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自己紹介:琉球大学卒→JR西日本→投資顧問→高級デリヘル統括→シーシャバーオーナー。人生は一回きり。


何者?

今、愛知県の豊橋で燃えよドラゴンというシーシャバーを経営しているハイボールたじまです。ざっとした経歴は琉球大学卒→JR西日本→投資顧問→高級デリヘル統括→豊橋シーシャバーオーナー「燃えよドラゴン」→2023年は東京に出店予定。ハイボールとシーシャが好きすぎて名前と仕事にしてしまいました。初回は自己紹介を。今後はブログ+読み物を書いていきます。

出生から大学入学。流されるがままの人生。

出身は福岡です。男三兄弟の次男として生まれ。福岡市東区の箱崎という地名で春の博多どんたく・夏の博多祇園山笠とならび博多三大祭りに数えられる筥崎宮放生会をやってる土地で育ちました。大きなお祭りが毎年あって、コロナ渦の今では考えられない人の密。でも集まった人達は今日という日を目一杯楽しもうとするお祭りムードの雰囲気に包まれるのがすごく好きだった。習い事は兄の影響でソフトボールクラブに所属していたけれど興味が全くなく練習の日に毎回雨が降らないかなと願う少年時代。

中学校はほとんど記憶がない。部活も勉強もほどほどに頑張っていたはず。交友関係も狭く人間関係を上手く作るのが苦手で毎回タイミングでリセットしたくなる癖でる。高校も自分を知っている人が少なくなる遠くの高校へ。「明確な目標や、なりたい自分はイメージとしてないけれど何者かになりたい」そんな気持ちが少なからずあったんだと思う。大学への最終進路を決める時。自分の進路を決める時も一人で暮らしてみたい、環境が変われば自分が変化するんじゃないかと思って出来る限り遠い大学、当時の成績で入れそうだった沖縄にある琉球大学に進学を決めた。

琉球大学進学から卒業。「普通の幸せルート」への違和感。

4年間の沖縄生活は楽しかった。海も近いし気温は年中暖かい。沖縄って苗字が被ることが多くって名前で呼び合うことが多くて。名前で呼び合う友達がいなかった自分には新鮮で、形から仲良くなることで親密になる事もあるんだなって。沖縄で出来た友達の結婚式にも行くくらい、仲良くしさせてもらっていて第二の故郷だと勝手に思っている。4年間は建設、土木の勉強、最終専攻は水理学「波」の勉強をした。

ただ大学生、時間は腐るあるが趣味はなく何も感じず受け入れ、流されて。興味が無いことはやらなければいいと生意気な「怠惰の象徴」だった時期。刺激を欲しさに後味が悪い作品をあさっていたら衝撃の出会いがあった。映画も2時間集中して見れない、マンガも読み方が難しくて途中で疲れてしまう。そんなに恐ろしく適性がない鑑賞能力でも徹夜して一気読みしてしまった、そんな衝撃的な作品にであった。それが新井英樹さんの「ザ・ワールド・イズ・マイン」 中毒性があって、これ以上の漫画は今も知らない。感情のバイアスもあったり。善の心の裏側、悪の部分。鳥肌が立つような目を逸らしたくなるシーン。それによって心の中に湧き上がる葛藤。次から次に作品からくる「問い」。勉強とか将来とか、その時の自分が考えていることがとても些末に思えた。それと同時に自我の目覚めがあった。作中での言葉「俺は俺を肯定する」この言葉が未だに自分を動かしているところもある。

ただ、そんな目覚めたばかりの自我には今までのいわゆる「普通の幸せルート」を変える力もなくそのまま新卒でJR西日本へ就職。「周りが大手企業の就活をしていたから」と「大手だと食いっぱぐれずに安定してそうだから」という安直な理由だった。

入社して半年も立たずにJR西日本を退職…

沖縄で染み付いた習慣はすぐに治せるものではなく、うちなータイムという言葉がある通り、時間に対して結構大らかで人も温かい、大学生で時間の自由もあって1人でも生きていけるそんな生活環境から一変。一分一秒が問われる鉄道会社勤務。自分には当たり前のことを毎日毎日こなすのがとてつもなく苦痛で、日々研修と作業、確認業務の繰り返し。毎日一定の作業を終えることが仕事になっている日常。この仕事って自分じゃなくてもできるなって入社直後から思う部分が多くて。入社直後、大阪で3ヶ月泊まり込みの研修は地獄だった。軍隊かよって思うぐらい、200人くらいの同期が同じことをしていて。本気で脱走を考えるくらい気が狂いそうになった。

鉄道はなくてはならない仕事、ミスが許されない。毎日人々の生活を支えて運行することも大切ですが、仕事の中に自分らしさを作れるのかって思いが湧き上がってきて。人生を本気で考えた時に、「一生これが続くのか……」って考えると耐えられなくて、半年経たずに辞めた。本当に自分の将来について考えた時に生産性が高いことをしたい、作業ではなくて自分で考えて仕事がしたいって思った。究極将来は自分で経営してみたいと。

会社を作るためにはお金が必要!そうだ投資だ!そして社会の闇を知る。

当時から分析とか数字には自信があったので、それを活かしたいなと。お金が動くところとなると、銀行、証券、ベンチャー企業?様々な選択肢があるけれど新卒カードを切った自分に価値を感じてくれる会社はないだろうと思い投資だったら学歴は関係ない。もう学歴のカードは無くなった。泥臭く目の前の事に取り組もうと決意を固め、福岡の投資顧問会社へ直接社長にアポを取り突撃で面接を受けに。軽くあしらわれながらも面接を受け「証券外務員一種を一ヶ月で受かれば入社していいよ」と。

無事試験も受かり投資顧問会社で働いたのですが重要なことに気づいた。「投資顧問って投資を助言する仕事→助言のプロって人に助言するより自分で投資を回したほうがいいんじゃないのか…」それでも人に助言することによって得る利益が必要なのは何故なんだろうと。実際に中の人達の仕事は、助言の中で利益がでた助言を大きく見せる。あたかも100発100中のように上手く広告を発信する、そんな職場。気づいた時には社長との仲も悪く3ヶ月で退職(辞め方も本当酷かった。。)もう本当に後が無い、社会に出てから1年も経たずに2社も辞めてしまうことになり自分の社会性のなさと、なんで上手くいかないんだという劣等感を感じたことをすごく覚えている。

後が無い最後の一手はナイトワーク。上京して尊敬できる人の元で。

社会性もスキルもない自分が経営者の側でスキルを学びながら出来る仕事。そしてお金の流れが大きい場所を調べていると、ナイトワークは魅力的でした。今は一般企業と遜色ないような求人サイト、代表者のインタビューもあってその中の風俗系の仕事を調べている内に贅沢なひと時、代表浅野のインタビュー記事を見つけた。思考もすごくロジカルに形成されていて元医大生、賢い人が本気で風俗をしているんだと衝撃を受けた。持っていた風俗のイメージを覆す考え方でした。嘘偽りのない求人内容と代表自ら顔出しをしているというのも要因の一つ。浅野さんの記事。正直震えるほどワクワクした。

実際に記事を読んですぐ電話した。「風俗業界は未経験ですが、経営を学びたいです。働かせて下さい」アポも取らず、いきなり電話口で働かせてくださいと伝えたのにも関わらず、丁寧に業界や業務、経営者としての日常、他のスタッフがどのくらいの熱量で働いているのか等を話し込んでくれて。
浅野代表「問い合わせは嬉しいことだけれど、簡単な仕事ではないし、高いレベルの仕事のクオリティを要求する。経営者になることは人とは違う人生を歩むということ。中途半端な気持ちや迷いがあるならやめておいた方がいい、お互いの時間の無駄になっちゃうから。現状、人手が足りていないわけではないけれど高い志があって、本当に興味を持ってくれているなら、面接に来てください。お話ししましょう」そんなシビアな環境でお店を成功させてる。だけどもこんな何もない自分にここまで声をかけてくれるんだって。(それは今の自分の軸にもなっていて、自分の発信でアクションをしてくれた人は尊い。真摯にそしてお互いがハッピーになれるように一生懸命対応する。)
電話から2日後東京へ、最初の三ヶ月はネットカフェで暮らした。覚悟が決まらなかったからかもしれない。入社したての頃は本当に人の気持ちが分からず、いや分かろうとせず色々な人に迷惑をかけた。人よりも自分が要領が悪いことも知った。電話をとるのもエロエンタメを語るのも恥ずかしかったし時間がかかった、そんなロボットみたいな自分にスタッフやキャストさんもずっと熱を与えてくれて皆支えてくれて少しずつ仕事で信頼をしてくれるようになって。当たり前のことを当たり前にする。花形の仕事ではないけれどなくてはならない仕事もあることに気がついた。

そして扱っているのは性を価値にした仕事。日常は常に非日常。客単価4万円の仕事。そこにはお客様の夢や期待、そこに向き合うキャストの想いや気持ち。楽しんでもらうため、キャストに夢を叶えてもらえるために頑張った。泥臭く毎日色んな経験をした。楽しいこともあれば、どう転んでもバッドな結末にしかならないトラブル。ちょっとでも良くなるようにもがいたり日々奮闘した。

消耗する中で巡りあったシーシャ。その魅力に引き込まれる。

風俗の仕事をする中で自分の成長には手応えはあったが、心も体も消耗する。疲れて癒しを求めていた時に巡り合ったのがシーシャ。意図的に無の時間を作り出すことが苦手だった自分にはぴったりで、大体2時間くらいリラックスしてまったりと煙を楽しむ。薄暗いお店でお酒を飲みながらリラックス。作業はさくさくと1人時間を楽しめる。シーシャの香りと、ぶくぶくとする音、煙、深呼吸のような深い呼吸が幸福感を上昇させてくれる。そんなシーシャが好きですぐ自宅でもシーシャを揃えて吸うようになり、ズブズブとシーシャ沼にはまっていくことになった。

時が経ち、職場に後輩もできて自宅でシーシャを振る舞った時、美味しいと笑顔が見えた時に好きを共有する楽しさを知った。

タイミングよく店舗を譲り受けシーシャ事業を始める。

その後は店長、統括になったり、大学の後輩を入社させたり、時期的にコロナになったりしたけど贅沢なひと時で過ごした時間は嘘偽りなく人生の中でも初めて自己意思で動いた日々で充実した。自信も資金もできてきた頃シーシャ事業はコロナ前から検討していたのですが、コロナ渦そんな状況でもなくなり空中分解。

数年月日は流れ現在の店舗(旧ダリカフェ)のオーナーさんがTwitter上に「シーシャ屋をしたい人募集!店舗、機材丸々お渡しします。」とかなり好条件での告知をかけていたのがきっかけ。実際に興味を持ってからは即アポをとり、自分の想いや引き継いだ後はこんなお店にしたいとやりとりをして実際に名古屋で対面でお話しをして受け継ぐことになった。まだ店長をしていたのですがランニングコストを払いながら人に運営を任せてお店を成立させる。そんな器用な事もまだできないっていう葛藤もあり、27歳。30までに何か成立させたい0→1を作り上げてみたい。何者かになるんだ。そんな気持ちが込み上げてきてデリヘル代表にも気持ちを伝えて。新しい事業に挑戦することを承諾してもらった。結果を出すまで帰ってくるなよって激励付きで(笑)少し長くなりましたが経緯はこんな感じ。

最後に

とんでもない考え方ですが人生100年のこの時代で時間を共有してる人達は運命共同体。その中でも一対一で話せるなんてどれほどの確率で貴重なのか。すごく染み渡ってる人生観で。
色々なシーシャ屋さんに行くけれどやっぱり自分のシーシャも美味い。4年間誰に作るわけでもなく自分の為だけに作った。使う機材やフレーバー、作り方から強くこだわる。美味いものを作るために色々と調べた。熱の伝導率や湿度の問題、味覚嗅覚、雰囲気。全てが繋がって美味いもんができる。それを表現できる環境がある。なんと恵まれてるんだこのチャンスを逃したら一生来ないぞって。

地球、いや宇宙の物は見えない力でひかれあって成立してるんだって。好き嫌いだってそうで好きもの同士で繋がる、距離はそんなに関係ない。今は人間関係をリセットしたいだなんてことは微塵も思わない。今一瞬この文を書いてる一分一秒が積み重なって人生。毎日が積み重なって人生。

どこで生まれるとか、受験の成功率とか、交通事故にあうとか、大数の平均で割れば平均は出るけど人によって違うし、人生での確率は収束しない。本当に明日が訪れないかもしれない。そんなことを考えたら今日をね、楽しんだ方がいいと思うんです。自分なりの楽しむ生きる為にやってるのは「選択を正しかったと思うようにする事」何かを選ぶ時、別の選択肢って沢山あって。選んだ後にこうしておけばよかったはもったいない。楽しめてないって思うんですよ。せっかく選ぶんだったらその選択を全力で楽しむ。どんなシチュエーションでも楽しむ。そんな気持ちで選んだものを正しいように強引に引き寄せる。自分のことなんて誰も知らない。そんな新天地の豊橋で徐々に。ほんの徐々にですが輪が繋がっていく、また来てくれたらいらっしゃいませ、ではなくておかえりなさいませって心ではそう思ってます。

誰かの命日だろうが、誰かの記念日だろうが変わらず。俺は明日も頑張るぜ。

そんな自己紹介でした!


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