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京都からだ研究室の前期講座 『"分けられない"身体を試みる』は4月スタート

京都からだ研究室では、これまでさまざまな身体の技法について探究してきました。

今年の京都からだ研究室の前期は4月17日スタートします。

京都からだ研究室 前期『"分けられない"身体を試みる』はこちらから

今回講師を担当してくださるのは、バランストレーナー小関勲さんです。

今回の講師、小関さんのメッセージをぜひ読んで見てください。小関さんは、オリンピック選手をはじめプロスポーツ選手などにバランストレーニング、カラダの使い方を指導されています。

今回のテーマは「分けられない身体」です。メッセージの一部を抜粋して私なりに感じたことをお伝えしたいと思います。

パフォーマンスが発揮できる、パフォーマンスが発揮できない、この2つの分かれ道には、「分けない」「分ける」という要素が大きく関わっているということです。スポーツ選手に限らず、遊びにも仕事にもゾーン、フロー体験といったものがありますが、体験者は「無心でした」「どうやったか覚えていない」というようなコメント言うと思います。これは僕なりの解説ですが「分かれていない」体験だから「分からない」のです。
(中略)
部分の集合体は全体にはなり得ません…私たちはそれを知ってはいるのです。知ってはいるけど、分かるところからスタートしている限り、分かれていないものを知ることはできないのです。ただしヒントはとても身近なところにあります。自然も身体も「本来分かれていない存在」だからです。分かれていない存在であるならば、分からないまま体験することが、分からないことを分かることに繋がるのです。選手たちや講座に参加してくれる皆さんにお伝えする取り組み、もしくはヒモトレやバランスボードは、そんな観点から立ち上がったものです。


私自身、コーチとして、プロゴルファーや野球選手などアスリートとのトレーニングをはじめ、ビジネスパーソンへのコーチングをしています。

私が出会うアスリート達の多くは、スランプに陥っています。どんなに練習しても以前のように身体が動かない。本番になると、緊張で身体が固まってしまう。本来の自分のプレーが分からなくなった。心が折れて引退を考えている選手もいます。

このような状況は、スポーツだけではなく、仕事や人生でも同じ事が言えます。

こうしたスランプと言われる状態に陥っているときに起こっているのは、言葉がプレーを邪魔しているのです。

調子がよいときは、言葉によって身体やプレーをコントロールすることが出来ているように思うのです。実際にはそれは幻想なのですが、調子が落ちてくると、コントロールしようとするほど身体が動かなくなるということが起きてきます。

言葉というのは、物事を「分ける」特性を持っています。だから言葉を使うほど、身体と思考を分断します。言葉が増えるほど自然な動きを邪魔するブレーキの機能が働くのです。

車をイメージしてみてください。どんなにアクセルをふかしても、ブレーキを踏み込んでいたらどうなるでしょうか。その車は空回りして、どこかで壊れてしまいます。人は無意識のうちに、こうした状況を自分で作り出しています。

私はメンタルコーチとして、いかに自然な動きを邪魔しない言葉を習得するかに取り組んでいます。人は、ブレーキを外せば、自然に動き出すのです。

言葉を使うことは止められません。しかし、その言葉が本来の動きを邪魔するブレーキになっていては、パフォーマンスはあがりません。それはスポーツだけではなく、生きる上で「息苦しさ」になるのです。

身体の動きを邪魔しない言葉、身体の動きを解き放つ言葉の使い方があるのです。

今回の小関さんがお伝えしてくださるテーマ「分けられない身体」というのは、つい無意識に言葉で「分けてしまう」という習性をもっている人間にとって、身体からの「分けられない言葉」を知るきっかけにもなると思います。

ぜひいっしょに探究しましょう。講座でお会いできるのを楽しみにしています。

京都からだ研究室 前期『"分けられない"身体を試みる』の詳細はこちらからどうぞ


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