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MI9とCIAが作ったハマスの母体ムスリム同胞団(櫻井ジャーナルより)

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櫻井ジャーナルの情報によると、ハマスの母体ムスリム同胞団はMI9とCIAが作った。おまけに精神的指導者になったサイード・クトゥブはフリーメーソンのメンバーだ・・・・驚き、なる程とも思うのだけど、櫻井ジャーナルは一つ一つの情報がブチ切れで・・・掘り下げて説明してくれない。

ムスリム同胞団立ち上げ時の時代にはヒトラー・ナチスとムスリム同胞団は同じ強い反ユダヤ精神なので関わりがあるのだ。でも櫻井ジャーナルは、まだヒトラー・ナチスが正義だと気付いてなくて、そこら辺はズッコケたことを言っている。だから紹介して良い情報かどうか分かるレベルまで、ワシも詳しくならないと、紹介できなかったんだ。

ヒトラーナチスとアミン・アル=フセイニは懇意の仲。アル=バンナは1927年からアミン・アル=フセイニと接触していた。イスラム教のすごい偉い人だけど、なんだか聡明で・・・汎アラブ主義者と言う感じ。

ムスリム同胞団が親枢軸国に共感していたというのは本当だと思うよ。

ハサン・アルバンナのイスラームにおける平和から 

櫻井ジャーナルはサイード・クトゥブはフリーメーソンのメンバーと言ってたけど、その前のハサン・アルバンナからフリーメーソン臭くて・・・・そしてハサン・アルバンナの言葉より、サイード・クトゥブの言葉の方がもっとヤバイ(翻訳中)、そのうえ計算高くて。これは〜〜フリーメーソンとかMI9とCIAが作ったとか信じるわ!😅

欲しい情報、検索で抜き出した。
重複するけど・・・少しでも知りたいことの情報が欲しかった。


櫻井ジャーナル:2019.07.22

アメリカにはCIA、イギリスにはMI6という情報機関が存在する。CIAはウォール街、MI6はシティが作った組織だ。こうした情報機関は米英の巨大資本のカネ儲けシステムを築き、障害を排除する仕事をしてきた。当然、日本にもそのネットワークは張り巡らされている。

それだけでなく、犯罪組織やテロ組織との親和性も強い。アメリカではユダヤ系やイタリア系のギャングと手を組み、中東ではサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を使い、ヨーロッパではネオ・ナチだ。

真ん中。ムハンマド・ムルシーは2019年6月に死んでいるが、見た目もうマフィア。

ムスリム同胞団はハッサン・アル・バンナによって1928年に創設された組織だとされているが、19世紀にイギリスの情報機関がその基礎は作ったと言われている。社会奉仕団体的なイメージを持つ人も少なくないが、その内部には暴力的な集団が存在、第2次世界大戦当時から暗殺を繰り返してきた。

ムスリム同胞団ハッサン・アル・バンナ創設初期

1948年12月にもムスリム同胞団はエジプト首相を暗殺するが、その報復で49年2月にバンナが殺され、組織は解体。現在のムスリム同胞団は1950年代に入ってからCIAとMI6が復活させたもの。その指導者になったサイード・クトブはフリーメーソンのメンバーで、ジハードの生みの親と言われている。

ここから小沢に話が飛ぶ!(;´Д`A

2011.11.20

エジプトでは1952年にガマール・ナセルが率いる自由将校団が王制を倒しているが、そのナセルをムスリム同胞団は1954年に暗殺しようとしている。計画が失敗した後、同胞団につながっていたムハンマド・ナギブ大統領は解任され、同胞団は非合法化された。

ナセル      自由将校団(ギナブもナセルもいる)     ナギブ大統領

そのとき、計画の中心的な役割を果たした6名を処刑、約4000名のメンバーを逮捕しているが、シリア、サウジアラビア、ヨルダン、レバノンなどへ数千名が逃げたと言われている。

当時、同胞団を率いていたのは創設者の義理の息子であるサイド・ラマダン。西ドイツ政府の協力を得てスイスへ亡命する。スイス当局はラマダンをMI6やCIAのエージェントだと見なしていたという。サウジアラビアから資金の提供もあったようだ。

アル・バンナの娘の旦那であるサイド・ラマダン

この計画と同じ頃、フランスの情報機関SDECEもナセル暗殺を試み、その2年後にはイギリスの対外情報機関MI6がナセルの暗殺を計画した。イスラエルはナセル暗殺に協力するとイギリスに提案、ジョン・フォスター・ダレス米国務長官もナセルの排除に賛成していた。1956年には同胞団もナセル暗殺を試みている。

ナセルは1970年に心臓発作で急死する。52歳の若さだった。後任のアンワール・サダトはサウジアラビアとの同盟を打ちだして左翼を弾圧し、ムスリム同胞団をカイロへ呼び戻した。さらに、イスラエルやアメリカとの関係を修復している。1978年にサダトはイスラエルとの和平に合意するのだが、イスラム諸国では裏切り行為だとする声が高まり、1981年に暗殺された。そのサダトを引き継いだのがムバラクだ。

イスラエル・ベギン首相と和平結んだサダト大統領が、
ユダヤ・イスラエルの敵のムスリム同胞団をエジプトの首都、カイロへ呼び戻した。

そのムバラクが失脚した現在、エジプトは混沌としている。鍵を握っているのはムスリム同胞団だろうが、この組織が目指している方向がはっきりしない。内部が分裂している可能性があり、米英仏にとって好ましい展開になるとは限らないだろう。

2023.11.05

イスラエル政府は10月30日、同国の情報省がガザに住む230万人をシナイ半島に移住させることを提案した報告書を起草したと認めた​。その文書の日付は10月13日で、ガザの全住民を北シナイへ強制的に移住させることを勧告。ガザから追放されたパレスチナ人を収容する「テント都市」をシナイ半島に建設し、その人びとがガザへ戻ることは永久に許可されないとしている。一時避難ではなく、永久追放だということだ。また、安全保障を扱うイスラエルのシンクタンク、ミスガブのアミール・ワイトマンもガザの住民をシナイの砂漠へ移し、難民は他国に吸収されるべきだとしている。

エジプトが引き受けろということだが、イスラエルがパレスチナ人をエジプトへ追放しようとしているとエジプトは懸念してきた。パレスチナを「イスラエルの問題」から「エジプトの問題」へ変えようとしているとも考えている。今回、エジプトが国境を開けようとしなかった理由はここにある。

ハマスはムスリム同胞団系の組織だが、エジプトでは一時期、厳しく取り締まられていた。現在のエジプトは1952年に自由将校団のクーデターでムハンマド・アリー朝が倒されて誕生した。クーデターの名目的な指導者はムハンマド・ナギブ将軍だが、実際に率いていたのはガマール・アブデル・ナセルだった。

ナギブを支えていたムスリム同胞団は1954年にナセル暗殺を試みて失敗、ナギブ大統領は解任され、同胞団は非合法化された。このときに同胞団の中心的存在だったひとり、サイド・ラマダンはムスリム同胞団を1928年に創設したハッサン・アル・バンナの”義理の息子”だ。この暗殺計画の黒幕はイギリスだと見られている。

ハッサン・アル・バンナの”義理の息子”サイード・ラマダン
右:ムスリム世界連盟

亡命生活に入ったラマダンはサウジアラビアへ逃れ、そこで世界ムスリム連盟を創設、西ドイツ政府から提供された同国の外交旅券を使ってミュンヘン経由でスイスへ入っている。そこで1961年にジュネーブ・イスラム・センターを設立した。資金はサウジアラビアが提供したという。この当時、スイス当局はラマダンをイギリスやアメリカの情報機関、つまりMI6やCIAのエージェントだと見なしていたという。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

MI6は1956年2月頃にも暗殺を検討しはじめた。ロンドンにいたCIAのジェームズ・アイケルバーガーからワシントンのアレン・ダレスに宛てたテレックスの中に、MI6がナセルを殺す話をしていたとする記述があるのだという。アレン・ダレスやその兄のジョン・フォスター・ダレス国務長官もイギリスの考えに同調していた。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

それから間もない1956年7月にナセルはスエズ運河の国有化を宣言、それに対してイギリスはプロパンダ放送局「自由エジプトの声」で反ナセルの宣伝を開始した。すでにフランスも反ナセルで動き始め、イスラエルに武器を提供しはじめている。(前掲書)

1956年8月にMI6のジュネーブ支局長だったノーマン・ダービシャーはムスリム同胞団のメンバーと会談、自宅に軟禁状態だったモハメド・ナギブ元大統領を解放して大統領に復帰させ、反ナセル派の将校は市民とナセルや閣僚の暗殺について協議すると伝えたという。(前掲書)

ナセル時代に禁止されていたムスリム同胞団の活動を認めたのはアンワール・サダト。

そこでムスリム同胞団のアブドゥラ・アッザムがカイロのアル・アズハル・モスクへ移動、さらにサウジアラビアのアブデル・アジズ国王大学で教鞭を執るようになった。そこでの教え子の中にオサマ・ビン・ラディンもいた。ガザからの難民を抱えるということは、こうしたムスリム同胞団系の武装組織を抱えることにつながり、国内の不安定要因になる。

真ん中:アブドゥラ・アッザム
アッザム(若い頃の写真も)とビン・ラディン

そして10月7日、イスラエルは攻撃を受けた。「アル・アクサの洪水」だが、この攻撃をアメリカのジョー・バイデン政権や、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権は事前に知っていた可能性が高い。(しかし)これは本ブログでも指摘したが、攻撃後、ネタニヤフ政権はパニックになったようにも見える。想定、あるいは筋書きと違ったのかも知れない。

10月8日だけど。

今回の攻撃にはハマスだけでなく、イスラム聖戦、パレスチナ解放人民戦線、パレスチナ解放人民戦線総司令部(PFLP-CG)も参加していたと言われている。それに対してイスラエルはガザで破壊と殺戮を繰り返しているが、それによってイスラム世界は団結、「グローバル・サウス」の支援も強まった。

2016.11.06

サウジアラビアのムスリム同胞団はワッハーブ派(サラフ主義者)の強い影響を受けている。ムスリム同胞団やワッハーブ派はズビグネフ・ブレジンスキーが1970年代の末に編成した武装集団の中心になった人びとで、アル・カイダ系武装集団の主力でもある。戦闘員を雇う資金を出したのはワッハーブ派を国教とするサウジアラビアだった。

この国でムスリム同胞団とワッハーブ派が結びつきを強めたのは1950年代。エジプトで革命を成功させた自由将校団のガマール・アブデル・ナセルをムスリム同胞団が1954年10月に暗殺しようとして失敗、この団体は非合法化されてメンバーは国外へ逃れたが、多くのメンバーが逃げ込んだ先のひとつがサウジアラビアだった。ナセルがエジプト大統領に就任したのは1956年6月のことだ。

イスラム同胞団の話に何度も話に出てくるエジプト・ナセル大統領。
オチは想像つくけど日本に情報が少なく取り調べ中。

ナセルの命を狙ったのはムスリム同胞団以外にも存在する。イギリス、アメリカ、イスラエルなどだ。イギリスの対外情報機関MI6(SIS)はナセルが大統領になる4カ月ほど前からナセル暗殺の検討を開始したと言われている。ロンドン駐在のCIAオフィサーだったジェームズ・アイケルバーガーからワシントンのアレン・ダレスCIA長官に宛てたテレックスの中に、MI6がナセルを殺す話をしていたとする記述があるという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

ダレス長官は兄のジョージ・フォスター・ダレス国務長官と同じようにイギリスの考えに同調していた。大統領に就任した翌月、ナセルはスエズ運河の国有化を宣言、それに対してイギリスは反ナセルの宣伝を開始、フランスも同調してイスラエルに武器を提供しはじめた。(前掲書)

イスラエルのデイビッド・ベングリオン首相もイギリスと手を組む。イーデン英首相はベングリオン首相やモサドと連絡する際、英外務省をバイパスするため、暗号化した内容をMI6の無線でイスラエル側へ伝えていたともされている。(前掲書)

 1956年8月にMI6のジュネーブ支局長はムスリム同胞団のメンバーと会談、自宅に軟禁状態だったモハメド・ナギーブ元大統領を解放して大統領に復帰させ、反ナセル派の将校は市民とナセルや閣僚の暗殺について協議すると伝えたという。(前掲書)

その当時、イギリスは空調装置を使って神経ガスを送り込む、あるいは紙タバコ入れに仕込んだ毒矢を発射するといった暗殺方法を考えていたようだが、フランスには特殊部隊を潜入させてビルを爆破するという計画があった。イスラエルはケイタリング会社の従業員を買収し、毒薬をナセルが飲むコーヒーに入れさせようとしている。(前掲書)

あらゆるところから暗殺されようとしている、ナセル大統領!(;´Д`A

しかし、ドワイト・アイゼンハワー米大統領は運河の国有化を理由にして内政干渉することに反対、ダレス国務長官に対して10月にそうした内容の通告をしている。MI6のナセル体制転覆計画を持ち出しても大統領の意見に変化はなかったようだ。

1980年代のアフガン戦争と同じように、2010年に始まった「アラブの春」ではムスリム同胞団とワッハーブ派が重要な役割を果たし、エジプトではホスニ・ムバラク政権が倒された。ムバラクに替わって大統領に就任したモハメド・ムルシはムスリム同胞団で、サラフ主義者(ワッハーブ派)から支持されていた。支持母体はアル・カイダ系武装集団と同じだ。

ホスニ・ムバラク 大統領     ➡︎   モハメド・ムルシ大統領 

そうした背景があることからムルシに反発する人もいて、退陣を要求する100万人規模の抗議活動が展開されている。そこで軍最高評議会のアブデルファター・エル・シーシ議長が憲法の停止を宣言、アドリー・マンスール最高憲法裁判所長官を暫定大統領に指名したわけだ。

2012年8月にDIA(国防情報局)の作成した文書は、シリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・カイダ系武装集団)だと指摘している。アル・カイダ系武装集団の主力もサラフ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団だ。この構図はリビアでも同じ。この当時の国務長官はクリントンで、アベディを介してサラフ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団とつながっていたと見られている。

リビアではNATOの空爆とアル・カイダ系武装集団の地上戦が連携し、ムアンマル・アル・カダフィ体制を倒した。その際、カダフィ自身が惨殺されているが、それを知らされたクリントン長官は「来た、見た、死んだ」と口にして喜んでいるその半年前、ロシアのウラジミル・プーチンは「誰がNATOにカダフィを殺す権利を与えたのだ」と侵略勢力を激しく批判したが、それと対照的だ。

櫻井ジャーナルはプーチンが悪党というのも見抜けてないのかな?
正義の騙すんだよ、ある程度知っている人を騙す。



この動画ね。

You Tube

クリントン氏、カダフィ大佐について「我々は来た、見た、彼は死んだ」

CBS News
436,286 回視聴 2011/10/21
ヒラリー・クリントン国務長官は、リビアのムアンマル・カダフィ指導者が殺害されたとの未確認の初期報道について、記者とジョークを交わしながら、ネットワーク・インタビューの合間に語った。


リビアでの戦闘でアメリカをはじめとする侵略勢力がアル・カイダ系武装集団と結びついていることが明確になってしまう。そして登場してくるのがダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)だが、中身は同じだ。

カダフィ体制が崩壊した後、アメリカは武器/兵器や戦闘員をシリアへ移動させる。ベンガジにあるアメリカの領事館がその拠点だったが、そこが2012年”9月11日”に襲撃されてアメリカのクリストファー・スティーブンス大使も殺されてしまう。


スティーブンスはリビアで戦闘が始まってから2カ月後の2011年4月に特使として同国へ入り、11月に国外へ出て、翌年の5月には大使として戻っていた。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている

運び出された武器/兵器の中に化学兵器も含まれていた。これをシリアで使い、政府軍に責任をなすりつけてNATO軍が直接、介入する口実に使用とした可能性が高い。こうした工作をスティーブンスは熟知、彼の上司だったクリントン国務長官も知っていたはずである。

2012年アメリカ在外公館襲撃事件は、アメリカ合衆国で作成された映画"Innocence of Muslims"(イノセンス・オブ・ムスリム)がイスラム教を侮辱するものとして、これに抗議するためエジプトやリビアなどアラブ諸国のアメリカの在外公館が2012年9月11日以降、次々に襲撃された事件である。一連の襲撃事件で、在リビアのアメリカ領事館ではクリストファー・スティーブンス駐リビア大使ら4人が殺害された。

ワシ:これ、ユダヤ人が監督の自主制作映画、YouTubeにUPしてムスリムに炎上した出来の悪い映画。粗筋聞いて見たくてしょうがないww。

ムハンマドの最初の妻は、2人の夫に先立たれて大商人となっていたハディージャ。ハディージャ40歳、ムハンマド25歳のときだった。この「ムハンマドの妻ハディージャが旧約聖書と新約聖書の節を混ぜ合わせて作り出した聖典がコーランで、このようにイスラム教が成立した」というシーンが有る映画。

イスラム教の成立の謎、
こんなオチなんじゃなかろうかとマジに唸ったわ!😅

おわり

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