若い時に諦めた事。

 小学校の4年生だか5年生だか忘れたけれど、放課後に保健室に行くようにと担任の先生に言われて何だか分からずに行った事がある。保健室に放課後にわざわざ呼び出しを喰らうのはきっと良くない事なんだろうな、くらいは小学生でも想像がつく。気乗りしないで取り壊し寸前の木造校舎の端っこの部屋に行くと、室外のベンチに見知った顔が二人いた。なんやろなー、知ってる?知らんー、怖いな。とか暗い顔を突き合わせながら座っているとみんな入って、と言われて保健室に入った。

 入ってみると、机が置かれていて、50マスくらいのドット状に穴が明けられた高そうな紙製の、横から用紙がスライドして入れられる様な道具が置いてあった。これで何をするんだろうと少し不安になった。

 一人ずつ呼ばれて、それならわざわざ一緒に入らなくていいだろと思ってたら、最初に僕が呼ばれた。

 ドット状の道具にスッと横から緑色の濃淡のある紙が差し入れられた。

 「色が違うのわかるかな?」 「はい」 「左上から順番に見ていって」

 「はい」「同じに見えたらそこがどこか教えてね」

 すーっと見ていくと、ある位置から濃淡が分からなくなった。と言うか濃淡は無いと思った。

 「ここ。。後は同じ濃さに見える」

 少し離れたドットと、一緒と答えたドットの濃淡はありますか?と尋ねられた。無いです、と答えた。そのやりとりが数回。少し温かな声に変って帰っていいと告げられた。

 帰り道、なんだか不安になり自宅に戻った。自宅は商売をしていたのでいつもは隣の玄関から入るが店先から入った。少し暇そうにタバコを吸いながらテレビを見ている父がいた。おかえり、と言われると同時くらいに放課後あった事を話した。父はうんうん、と聞いてくれた。そして冷蔵庫にアイスがあるから食べるように言われた。その時の店の空気感や色は今でも覚えているが父の表情は覚えていない。祖母に店番を変わってもらって母に会いに階段をゆっくり登っていく父が見えた。

 アイスを食べ終わって、何となく父が降りてくるのを待って、店に戻ってから母のいる二階に上がった。母は何も心配しないでいいと僕に言った。頭を撫でられた気がする。心配しないでいいと言われたので安心して宿題をしてテレビを見て、と言う日常生活に戻った。

 後日、また帰りに保健室に寄って封筒を持って帰る様に担任から告げられたので受け取って、持って帰る途中の公園で封筒を空けた。赤緑色弱ー弱 とか書かれたスタンプが押してあって、日常生活に全く支障が無いみたいな文面が書いてあった。医学的な知識なんて皆無だったが字面と先日保健室でやった事で僕は自分の眼が少しおかしい事が解った。でも周りの景色も木々や草の濃淡も解った。みんなもっと解るのかと不思議に思った。

 帰宅して母に封筒を渡した。封筒を空けた母は、何も心配な事は無いと言う感じの事を言い、近所の商店街に僕を連れて行き、瓶に入った大きなラムネを買ってくれた。行きも帰りも、封筒の内容には一言も触れなかった。

 中学に入った時、父が入学祝に中古の標準レンズの付いたニコンの一眼レフを買ってくれた。大体そうだったのだが、父は自分が欲しいものを子供の僕に与える名目で買い与え、僕がいない間にそれで遊んでいた。カメラを買ってもらって、中学校の時に写真部に入った。校庭の隅に現像室があって、モノクロの現像機やいつから使ってるのかわからない古いダークバックやステンレスの現像タンクなんかが置いてあった。部費を集めて長尺の缶入りのトライエックスを買ってカメラ屋で空のパトローネをたくさん貰って、フィルムカッターで切断して空のパトローネに詰めなおしてみんなで分けて使った。お年玉やおこずかいを貯めて、28㎜や80-200㎜やスピードライトやらモータードライブを買った。

 中学から高校にエスカレーターで上がった時に写真部は辞めた。帰宅部ビリヤード部とか帰宅部ゲームセンター部の活動が忙しくなったからだ。ただ写真は撮っていた。カメラは買い替えたりもした。

 父の知り合いで近所で営業写真館を経営していたカメラマンの人と仲良くなって、帰りにお客さんがいない時にスタジオに置いてあった中判カメラの使い方を教わったりした。漠然とだけれど写真館をやりたいと思った。

 大学受験を考える頃に、写真科に行こうと思った。写真を学んだあとの就職先とかも色々調べた。父に大学志望を伝えた。父はどうもその写真館に相談に行った様だった。

 後日、父母に呼ばれた。父は渋い顔をしていて、母は目を腫らしていた。様子は暗かった。少しの沈黙の後、父から眼の事で映像の仕事は無理だと言われた。少しの沈黙の後、僕は何も言わずに部屋に籠った。スピーカーで大音量でドアーズを聴いた。と言うか流した。ボーっとしていた。何時もは煩いと怒鳴り込んでくる姉も、父母も来なかった。夕飯も食べずに気が付いたら眠っていたようで、アンプの電源が落とされて布団がかけられていた。

 多分、数日は特に何を考えるもなく何か抜けたようなふわふわとした気持ちだった。写真館にもそれから寄らなくなった。そうか、あかんのか。。

 それから気持ちが変わったのか受け入れたのか、とりあえず受験を頑張る事も無く、受かった大学に行った。大学に入って卒業アルバムを学生で作る委員会に入って写真を撮った。今でも写真は撮っている。最初に思った夢は諦めたけれど、大学生活は楽しく過ごさせてもらっておかげで6年も大学に行って父母に殺されそうになった。

 今日、帰り道に建て替えられた写真館の前を通った。代替わりして息子さんが後を継いで着実に経営をされているようだ。僕がそういう仕事をしたかったんだよ、とはもう思わない。父母が悲しい思いをしてくれた事で充分だ。いや違うな。僕の為に考えたり動いたり感情を露わにしてくれた事で充分ありがたい事なのだ。。

 ただ一つだけ今でも思う事がある。僕の見ている色と、標準的な色と、個人の感じる色に絶対ってあるのだろうかと。絶対的な基準色はある。それって個々人が絶対的に見分けられるのだろうかと。

 まぁ目玉の入れ替えなんて出来ないからわからないけどね。

 

 

 

 

 

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