愚にもつかない、だからよい。 - 2024/01/19

専門学校の頃の友達2人と久しぶりに遊んだ。
高校では半分を引きこもり、後の半分を民度のハードルが低い通信制高校で過ごした私にとっては、かけがえのない友達だ。
「そういえば、まともな人間ではこうだった」と思い出させてくれたのだから、かけがえのない普通の繋がりだ。

普通の未成年はタバコを吸わないし、オーバードーズした時はどうだかみたいな経験談をステータスにしない、ましてや授業中に堂々と万引きがどうだのとは話すわけがない。
こんなクラスで馴染める訳がない!と胸を張って言いたいが、思い返せば中学ですら常に自尊心の欠落から浮いていたように思う。
今では、まなびやというシステムを心底憎んでいる。

引きこもりであった事や、躁鬱のきらいが少しあった事を自覚していたので、この2人と付き合う時はズレた自分が出ないように必死に取り繕っていた。
今でこそ何も考えずに気楽に話せはするが、昔は少し価値観の相違があっただけで、その度にドギマギしていた。
そんな自分を1人の友人として認識してくれるのは、本当にありがたいと今でも感じている。

後半はマクドナルドの話しかしなかったが、それが逆に良かった。
3人で学校終わりマックに行っていた事をつらつらと思い出せた。
サイドメニューをナゲットに固執していた1人は、チキン系のバーガーが結局1番美味いのだと、声を荒げていた。

何にもなりはしないような、どうでもいい話をずっとできる奴を友人に持てる私は、すごい幸せ者だと思う。
久しぶりにそれを痛感させられた。
「持つべきものは友だと?しゃらくさい…」などと思っていた高校の自分に説教してやりたい。

ちなみに、冒頭で話した通信制高校のすべてを憎んでいる訳でもない。
そういう、メチャクチャな場所を知った事で、自分の思考の狭さみたいなものに気付かされたキッカケをくれたからだ。
スレた価値観の人間ばかりだったが、少なくともそこにいる関係の多くは、馴れ馴れしい横ばいの人間関係しかなかった。

軽犯罪に対する認知がだいぶ緩いだけで、心根の良い奴だっている。
はぐれ者ばかりのコミュニティだからこそ、よくいえば誰もが寛容だった。
タバコ臭いのだけは勘弁だが、まあそれもいい思い出なのかも、しれないな。

昔を懐かしんだだけの日記だったが、こうして振り返って自分の価値観を改めて洗い直すというのは、悪くない作業かもしれない。
今せめて1000文字くらいは書いておくか?という消極的な気持ちで書いていても、文字をフリック入力するだけで楽しい気がしてきた。
深夜に書く日記っていうのは、これだから、碌でもない文章ばかりになってしまうのだろう。
これだから、よいのだと思う。

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