致命的美徳 - 2024/01/29

◯ガンバれ♡ガンバれ♡(心よりのエール)

気づけば1月ももう終わる。
この頃になってくると「新しい年の新しい自分で、頑張りまーす!」とか言っていた、声だけは大きい元気な人間が静かになってくるので過ごしやすくなってくる。
何かの節目を理由に一念発起するような人みんなをバカにしたい訳じゃない。
むしろそういうキッカケを見つけては、自分を変えようとする精神は立派だと思っている。
私がここで気に食わないのは”目標を果たす事無く、すぐ静かになった人間”だ。

ひと月ほど前はあんなに元気だったのに、今では気だるげな顔をして毎日をなげうっているような奴を、私は1人知っている。
そいつはコタツで横になりながら、自分の現状を棚に上げて「人はそう簡単には変われんのですよ」と言ってミカンをよく食べる。
決意の朝はどこに行ってしまったのか。
お前の情熱の所在を教えてくれ。
私が代わりに見つけて拾ってやる。
洗面所で鏡を見るたびにこうやって問いかけてやるのだが、そいつは依然として閉口したままだった。
こいつの顔を見るたび腹が立つのだが、こうして見ると、なかなかいい顔しているじゃないか。殴るには勿体ないかもしれない。仕置きをしてやるのは、また今度にしておいてやろう。

今年こそはなんとか、まともにコツコツ努力できる人間になりたい。
だが「まとも・コツコツ・努力」をしてまで目指したいものがないのが致命的だ。まずはその先の目標を決めてみようか。まあ明日くらいには、考えておくか。なんでもかんでも今日やればいいってものじゃない。そうだろう?
ほら、鏡の男も頷いている。


◯キレイとノイズ

Youtubeを見ていると、Google Pixelの広告が目に入った。
「ベストテイクが使える」と称して、編集機能でさまざまな加工を行えることを売りにしているようだ。
半目で移りこんでしまったなら、目を開けた笑顔の表情に移し替える。
ブランコのノイズが動画に入ってしまったなら、ノイズだけをキレイに音声から除去できる。
「せっかく写真として残すなら、みんながキレイに笑っていなきゃ嫌なんです。」
「余計な音は消しておいて、キレイな思い出の動画にしたいんです。」
そういう考え方があるのも理解できるし、SNSで自分の動画や写真をアップロードする事が多い現代のスマホユーザーに適した機能だとも思う。
便利な性能に驚いたり、こういう機能を良しとする人間もいるんだなあと感じつつも、その反面少し嫌になる。

あくまで私の価値観でしかないが、思い出として残すのならば、よりありのままの、リアルを切り抜くからこそ生まれる良さがあるんだと考えている。
泥臭さとか、雑味とか嫌な味が残ってはじめて「思い出」足りうるのではないかと感じる。
キレイなのが良いとかノイズは悪いとか。そんな人間味に欠けた記録を残す楽しさなんていうのを認めたくはない。
技術者の努力や、思い出をより楽しく残したいという人たちを否定したい訳じゃない。
ただ私の中にある、普遍的な人類愛みたいな奴が、リアルのそのままを感じて見つめろと叫んでいるから、なんだか嫌なのだ。
汚さまで受け入れて、その中からイイものも見出して愛したいという美徳なものだから、なんだか悲しくなるのだと思う。
こういう事をわざわざインターネットに投げているような人間は、きっとめんどくさく見えると思う。
めんどくさくてすまないと思う。

この機能を使う人の中には、都合の良いときだけ「ノスタルジー」だとか「エモ」みたいな言葉を引っ張り出す人も、きっといるのだろうなあとか考えてしまい、喉からみぞおちまでがドロドロしてきた。
そんな奴がいたら本当に嫌だな。非常時でない限りは半径3mに入らないでほしい。あと視界にも入らないでほしいし、声も聞きたくない。
こいつに限っては個人的な価値観に照らし合わせたときに、汚さとか醜悪さが勝ち過ぎるので、愛とかどうとかは言ってられない。
嫌悪感で胃液が暴れ始めたので、これについてはもう考えないでおく。

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