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生霊

知った時のワシの顔!( ̄▽ ̄;)

ヤハリ!(ニヤリ)

今回は、これから考察していく物の資料です、 3333文字。


生き霊

生きている人の怨霊で、恨みのある他人にとりついてたたりをするといわれるもの。いきすだま。⇔死霊

生霊とは

生きている人が、妬みや恨み、嫉妬などの欲の塊の「念」を飛ばすことによって、飛ばされた人が被害を受けることです。

死んだ人より、生きた人の「念」とは厄介なものなのです。また、生霊を飛ばしている相手は、自らが飛ばしているなどと、思ってもみないのです。なぜなら、悪意を持って飛ばそうとして、飛ばしているものではないからです。

生霊の原因には、「執着」も大きな理由なのです。別れた相手や、仲の良かった友人など、身近な人に執着することで「念」を飛ばし、生霊となっていることがあります。または、自身が誰かを恨んでいると、その念が跳ね返ってくることもあります。

ワシ:だから執着するなと仏教で!( ̄▽ ̄;)


1. 強い意思を持つこと

自身を卑下するということは、一番やってはいけないことですね。「思考を賢く使う」ということを、常に意識しておくとよいでしょう。まず、自分の心がブレないことは、一番大事なことです。気持ちがふわふわした状態であるなど、意思をしっかり持つことが大事です。

被害者に誤らせる。©︎裕仁


生霊のお祓い方法や神社を知っておくと、この先心強いかも!最近、自分や周りに不幸が続いますか?「ついてない」と感じてはいるが、なんだか同時に不安や違和感を覚えるのなら、それは生霊や呪いが働いているのかもしれません。事前にお祓いの方法や神社を知っておくのも自分の身を守る良い方法です。

生霊とは、文字の通り「生きた人間の霊」という意味があります。人の怨みをかうような人生を歩んでいると憑りつかれやすいです。

対策はバッチリ。

高い意識を持つことでネガティブなものを近寄ることもできません。輝いている人には、意識の低いモノは、眩しくて近寄れません。常に強い意思を持つと良いでしょう。

低い波動の世界にお住まいの方

霊には、死霊と生霊があるのはご存知ですか?
死霊とは死んだ人の霊の恨み、障り。生霊とは生きた人間の妬み、そねみ、恨みです。
どちらが恐いのか?それは生霊なのです。生身の人間の思いほど恐いものはありません。
それを跳ね返そうとすると、自分にも代償があるのです。であるならば、どうすれば良いのか?
除ける(よける)のです。
生きた人間の妬み、そねみ、恨みを除けるのです。
この除けるための儀式が、日本古来からおこなわれていた特別なご祈祷で
「追儺特別祈祷」といいます。

息を吹きかけ人形か〜〜。


人に憑(つ)く人間霊のうち、生きた人の霊。これに対し死霊は、死者の霊が憑くことをいう。憑き物現象の憑依霊の一種。

ある人が、友人などに対し、ねたみ、そねみ、恨み、憎しみなどの激しい感情をもっていると、その人の霊は肉体から遊離して相手に取り憑いて苦しめ、ときには殺すこともできると考えられていた。

『源氏物語』で、六条の御息所(天皇のハーレムの女性)の生霊が葵の上の臨月の衰弱につけこんで苦しめた話は有名である。
『今昔物語』にも、離縁した妻の生霊が普通の姿をして深夜に前夫の家を訪れ、戸が締まっているのに、すきまから入り込み、前夫を取り殺した話がみえている。
取り憑かれた側では、祈祷師などに頼んで、呪法でこれを落とそうとする。しかし、ある症状を生霊の憑いたためだと判断するのも、ほかならぬ祈祷師であったから、憑き物現象の盛行と呪者の存在とは、互いに相関、共存の形をとることが多い。

祈祷師 祈祷をする僧侶や神官など。

神官① 神社に奉仕して神事にたずさわる人。神主。神職。
② 特に、伊勢神宮に奉仕していた祠官。祭主・大宮司・少宮司・禰宜・権禰宜・宮掌の総称。第二次世界大戦後もほぼ同じ職制を踏襲。


怨霊

怨み、憎しみをもった人の生霊や、非業の死を遂げた人の霊。これが生きている人に災いを与えるとして天皇・朝廷に恐れられた。
霊魂信仰の考え方では、人間の肉体と霊魂とは別個のものであり、霊魂が肉体の中に安定しているとき、その人は生きている。

生霊の場合、怨み、憎しみなどの感情があまりに激しいと、霊魂が肉体から遊離して災いを与えると考えた。非業の死の場合は、戦死、事故死、自殺などの原因により、霊肉そろった状態から、突然、肉体だけが滅びる。したがって、その人の霊魂は行き所を失い、空中をさまよっていると考えた。これらの霊を浮遊霊と名づけておく。

平安時代の物の怪(もののけ)、中世の怨霊や御霊(ごりょう)、近世の無縁仏や幽霊などは、いずれも浮遊霊の一種とみることができる。浮遊霊は肉体を求めて、霊肉そろった状態に戻りたがっている。死の前後や、一時的に霊魂の不安定な人をみつけ、その人の霊を追い出してでも、肉体を乗っ取ろうとしている、と考えて恐れられるのである。

その害を防ぐためには、菅原道真(すがわらのみちざね)の霊を天神として、あるいは各地の御霊神社や和霊神社のように、神として祀り鎮め、仏教でも念仏や読経によって・・・(略)。


恨みをいだいて人に祟りを及ぼす生者および死者の霊。
生きながら祟りをなすものを生霊といい、死後に現れるものを死霊と呼ぶ。怨霊は特に後者だけをさすことも多い。日本では奈良・平安・鎌倉時代に御霊 (ごりょう) として盛んに信仰された。

中国でも魏、晋以後信仰が広まったといわれる。怨霊によってもたらされる不幸や災いを防ぎ、回避するために、積極的な宥和強制儀礼、呪法が行われる。密教の加持祈祷や百万遍念仏 (→百万遍 ) もその一つであり、また未開社会ではシャーマンによる呪術が行われる。日本の場合、怨霊のたたりをしずめるために神社を建て、それを神として祀ることも行われた。
(ワシ:菅原道真か?)

宥和対立する相手を寛大に扱って、仲よくすること。「宥和外交」

加持祈祷加持祈祷。また、病気災難から身を守るために神仏に祈ること。
一般に、病気・災難などをはらうために行う祈祷、または、その儀式。印を結び、真言を唱え、いくつかの象徴的器具を用いて行う。


百万遍

百万遍念仏の略称で、念仏を 100万回称えること、また京都知恩寺の別称。知恩寺8世善阿が流行病をなおすため7日間 100万遍の念仏を称え、効験があったので後醍醐天皇から百万遍の寺号と 1080珠の大念珠を賜った。以来知恩寺では、衆僧、信徒が集って、弥陀(阿弥陀/あみだ)の名号を称えながら大数珠を 100回繰回す仏事が行われ、これも百万遍という。知恩寺

後醍醐天皇

大覚寺統の天皇。 クーデターにより鎌倉幕府を打倒した、南朝初代天皇。

コチラも詳しい→百万遍念仏


知恩寺

331年(元弘1・元徳3)疫病が流行したとき、第8世善阿空円が後醍醐(ごだいご)天皇の勅命を受け、宮中百万遍念仏を修したところ、みごと効験あって疫病がやんだので、以後「百万遍」の号を賜り勅願所となった。後醍醐天皇から1080珠の大数珠を下賜され、以後、衆徒信徒が集まって念仏を唱えながら、大数珠を100回まわす行事をするようになったという。

知恩寺

このチョ〜怖いマークの寺か!!


生霊とは、生きている人間の霊魂が体外に出て自由に動き回るといわれているもの。

対語として死霊がある。

人間の霊(魂)は自由に体から抜け出すという事象は古来より人々の間で信じられており、多くの生霊の話が文学作品や伝承資料に残されている。広辞苑によれば、生霊は生きている人の怨霊祟りをするものとされているが、実際には怨み以外の理由で他者に憑く話もあり(後述)、死の間際の人間の霊が生霊となって動き回ったり、親しい者に逢いに行ったりするといった事例も見られる。

古典文学

古典文学では、『源氏物語』(平安時代中期成立)において、源氏の愛人である六条御息所(ハーレムの女たち)が生霊となって源氏の子を身籠った葵の上を呪い殺す話が「あまりにも有名である」が、能楽の『葵上』もその題材の翻案である。

また、『今昔物語集』(平安末期成立)の「近江国の生霊が京に来りて人を殺す話」では〜〜(略)

能楽の『葵上

おわり


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