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天命に出会う「何もしないサポート」とは…

私のコーチングの肝は、一言で申し上げると、「何もしない」ことです。

何もしないというのは・・・

・ジャッジをしない
・余計なことを言わない(アドバイスしない)
・原因や理由を突き止めようとしない
・解決しようとしない(安易に答えを出さない)

どうでしょうか?

では、一体何をするのかと思われた方も多いと思います。



セッションのとき、わたしは「しないことをしている」というあり方でいるのです。

普段わたしたちは、「する」ことを中心に生きています。考える、解決する、ジャッジする、行動する・・・これらは、一生懸命生きようとする側面です。

一方で、「する」ことだけでは、見えていないものがあるのです。少し喩えが古いかもしれませんが、レコードをイメージしてみてください。生きようとするA面の裏には、「生かされている」というB面があるのです。

努力と頑張りで達成していくというA面は「自力」から見えてくる世界。B面は目には見えないご縁から顕れてくる「他力」の世界です。

頑張ることに限界を覚えたとき、それはB面が顕れはじめているのです。



クライアントさんとのセッションでは、天命という話が出てくることがよくあります。

どうすれば天命に出会えるのか?今の自分は、天に背いた生き方をしていないか?

これは成功しているかどうかとは、まったく関係ありません。天から与えられたいのちに恥じない生き方が出来ているかどうかは、死ぬまで日々問い続けるものでしょう。

わたしたちにできること、それは日々を丁寧に、嘘なく生きること。そして、「待つ」ことでしょうか。

「ただ待てばいいの」と思われた方もおられるかもしれません。ただ、個人的体験から申し上げれば、「待つ」という姿勢であり続けることは、かなり大変です。

クライアントさんとのコーチングでも、待つのは年単位です。数年に及ぶこともよくあります。この間、試練ばかりが訪れているように感じる方も多いです。

実は、その期間に磨かれているのですが、自分では変化に気づけません。なにも変わっていないように感じるので、途中で疑念が生まれてもきます。自己啓発では「成長」という言葉がよく出てきますが、言葉で語れる成長はまだ何かをしようとしている段階であり、厳しい言い方をすれば自己満足の域から脱していません。

いかに普段の生活でも、「する」ことを手放せるか。



セッションをしていると、私の方がとても苦しい気持ちになるクライアントさんがいます。このクライアントさんの努力と向上心、行動力は素晴らしいのです。しかし、理由は分からないのですが、いっしょにいることがしんどいのです。

ただ、それがなかなか言葉になりませんでした。毎回のセッションでは、お話をお聴きしながら「なにもしない」で待っていました。

先日のセッション中に、「○○さんは、人間関係がないですね」という言葉がやってきました。

この方の中に、私が入るスペースがないのです。いつもいろいろ話してはくれるのですが、私はいないのです。一方的にボールをぶつけられている感じです。まったく交わっていないので、人間関係がないという表現になったのかもしれません(これは後付けで足しているだけで、言葉が出てきた真実はよく分かりません)。

「人間関係がない」ということをお伝えしたところ、表情が変わりました。そしてポツポツと話しはじめました。

「この前、病気になったのですが、家にいた10日間いっさい誰も連絡してくれませんでした。誰も私と人間関係がないのですね。だからいつも1人なんだ。」

言葉にすると、とてもせつない感じですが、その表情はとても穏やかでした。

「人間関係ないのに、よく経営者やってますね。」と2人で大笑いしました。

人間関係がないから問題だ。人間関係をどう作っていくか。そんな話ではないのです。

ただ、真実が顕れてくるか。それだけなのです。「生かされている」という働きが導いてくれているとき、真実が顕れてきます。これが、天命の旅と言ってもいいかもしれません。

ちなみに、これはこの方だけに起こっていることではありません。何かをしようとしていると、思考、こだわり、私利私欲、過去への執着などで頭が詰まってきます。頭が詰まっていると、どんなに頑張っても人生は行き詰まります。

頭は思考によって自我でいっぱいにしようとする働きを持っているのです。

なにもしないでいることで、頭の詰まりが抜けていきます。



頑張っている人ほど「なにもしない」でいると不安が襲ってきます。何もしないと、今まで築き上げてきたものが失われるのではないかと思うのです。

誤解を恐れずに申し上げると、壊れるものは壊れます。離れるものは離れます。終わるものは終わるのです。

これがいわゆる「失う」ということだとすれば、むしろ、「失う」ことに抗っていることが、不自然です。

与えられたあなたのいのちは、たとえなにかを失っても、なくなりはしません。むしろ、壊れるものはこわれるのが自然のはからいだとすれば、それを受け入れることで、新たな再生が起こってくるのです。




天命とは、「自然のはからいに従って生きる」ことと言えます。

私はこれまでコーチとして、クライアントさんの再生に出会ってきました。

ただ、壊れる→再生という流れは、簡単な道のりではありません。これしかないと分かってはいても、心が折れる場面が何度もやってきます。

コーチングのセッションは、自然のはからいをコーチとクライアントさんがいっしょに体験しているのです。「しようとしない」ことで、あなたのありのままの姿が映しだされるのです。ありのままの姿とは、生かされている命です。

誰もが、生かされている命を生きているのです。先程紹介した経営者にも天命が待っています。

ここまで書いてみて、私自身は、「天命に目覚める人や組織に寄り添う」ことが役割なのかもしれないと思いました。

まずはあなたの日常の中で、「自然のはからい」というキーワードを持ってみてくださいね。



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