによって遊び場を分けることは当たり前のことであると思います。むしろこうした趣向によって区分できることは、ポケモンカードの遊び方の多様性をさらに広げることにもなると思います。

所持カードの格差を埋めたいのであればカードプールを制限してもいいと思いますし、遊び方はいくらでも用意できます。日本一を目指すだけがポケモンカードではない、ということさえ共有できていれば楽しみ方は無限にあると思っています。

選択するのはこども自身であってほしい

ポケモンカードは大人が遊んでも楽しい奥深さを持っているゲームで、世界チャンピオンを決める大会が開かれていることなどから、勝つことに夢中になる人(主に親)も多いです。

でもこどもたちにはポケモンカードの遊び方を是非とも自分自身で選択して欲しいなと考えます。

誰と遊びたいのか、どうなりたいのか。

すぐに決めることは難しいことですし、周囲からの影響で流されてしまうことも多いでしょう。親が喜ぶことをしたいと思うのもこどもの特徴でもあります。

だからこそ、周囲の人には決めつけることなく、こどもたちに問いかけ続けて欲しいのです。

自分がどうしたいのか、決めるのは自分なのだということを理解することができたなら、素晴らしいことだと思うのです。

それでも種まきを続けよう

辞めても構わない、どう遊ぶかは自分自身で決める

そんなことを言いながら、わたしはポケモンカードのティーチングを続けていきます。それはプレイする人の数がポケモンカードを豊かにするからです。どんなに競技性を高めたとしても、プレイ人口がしっかりとピラミッドを形成していなければ、その遊びは文化になりえません。

プロがあるだけでなくジュニアチームがたくさんあり、野球教室が全国で開催される野球というスポーツ。甲子園を目指して毎日練習を続ける高校生も、試合の後のビールのために河川敷で月に一回草野球を楽しむおじさんも、間違いなく野球を楽しんでいます。この幅広さこそ文化なのだと思います。

より良いポケモンカードの環境が作られることで、わたしが飽きるまで対戦相手がいなくならないようにしたいのです。要は自分のためですね。

ということでまたティーチングイベントをやりますのでみなさん来てください。(宣伝)

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zb

ポケモンカードにハマる親父。イベントオーガナイザーでティーチング好き。公式大会ではジャッジマネージャーとしてジャッジステーションに詰めてます。
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