20200711 行きつけのファ↑ミ↓マ↑

 彼氏がバンドマンだったために、バンド音楽を好きになる女の子よりも影響され易い男、地区代表の僕が僕であるが故に、ジークンドーが代名詞とする“ワン・インチ・パンチ”の習得に一日を費やしてしまうこともあるだろう。重心移動と身体の軸と回転、すべてを連動させて脱力した前腕に力を伝えることで完成する動作は、畢竟の技とも呼ぶべき破壊力を生む。しかし如何に僕が研鑽に励もうと、掻い暮れと習得の兆しがチラリたりとも覗かぬこともあるだろう。
 それは言うまでもなく僕が生え抜きのパンピーだからに他ならない。

 以前の職に就いていた頃、僕の行きつけと言えば職場隣にあったファミリー・マートくらいなもので。就業後にそこへ立ち寄ると、夕餉代わりになるかならないかのスナック菓子を厳正なる審査の上で選定した。次に向かうは冷え冷えのショウ・ウィンドウであり、そこで僕はヌメラと黒光るチューブトップで粧し込み、熱量なしを謳い文句にしたコカ・コーラのくびれた腰を引っ掴む。勘定台の前に立てば、愛煙するハイライト・メンソールを請うべく、判官贔屓に勤しむ刑務官のように241番の点呼を取る。
 そんな家と職場とファミリー・マートを回り、同じことを同じ場所で繰り返す、洗濯機にも酷似した生活を続ければ、夜勤従業員のスガワラさんと顔馴染みになるのは道理であった。スガワラさんと僕は(年齢を考えれば倍程の隔たりがありそうだったが)昵懇莫逆刎頚水魚であり、僕が入店をすれば何も言わずとも件の241番をレジスター傍に備るのだった。MIBのKとJも感嘆し、嫉妬するであろうオーストラリアン・フォーメーションが如き阿吽の呼吸を繰り返す僕とスガワラさんは、側から見やればそれはもうコンビであったと言っても障りはないだろう。
 最近、前職同僚の友人がスガワラさんに「最近、お連れの方来られませんね」と話しかけられたらしい。

 そうして、今の僕の行きつけはというと、新しい職場から徒歩2分程にあるファミリー・マートな訳で。僕が夕方ごろに小腹満たしに向かうそこにはいつも同じ女性がレジに立っている。年の頃合いは20代前半といった風貌で、茶色より幾分か明るい髪を後ろで束ねている。彼女の名前はナカムラさんというらしい。
 最近の僕は新発売という日本人が弱点とする言葉に、より一層敏感になっている。寒空の中で刺激される乳頭を敏感度100とするならば、新発売の三文字に対する敏感度は8恒河沙に匹敵するだろう。
 斯くして、適当な新発売の菓子パンとボトル・コーヒーを見繕うと僕はレジへと向かう。そこにはナカムラさんが愛想もなく(マスク越しのために判然とはしないが)立っていて、僕は彼女の前にこれ見よがし! と商品を並べる。特に何を言うでもなく、彼女はバーコード・リーダーで次々にゼブラ模様を読み込んでいく。僕は247番と、以前より少し遅れた番号を点呼するようになった。彼女は「え?」と僕に聞き返すので、少し大きめの声で再び「247番をください」と伝えた。振り向いた彼女は僕の愛煙ハイライト・メンソールを手にすると、脇腹に描かれた細々の黒文様に赤色のライトを当てた。しかし、レジスターはうんともすんとも鳴かない。15秒あるかないかの苦戦を強いられたナカムラさんは「すいません」と僕に謝辞を述べた。
 そこで、僕は見た。顔の大半を覆い隠す不織繊維の所為で、証拠材料としては足らぬも承知だが、僕は見たのだ。あの愛想なしの彼女が含羞んでいた瞬間を。微々とだけ、キュッと窄まる目尻。桜井和寿が歌った勇敢な恋の歌の真意に気づく瞬間であった。
 スガワラさんはもう捨て置いておこう。今はただナカムラさんとコンビになりたい。ただ、彼女が含羞むのを見られればそれでいい。
 あの厚手の透明ビニール・カーテンがある限り、僕はナカムラさんを見ることが叶おうと、僕の声はくぐもってしまって明瞭に届かないのだ。

映画観ます。