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「初心」ビギナーズマインドとは?

これまでのnoteで、私と禅の出会いを振り返り、
初心者向けの禅の講座を開催している
理由について書きました。

今回からは、初心者向けの禅の講座を振り返ります。

初心者向け禅×ビジネス講座の第1回目では、まず
鈴木俊隆老師の『禅マインド ビギナーズマインド』を
読んできた感想について、皆でシェアしました。

最初に注目したのは「初心」というキーワードです。

『禅マインド ビギナーズマインド』には、
このように書かれています。

初心者の心とは、空であり、専門家の持っている
「くせ」がなく、すべての可能性に対して、
それを受け入れ、疑い、開かれている、
準備のある心です。

「ものごとをありのままに見ることのできる心」
ともあります。

私たちは、色々な経験を積んで、学んでいきます。
仕事も長年、続けていると、後から取り組んだ
後輩より熟達して、先輩や上司として教える
ようになります。

ところが慢心すれば、成熟は止まってしまいます。

経験を積むことが、先入観や固定観念を持つ
ことにもつながり、やがて、次のような
思いを抱くようになります。

何か納得できない。
アイデアがまったく出ない。
前回と同じことを繰り返していて、新鮮さがない。

こんな時、あなたはどうしていますか?

人はつい物事をまとめようとします。
完全に納得はできなくても、早くまとまった方が
安心できるのです。

もちろんまとめることは大事です。
仕事ではスピードも大事です。
すべてをじっくり考え抜くのは難しいのが現状です。
しかし、とことんまで考えぬくことが必要なときも
あります。

画期的な新製品を生み出したい。
事業を再構築したい。
経営を見直したい。
新たな夢や目標を立てたい。

私の場合、たとえば原稿を書いているときに
壁に突き当たります。
いつも通りの手順や考え方で書いても、
なかなか納得のいくものができません。
どこかしっくりこなかったり、
深みが足りなかったりします。

とことんまで考え抜こうと思うと、
いったん出来あがったものを完全に壊す
必要があります。

私が原稿を書くときは、まず構成を考えます。
自分では結構いい案だと思っても、他の人に
見せると、肝心の核の部分がぼやけていたり、
意図が詰め切れていなかったりします。

人と話しているうちに、作った構成は
どんどん色褪せていきます。

そういう時には、一度完全に壊して、
もう一度、組み直していきます。

労力をかけて作り上げたものを
完全に壊すのは、勇気がいります。

もう一度やり直すと思うと、うんざりします。
新たなアイデアが出せるか、自信もありません。
壊すのは、かなり怖いことです。

それでも壊してみると、素材が新鮮に
見えてきて、今まで出なかった
アイデアも湧いてきます。

興味深いことに、今まで考えてきたことも、
なくなってはいないのです。
古い考えと新しい考えがうまい具合に融合
して、新たなものが出来あがってきます。

人は作ったものや手に入れたものを
守りたいという気持ちがわいて、
枠を作ってしまいがちです。

先入観や固定観念も、枠の1つ。
これは仕事だけではなく、
家庭や人生でも言えることです。

つい、わかったような気になってしまう。
人に勝ったような気になる。
人の話を聞かなくなる。

枠を作るのも、人として自然なこと。
大切なものであればあるほど、
枠を壊すのが怖い。
作った枠を守りたくなるものです。

けれども、枠はいつしか合わなくなって
いきます。
以前は絶妙なバランスだったはずなのに、
いつしかバランスが崩れる。
そこで人は苦しむのです。

私たちが成熟していくためには、
原点や初心に戻ることが必要なのです。

ある経営者は、このように話していました。

「ずっと自分は前に向かって成長している
と思っていたのですが、実は最近、
自分の原点に戻っている気がします。

本来、自分が持っている魂を磨いている
感じかもしれません。」


ところが、人の心には、すぐに
先入観や雑念が入り込んでしまいます。

人目を気にして神経質になる。
自分や他人を否定的にジャッジする。
よい結果を得ることに執着する。

まるで、黄金の像が泥で覆われて、
本来の輝きを失ってしまうかのようです。

 
無心で何かに取り組んで、
心が満たされることもあるでしょう。
あなたならではの光が輝く瞬間です。

しかし、多くの場合、
「自分には力がない。もともと泥の像だ」と
考えて、何かを加えようとします。

必死で知識やスキルを習得して、
修正に修正を重ねたり、
何かを貯めこんで取り繕ったりするのは、
泥で輝きを失った像の上に
金箔を貼るようなもの。

どんなに貼っても、
それはメッキにすぎず、
すぐに剥がれ落ちてしまいます。

不安から何かを身につけると、
新たな疑心暗鬼を生んでしまうのです。


そんなとき、あなたの原点や初心に
戻ってみてください。

余分なもの捨てて、
一度枠を壊してバラバラにすると、
大切なものが残ります。

あなただけの道が見えてきます。
初めてそれを見るかのように見て、
磨いていきましょう。

人に会うとき。本を読むとき。
考えるとき。仕事をするとき。
プレーするとき。
すべての瞬間、初心者の心を
持つようにするのです。


私は数年前から「お茶」を習っています。
茶道のいいところは、毎回違う自分に
出会えること。

お茶室という、日常から切り離された
特別な空間で、ただひたすらにお手前に
心を込めていると、無心になっていくのを
感じます。

しかし、無心でい続けるのが結構、難しい。
無心でいられるのは、ほんの一瞬。

忙しい日々が続いていると、茶室の中を歩く速度が
速くなったり、お手前がつい雑になったりします。

「今回は上手く出来ている」と思うことがあります。
そう思った瞬間、心が乱れて、お手前も乱れてしまいます。
自分の心の状態が、見事に動作に現れるのです。

お茶の稽古では、同じことを何度も何度も、
数えきれないくらい繰り返します。
繰り返すことで、身をもって初心の大事さを知り、
技の深さを体得していくのですね。

師匠のお手前は、すごく自然です。
人は試行錯誤しながら、
シンプルになっていくのかもしれません。


「華道」は花を通して「道」を極めること。
「書道」は書を通して「道」を極めることです。

仕事にもいろいろな「道」があると思います。
たとえば、「営業道」、「上司道」、「経営道」。

営業の仕事に就いても、仕事を続けるうちに
部下を持ち、マネジメントする立場になって
いきます。

私もそうでしたが、このとき多くの人が挫折を
味わうようです。

人を育て、人をまとめていくことの難しさに直面し、
思い通りにならない苦しさを知り、自分の力なさに
気づかされます。

営業についてはエキスパートでも、
部下を持ち始めたとき、上司道では初心者です。
初心にかえって上司道を歩むうちに、
磨かれるものがあるでしょう。

「道」の達人は、技を身につけることではなく、
そぎ落とす、磨くという心の作業を大切にします。

必要なのは、泥の上に金箔を貼ることではありません。
純金を覆っている泥を取り除いて、原点に戻ることです。

つねに初心にかえる。
正しいか間違いかというジャッジをしない。
シンプルになっていく。

すると、終わりのない自分なりの「道」に出会えます。
その「道」で精進し続けることができることを
幸せと感じたときに、本当に大切なものに
出会っているかもしれません。

初心をそのまま保つこと。

これ自体が修行の目的だと
『禅マインド ビギナーズマインド』に書かれています。

たとえば、毎朝、新しい人生を始めるかのような気持ちで、
人やモノを見る。
一瞬一瞬のご縁を大切にする。

初心に戻るためにいろいろ工夫できることがあります。

私の禅の師匠は、「禅は工夫です」とおっしゃいます。

世の中、思い通りにならないことはたくさんあっても、
自分が思い、行うことについての工夫はできます。

今回の記事が、工夫への何かのヒントになれば幸いです。


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