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エッセイ:胸にモルフォ蝶を抱いて

ループタイがほしくなった時、それはモルフォ蝶の翅だったらどんなに素敵だろうと思った。

わたしはハンドメイド作品を眺めるのが大好き。そこに並ぶ作品たちは、どの作品もぬくもりがあって血が通っているように感じる。自分のものにしたいというよりは、愛されて生まれた子を愛でたいという感覚に近い。自分の子どもを育てるのは大変だけど、よその子を見るだけならかわいいというような。

その日は珍しく自分の子がほしいという気持ちであった。シンプルでナチュラルな服を好むので、どこかに装飾がないと淋しく見える。そこでふとネックレスやブローチではなく「ループタイがほしい」と思ったのだ。そしてそのループタイはモルフォ蝶の翅であってほしい。直感だった。
ループタイで検索する。様々なかわいい作品が並ぶ中で、わたしの目はとある作品に吸い込まれた。艶のある構造色の青。モルフォ蝶だ!
わたしが理想とする作品がそこにあった。それはまさしく、わたしが欲していたモルフォ蝶のループタイだった。様々な角度から撮影されたモルフォ蝶。キラキラと、呼吸するように変える表情。死んだ蝶の翅なのに強い生命力を感じた。
その日はそっとお気に入りに追加し、布団に入った。だけど胸はずっとドキドキしていてなかなか眠れなかった。数日。数日考えよう。数日考えて、それでもほしいのであれば、我が家に迎え入れようじゃないか。
しかし数日間。そのモルフォ蝶はずっと心に居座っていた。もうこれは運命だ。迎え入れよう。

購入しようとしたその日、その作品は既に売れてしまっていた。一足遅かったようだ。諦めもつくだろう、と思ったのだが、もうあの子はわたしの物にはならないんだ……と大きなショックに襲われた。仕事を休もうかと思った。
やはり諦めきれない。悔しい思いで作家に連絡した。モルフォ蝶のループタイはこれからも発表するのか、と。ハンドメイドは量産できるものではない。すべての作品が一期一会だ。もしこれっきりだったら、今度こそ諦めるしかない。ああ、出会ったその時に購入ボタンを押していれば。口の中に苦みが押し寄せる。後悔の味だ。

最悪な想像をするわたしの元に返ってきたのは、「1週間後に発表予定です」というものだった。かく、と力が抜けた。あの時出会ったあの子ではないけれど、モルフォ蝶のループタイが手に入る。わたしの心がまたときめきを覚えた。

そうして迎え入れたモルフォ蝶。

カジュアルでもフォーマルでも合わせやすい

手に取って、様々な角度から眺める。青、紫、茶色。差し込む光によって表情を変化させるモルフォ蝶。このような美しいものが自然界にあるなんて不思議だ。
身に付け、鏡の前で顔をほころばせ、外し、箱にしまい、また手に取り、身に付け、笑う。儀式のように同じ動きを繰り返してしまう。初めて出会った時のような胸の高鳴りではなく、じんわりと広がる喜びを感じる。この作品はもうわたしだけの物なのだ!
すぐにアクセサリー入れに入れるのではなく、小箱に入れて手の届く場所に置くことにした。そしてことあるごとに眺めるのだ。愛しい我が子。

わたしは装飾品が圧倒的に足りていない。だから他にも揃えたいアイテムはあるのだが、満足してしまった。しばらくはこの子だけでいい。指先も、耳元も、手首も、首も、何もなくていいからこの子とともに暮らしたい。それほどまでに愛着が湧いてしまった。
きっと仕事でもプライベートでも、この子を身に付けて満たされているだろう。この出会いは装飾品という考え方を壊してしまった。わたしはただ自分を飾るために身に付けるのではなく、抱っこ紐で我が子を抱くように身に付けたい。そしてモルフォ蝶はわたしの日々を更なる高みへと導いてくれるのだろう。


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