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【雑記】SNSとか目標とか

Twitterが大変な感じになっている。
この改変が一時的なものに収まるのか、それとも最早どうしようもないのか。技術的な話とか経緯とかは詳しくないのでスルーして、ダメだった時の事を考える。

人によっては、余所のSNSへの移住を表明しているようだ。
これは良い事だと思う。特定のサービスが様相を変えた時、行く先が決まっているのは幸いである。あとはそこに馴染んだ人々が増えていけば、更に良いだろう。

さりとて自分の場合はどうかと思うと、これには前向きになれない。
というのも、移住先として挙げられるようなSNSには分散型が多いからだ。サーバーを別個立て、同好の士で集まるような。まず場所ごとの方向性があり、そこへ集合する。もちろん、深い意味を持たない大きな括りで運用している部分もあるのだろうが……『場の特性』ありきと捉えると、及び腰になる。

『クラスタ』という表現があまり好きではない。
『○○界隈』という言葉も苦手で、『○○勢』ならギリ受け入れられる。
きっと私は、集団の中の一部にされるのが嫌なのだ。……と書くと思春期真っ盛りの子どものようだが、自意識の強さとしては大差ないのかもしれない。

Twitterにも集団性は存在する。
互いにフォローし合い、ツイートが行き届く範囲。
そこに『界隈』とやらが生まれている。だがTwitterのそれは曖昧で、単一ではない。各々が自由に発信した結果生まれる傾向でしかないのだ。
だが分散型SNSとなると、ここにもう少し強固な方向性が生まれてしまう。
恐らく私は、このあたりを(使ってもいないのに)面倒がっている。

私が欲しいのは、雑多な個々人の趣味趣向に紐づいた情報なのだと思う。
観た映画、読んだ本、プレイしたゲームへのあれこれ。或いは日常のよしなしごと。それをぼぅっと目で追うのを好んでいる。たいへんに無駄な時間の使い方である。

そうした曖昧で雑多な文字列の中、気が向けば特定の『なにか』についての情報を漁りに行ける。それくらいの距離感を、私は好んでいる。
最初から『なにか』についてばかり語るTLが欲しいのではない。

私はウルトラマンが好きで、Twitterでもよくウルトラマン関連のツイートやリツイートを繰り返す。その一方で、ウルトラマン好きにカテゴライズされる人物を、ほぼフォローしていない。そういうTL作りを面白いとは感じないからだ(自分は?と思われる方もいるかもしれないが、概ね別の理由である)。

確かに同じ趣味の人間を多数フォローすれば、そうした話題でいっぱいになる。相互に反応もしやすいだろう。そこに交流も生まれるかもしれない。実に……面倒くさいではないか。

趣味を深掘りすることは、自身の心の深い部分に影響を与える事でもある。
自分の興味ある話題ばかりの空間にいれば、逆に自分の興味ある話題に関する、耳にしたくない文言に触れてしまう機会も増えるだろう。これもまた、嫌である。ほどほどで良いのだ。何か一つに偏らず、自分の興味が薄い部分についても語るような、そこそこ信頼のおけそうな第三者。それを適当な数集めておくのが一番楽しい。

と言って、私も最初からそういうSNSの利用を行っていたわけではない。
好きなもの・ことを中心にフォローする事もあった。他に指針が無いから。
新たなSNSに移住するという事は、また新たに指針を選び直すという事でもある。Twitterと同じようにはいかず、理想的な情報状況を作るのに手間も時間もかかるだろう。それもまた、面倒な点だ。

などと考えていくと、気が付く。
そもそもの所、私にとってSNSは必要なのか?

情報源としては必要である。
公式アカウントから発せられる各種情報を、早めに取得できるのはTwitterのような気軽なSNSだ。ではそれ以外の、雑多な情報の源としては?

無くても困らない、というのが結論だ。
私にとってのSNSは、無為に時間を使う趣味でしかないのだから……別の趣味に時間を使えば良いのでは、という話になる。

もちろん、例外はある。
螺子巻ぐるり(個人)としては無用な趣味だけれど、螺子巻ゼンマイ(ライター名)としては、少々違う位置づけだから。

ただ……やはり。
いまnoteに紐づけられている『螺子巻ぐるり』は、Twitterが沈んだ時、他のSNSにはリポップしないだろう。というか現状でさえ、スマホからアプリのログインを切ってしまった。よい機会なので。ブラウザで見るだけで十分だろうし。

これらは現時点での考え・行動なので、時と場合によって変動はある。
あるのだが、今後のTwitter活動は、note記事やら小説やらの宣伝に絞られていくかもしれない。


話は変わるが、今も小説を書いている。
夏は児童文庫の公募の時期だ。というわけでゴリゴリ進めているのだけれど、肝心なことが決まっていなかった。つばさ文庫か、キミノベルか。
夏休みに合わせてか、児童文庫は同時期に複数のレーベルが賞を開催する。投稿者はその中から作品ごとに一箇所を選んで応募することになるのだが、さて今書いている作品は、どちら寄りだろうか……選評も出るしキミノベルかな……

今年こそは、と思い続けてそこそこの年月が経った。
通らないのは、自身に明白な弱点があるからだ。ほどほどに上手く出来ていて、突き抜ける要素に欠ける。今年は……さて、どうすればその欠点を埋められるやら。試行錯誤の日々である。

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