叔父の葬儀に想うこと。#11

cocoroage中村です。

週末、かねてより療養中だった叔父の容態が急変し帰らぬ人に。
急遽、葬儀の為に岡山に帰省してきました。

叔父は野球が上手かったと聞いてました。
岡山東商時代に、甲子園は行けませんでしたが、明治から推薦が来るほどの県内では有名な選手でした。

一昨年、癌で亡くなった一番下の叔父は同じ高校で甲子園に出場しました。
要するに、スポーツ一家だったんですね。

まだ叔父が元気な頃、僕の演奏家という職業に対し、
「家は芸術家なんて誰もおらんのやから、無理や!」
なーんて言われてました。
そんな時、叔父の次男の従兄弟の兄ちゃんが、僕が何も言ってないのに僕を庇い、よく叔父とケンカしてたのを、思い出します(笑)。

そんな従兄弟の兄ちゃんが、通夜の挨拶で、
「本当に優しい人だった。」
と話してた時、それもそーだったなと、

以前、僕の所属してたバンドが、NHKBS-1のある情報番組に、マンスリーゲストとして1週間生で出演したことがありました。

それを観てくれて叔父は、ようやく僕の仕事を認めてくれた…と思います。

その時、やっぱり国営放送はスゲーななんて思ったのを思い出します(笑)。

心配してたんですよね、思いっきり。
でも、放送に出てる僕を観て少し安心したのかな。

でも本音は、堅い職業に就いてて欲しかったのかな?

でも本人も本当は野球を続けたかったらしいって話を葬儀で聞きました。

だから、心配半分、応援半分ってとこかな。

口うるさい叔父ではありましたが、野球好きな僕としては自慢の叔父でもありました。

cocoroageで国営放送にまた出演したいな。

そしたら、心配はよーやく1/3ぐらいに減るのかな(笑)。

とにかく、心配かけないように頑張るから、安らかにねむってね、寛次おじちゃん。

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