自己紹介(2022.10.28)

今年の夏 6月の終わりなのでそれを夏とするかは意見が分かれる所だと思うのですが、夏としましょう とある所で「(あなたが)何の人だかわかっていないんですけど……」と言われました。
催し物が行われていた場所で、私はその人を目当てにその場に向かいその時はその人に握手を求めていた所だったので、すぐに浮かんだのは「あなたのファンです……」という紫のバラにでも添えた方がよさそうな文言で、しかしいま相手が求めている返答はそういうことではない、というのが日常において察する、ということがなかなかできない私であってもビシバシと伝わる問い方だったので答えにうっ、と詰まっていたら近くにいた方が「本屋さんだって」と助け舟を出してくれたのでその場は一旦落ち着いたのですが、たぶんそれも別に相手の納得する返答ではなかっただろうなと思います。

その後、時々自分が何の人かしらと思います。
結論としては何の人でもないんですけど、この一言で返すのはあまりにも雑だなと思う場面はあるので一度ちゃんと自分の表面について書いておこうと思いました。
私はnoteのアカウントをサポートするためだけに残しているといっても過言ではないので、身元のよくわからない人間にいきなり投げ銭をされるのもこわいよなぁ、ということでここをひとまずの練習場所にします。

名前はしまだと言います。
アカウントの"⚡︎"なのはしまだのSを表しているつもりなんですが、いまのところ誰にも好意的な意見はもらっていません。
1988年生まれ、タイトルの日付の時点で満34歳です。
家族は夫と息子が一人ずついます。
息子は小学校高学年で私のことを「まり」と呼びます。下の名前を一字略していて私はたびたび「お母さん」と呼ぶように注意、訂正、お願いし都度言い直してはくれるのですが、気がつくと「まり」に戻っています。
東京都内在住で出身は神奈川県です。本当に治安の悪い土地で両親と姉と猫が2匹いる家で育ちました。
姉は私が小学生の時に家を出ていて、私は高校在学中に家を出ていて、結婚は23歳になる歳にしました。

都内の書店でアルバイトをしながら主婦をしています。

アルバイト先ではお店にいれる新刊の発注と、担当として(おそらく)食、社会、宗教、心理、写真、美術、哲学、文化の棚を受け持っていて、もしかするとそこに海外文学、映画も追加されるかもしれません。なんにしてもあまり大したことはしていなくて売れた本を再度頼むか保留にするかを検討してたまに棚を並び替える程度です。
いまの書店では働き始めてそろそろ4年になります。その前に都内にある大型チェーン書店に1年、料理と美術、児童書の担当でいまの書店で働き始める少し前までは現在一店舗になっている新刊書店で一年半ほどパートタイムで働いていました。担当はなく、しいていうなら客注といってお客さんの注文を発注し届いたら連絡する係をしていました。

いまの書店は新刊書店というにはあまりにも変わった性格をしていて本を売る以外にもカフェで珈琲を淹れたり調理をする業務がある他、お客さんの「こういう本が読みたい」や「自分はいまこういう状態で、そんな自分に合う本は何か」といったものにあわせて本を選ぶサービスを行っていてそれを受け持つ時にはお客さんに対してなぜそれを選んだかというキャプションのようなものをそれぞれの本に添えたり、個人ではなく場に合わせた本を選ぶといった業務もあります。

書店勤務が職歴の中では(アルバイトとはいえ)一等長いのですが本に精通しているかと言われると言葉に詰まる所があり、現在の書店で働き始めるまではナボコフの『ロリータ』とレーモン・クノーの『地下鉄のザジ』を、前者は20歳くらいから、後者は17、8の頃からただ交互に読み続け時々他の作家やコミックも読む程度でした。
現在は一緒に働いているスタッフや上司の影響で少し範囲が広がっていますがそれでもやっている業務に照らし合わせるとまだまだ知識が足りないと思います。

家の本の著者欄にある名前として多いのはレーモン・クノー、ナボコフ、マルセル・デュシャン、ジョン・ケージ(デュシャンとケージは著作に限らず論考なども含まれていますね)、安部公房、ドゥルーズ、フーコー、ジャン=リュック・ナンシー、ジュディス・バトラー、伊藤亜紗、國分功一郎などで、出版社だと法政大学出版、水声社、白水社、作品社、河出書房新社、国書刊行会、筑摩書房、みすず書房が比較的多いです。

物心ついてからずっと離人感が強くあったので自分の認知が身体からずれる感覚を心理的要因以外で説明できる方法がないかなと思い、最近だとそういう本を多く手に取ること傾向があり東京大学出版の〈知の生態学の冒険シリーズ〉がたのしく、あわせてメルロ=ポンティもよくひらくようになりました。
私自身は日本で生まれ育っていますが両親は外国籍、つまりは移住してきた人間なので国籍とアイデンティティの関係もわりと面白く読むことが多いと思います。この数年では『よい移民』、スチュアート・ホールが読んでいてとてもしっくりきました。移民、としてではないですが同じような理由でディディエ・エリボンの『ランスへの帰郷』も、こちらはただ頷けるというより随分頭を抱えてしまうのであまりひらくことができないのですが、強く印象に残っています。

本を読むこと以外だと步くことがすきです。
長い時だと20〜30kmほど歩きます。いまはとても治安のいい町、というより日が暮れると誰もいなくなる町に住んでいるので夜から朝にかけて歩くことも多いですが、長距離歩くことを目的にしている場合はいざとなったら公共交通機関を使えるように日中に歩きます。

大きいもので名刺くらいのサイズ、小さいものだと5cmくらいのタトゥーが5箇所に入っています。左右の腕に3箇所、脇腹と腰に1箇所。
喫煙者で、煙草はハイライトを日に10〜20本ほど。飲酒もします。食べ物のすききらいはあまりない方だと思います。

音楽の演奏をよく観に行きますが全く詳しくなくて楽器も一切弾けません。
映画館やギャラリー、美術館にも時々行きますがこれも同じく、技術的なものに何か意見を持てるような知識は一切ありません。

私が映画や音楽、絵を描いたりデザインをする方とやりとりをしているのは単に私がその人たちのファン、ということがほとんどです。
それ以外にもたまたま同じ所で働いていた人や昔お付き合いしていた人と何かやっていた人が随分有名になっていた、というパターンもあるのですが何にしてもいまでもやりとりがある方々は、全員、私がただただその人たちが作るものがすきだからという理由です。


自己紹介という時に何を言えばいいものなのか、本当によくわからないですね。
とてもつまらない文章だと思います。私自体がわりとつまらない人間です。一旦ここで書き終えます。