toshitaka yukiyama(雪山 俊隆)
親鸞聖人の法事を「報恩講(ほうおんこう)」といい、通称、「ほんこさま」と呼んでいます。善巧寺では9月から翌年3月まで、途中1月が空いて6ヵ月の間、門徒さんの家へお参りにまわっています。そのお参りツアーがとても楽しく、毎年なにかしらの気付きがあるので、ここに記録していきます。
阿弥陀如来の「アミダ」とは、「光(空間)といのち(時間)に際限がない」という意味をもつ。これをくだくと、「いつでもどこでも、今ここにいる仏さま」となる。 「今ここにいる仏さま」だけど、残念ながらそれを受け取る感受性は私にない。どのようにして日常で受け取っていくのか言えば、それが仏さまの名前「ナモアミダブツ」を言うこと。自発的に声を出しながらも、それ自体を「仏さまの働き(他力)」と受け取るのが浄土真宗流。だから、浄土真宗の人は「お念仏をいただく」とか「お念仏を申す」という謙
最近は情報過剰、価値観の多様化などの影響もあり、疎外感(孤独感)の強いものが多いと言われる。多くの人と共感出来ることが少なくなり、それぞれがそれぞれに好きなことをやり出し、それぞれに生きがいを探し求めている。しかし一方で、多くの人と共感したいという心は少なからずあるだろう。 ばらばらで一緒 はじめから「人間皆同じ」と思えば、少しのズレが苦痛になる。しかし、「人は皆違う」ということも根底に持っていれば、少しの共感に大きく喜べるだろう。 あらゆる人々と 共に生きている それ
※富山別院発行「ともしび」(2011年号)に掲載されたテキストです。 黒部市宇奈月町浦山「善巧寺」で行われている「お寺座LIVE」は、地方のお寺イベントでありながら、大手の音楽情報サイトや情報誌に毎年大きく取り上げられ、週刊文春では俳優や映画監督と並んで住職が掲載されました。6回目となった今年は250人分のチケットは即日完売。二次募集に用意した立見席50人分も十分で売り切れという人気ぶりです。その成り立ちや内情を聞いてみました。 —以前、落語会をやっていたと聞いていますが