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ゴースト専用職業案内 第一話まとめ版


「というわけで、どうです? 働いてみません?」

 薄暗く、埃っぽい廃墟の一角。
 懐中電灯を片手に、オレは天井の辺りにいるソイツに尋ねてみた。

「うぅん……そうだな……肉体は欲しい、けど……」
「なら! いっちょやってみたらどうです? 職種もまぁ……生前の砂川さんの経歴なら、色々選べると思いますしぃー――」
 興味はありそうだ。そう感じて、オレは教えられた通りの言葉を並べ立てる。
 実際、この幽霊の経歴なら、オレよりずっといい所で働けるだろう。
 雇用条件とか、紹介出来る会社の例とかの資料を、懐中電灯を脇で挟みながら、タブレットで探す。
「ほら、生前の職業と近い仕事もありますよ。えっと、場所がですねー……」
「でも、ねぇ」
 それらしい仕事をいくつか見繕って紹介しようとしたところで、ソイツは口を挟む。

「今更働くってのも、面倒じゃない? 私、死んでるし」

「……あー……」
 何度も聞いた、その一言。
 これはダメだ。今度こそ行けるかと思ったけど、やっぱムリ。
 何とか説得する言葉を探そうとしても、オレの頭には何も浮かばない。
 だって、そりゃそうじゃん、と思ってしまうからだ。
「すまないね、わざわざ来てもらって。話せて嬉しかったけども……」
「いや、いいっすよ。よくあることなんで……」
 タブレットを閉じて、オレは天井の隅のソイツにもう一度目を向ける。
 青白い肌。口元から漏れる血。その身体は半透明で、霊感の低いオレはうっかりすると見失ってしまいそうだ。

「当然っすよね。幽霊になってまで働きたいなんて、そんなヤツいるわけない」

 すまないね、と何度も繰り返す砂川さんに一礼して、オレは廃墟を出る。
 時計を見た。時間は午後七時。日は完全に落ちているが、オレの仕事はむしろこれからが本番だった。

(……まぁ、でも、どこも一緒だろうな)

 ため息が出る。こんな仕事を考えたヤツは心底バカだとも思う。
 生きてるオレでさえ働きたくなんかねぇのに、なんで幽霊が働くと思った?
 けれどもっとバカみたいな事は、そんな事を考えてしまうオレが……幽霊相手の職安をやっている、という事実だった。

 職業安定所幽霊課。
 通称、『霊安』。
 それが、今オレの働いている職場の名前だ。

 *

 それはほんの少し先の未来。

 人口の減少により少なくなった労働力を確保するため、政府は秘密裏にある組織を編成、ひとつの計画を打ち出した。

 幽霊の疑似復活である。

 彷徨う地縛霊や浮遊霊に、精巧なシリコンの肉体を提供。
 憑りつく事で疑似的な復活を遂げさせ、彼らを労働力として派遣するのである。
 一見完璧かに思われた計画だが、始動して間もなく、とてつもない問題が立ち塞がった。

 誰も働きたがらなかったのだ。

 幽霊としての生活は長く続けば不自由がなく、仮復活に魅力はあれど、政府の求める労働と引き換えにしてもいい、という幽霊はあまり多くなかったのだ。
 もしくは、意志疎通の難しい怨霊であったり、など。
 だが肉体は既に生産され、このままでは大赤字確定だ。
 それを恐れた政府は、全国の霊能者に指令を下した。

 幽霊と交渉し、働くよう仕向けよ!

 *

「すんません、今日も契約取れませんでした」

 外回りから帰ったオレは、いつもの通り課長のデスクの前で頭を下げた。
 課長は眠たげな目であくびをしながら、「そっかぁ」と短く答える。
「まぁ残念だけど、どこもこんなもんだからね~」
「そっすね……」
 課長である寺島三継は、どことなく老いた狸を思わせる垂れた目を、手元の資料へと落とした。
 それは、近隣の幽霊の情報をまとめた書類だ。
「並河君の話だと、温厚な幽霊が多いみたいだし……何度か訪問してみるしかないね」
「……。まぁ、そうっすね……」
 無駄だと思う。喉まで出掛かった言葉を飲み込んで、オレは適当に頷いた。
 幽霊を働かせるための交渉こそが、オレの就いた仕事だからである。
 それはまぁ、いい。やれと言われればやる。ただ問題は……

「ダメですよ、課長。コイツ向いてないんだから」

「あ、明堂院君。お帰り~」
「……お疲れ様です……」
 背中から突き刺さる暴言。
 振り返ると、オレと同じく現場へ交渉に出向いていたはずの先輩、明堂院玄が立っていた。
「明堂院君の方はどうだった?」
「とりあえず七件、確保しました。報告書いとくので、嶺島さんに契約書頼んどいてもらえますか」
 明堂院先輩は、つらつらと成果を報告しながら、気だるげに自分のデスクに座る。
 オレは数秒の間、所在なく課長と先輩を見比べていた。何もなければオレもデスクにもどろう……と思ったところで、先輩がもう一度口を開く。
「並河、お前……ここ来て一か月は経ったよな?」
「あー……そんくらいっすね、もう」
「それで契約は何件だ?」
「……。二件……っすかね……?」
 相手を刺激したくなくて、オレの顔は勝手にへらっとした笑みを浮かべる。
 だが、先輩はそんなオレの顔を見て、むしろ機嫌を損ねたような低い声で「違うだろ」と否定してくる。
「その二件は引継ぎ案件で、お前が来る前にほぼほぼ決まってた。それ以外で何体の幽霊と契約できた?」
 断言するが、この先輩は聞くまでもなくその数字を知っている。
 オレに言わせたいだけだ。分かっていても、オレはその答えを口にしなくてはならない。

「……ゼロっす」

 そう。オレは今まで、ただの一人も契約を取っていないのだ。
 いてもいなくても同じ。というよりほとんど給料泥棒だ。
 自覚はある。良い状況だとも思ってない。それでも、仕方ないとも思う。
 幽霊が働きたがらないのは当たり前だろう。生きてるヤツだって働きたくないのに。
 そんな相手を、オレはどう説得していいか分からない。
「ま、まぁ明堂院君、誰だって最初は苦労するものだから……」
「にしても限度はありますよ。というか、上からも言われてましたよね?」
「うぅん……でもねぇ……」
「ちゃんと言っておかないと、コイツの為にもなりませんよ」
 なんだ? なんだかとてつもなく嫌な予感のする会話だぞ?
 内容を理解する間もなく、寺島課長は、言いにくそうにその言葉を口にした。

「あのね、並河君。……あんまり君が成果を出せないようなら……とっととクビにしなさい、って上から言われてるんだ……」
「……ああー……」

 突きつけられた現実に。
 それでもやっぱり、『当然だよなぁ』という感想しか出なかった。

 *

 数年間働いていたバイト先が潰れたのは、三か月前の事だ。

 経営が上手くいっていないのは、肌で感じていた。
 客は来ないし、バイトがバックレても募集出さないし。
 備品の補充は遅れるし、商品の入荷は減ってくし。
 その内潰れるんだろうな、とか思いながら、それでもオレは何となくそこで働き続けて……ある時、不意にその日は訪れた。

 店に行ったら、『閉店します』の張り紙が一枚、貼り付けられていたのだ。

 慌てて電話すると、「そういう事になったから、もう来なくていいよ」という短い返事。
 だったら早く言え。通勤時間を返せ。
 そう思ったが、言う前に電話は切られた。
 しかも、前月までの給料は一切支払われなかった。
 オレもバックレれば良かったと、今でも思う。

 幸いだったのは、趣味も付き合いも無かったオレには、ほんの少しだけ貯金があった事。
 それを切り崩しながら、ひとまず未払いの金について近くの労基所に相談しに行くと、オレはなんか不思議なものを見た。

 天井に、黒いモヤが張り付いていたのだ。

 あれはなんなんです、と職員に聞くと、職員は不可解そうな顔をしながら、その事を上司に報告しに行った。
 もう一度上を見るとモヤは見えなくなっていて、眼科にでも行くべきか、と考えていた所で、ダサいネクタイを締めた上司らしき男がやってきて、オレに言う。

「キミにピッタリな仕事を紹介出来るんだが……興味は無いかね?」

 ……なんでも、オレが見たのは幽霊の残留思念のようなもの、らしくて。
 オレが霊安に就職することになったのは、その少し後のことだ。

 *

 ピッタリどころか、全然向いてなかったわけだけど。
 このまま契約が取れなければ、オレはクビだ。

(そもそも、霊感だって大してあるわけじゃないしな)

 オレは支給された黒フレームのメガネを拭きながら、深く息を吐く。
 このメガネは、一見ただのちょっとダサいメガネだが、霊体を見る力を補助してくれるシロモノなんだそうだ。
 右手首には数珠。スーツの内ポケットには霊符を巻いた小刀。
 これらのアイテムが無ければ、オレはまともに幽霊と会話することさえ出来ない。

 この程度の霊感でも、霊安にとっては貴重な人材だ……と、面接の時に課長は言っていたけれど、探せばもっといくらでもマシな人間はいると思う。
 ただ『幽霊を働かせる』……という方針の倫理的な問題から、大々的な募集を掛けられないだけで。あと、予算が全然出てないからとか。

(とりあえず、これからどうすっかなぁ)

 ぼんやり考えながら、オレは次の現場近くまでのバスに乗り込む。
 深夜のバスは人も少なくて快適だが、何故だか妙に寂しい気持ちになってしまう。
 別に、オレはやりたくてこの仕事を選んだわけじゃないんだ。
 ただ、他にやりたいことが無くて……給料が良かったから。
 夜勤がメインなのも、人付き合いの無いオレには欠点にならなかったし。
 実家に戻って親にうるさく言われながら生活するよりは、ずっとマシ。……それだけだ。

(またバイト先でも探すか?)

 それが良い気もするが、どうにも面倒だった。
 面接とか、仕事を覚える事とか。また一から始めたって、前みたく潰れたら同じことだ。
 ……ダメだ、考えれば考えるほど、やる気がなくなっていく。
 契約、取れれば良いんだよな。とりあえず一件でも。
 そうすればとりあえず、今の生活は維持出来る。
 偶然やる気に満ち溢れた幽霊に当たる可能性だって、ゼロじゃないんだ。
 タブレットを起動して、オレはこれから行く心霊スポットの情報を確認する。

 確認されている幽霊は、鏑木省吾、享年23。
 今のオレと同い年の、比較的若い幽霊だった。

 *

「……ってわけで、働いてみませんか?」

 小さなボロアパートの一室で、オレは鏑木に一通りの説明を終えた。
 幽霊を就職させる組織の事。契約すればシリコンの肉体を得られること。
 勿論、その気になればある程度仕事を選ぶことも出来る、ということ。

「うぅん……困ったな」

 それらの話を聞いて、鏑木が最初に放った言葉は、困惑だった。
「なんか、信じられない。言っちゃなんだけど、正直……」
「バカげてますよね。オレもそう思います」
 苦笑する鏑木に、オレは頷いた。そのバカげた仕事をしている身としては、あんまり肯定してはいけないのかもしれないけれど。
「生きてる人間だって働きたくないのに」
「だね。……ああ、でも、そうとも限らないかな」
 鏑木は、何かを思い出すように小さく俯いた。
 黒い前髪がはらりと垂れ、すっと通った高い鼻が目についた。
 鏑木の顔は、強い印象を与えないものの、比較的整っていた。
 落ち着いた声も相まって、何となくさわやかで真面目そうな印象を受ける。
「やりたい事があって働いてる人も、僕の周りにはたくさんいたよ。まぁ……十年は前の事だから、今どう思っているかは知らないけどね」
 穏やかな笑み。オレは曖昧に笑って、ちらっと手元の資料を見る。
 ……彼の死因は、自殺だった。
 部屋で首を吊っていたそうだ。天井からぶら下がるのでなく、ドアノブから垂らした紐で、横になって、眠るように。
 周りの人間は、彼が何故死んだのか分からなかったらしい。
 鏑木はいつでも微笑んでいて、他人の悩みをよく聞き、アドバイスし……慕われていた。
 生活にも困っていなかったし、学業についても優秀だった。
 死ぬ理由なんて、どこにも見当たらない。
「……それで、どうですか? 何か気になる職業とかあったら……」
「無いんだ、それが」
「あー……そうですか。じゃあやっぱり、無理ですかね」
 ふぅ、と息を吐く。結局この人も駄目だった。
 あと何件か候補はあるけど、オレの首はもう避けられないのだろうな、と感じてしまう。
「一応、資料とか知りたいこととかあったら言ってください。来れる内は……誰かが、また聞きに……」
「いや、そうじゃなくてさ」
 話を打ち切ろうとしたオレに、鏑木は言う。
 その瞳を見て、オレは心の底に冷や水を掛けられたような、苦しい感覚に襲われる。

 虚ろだった。顔は微笑んでいるのに、瞳に、なんの感情も現れていない。

「恥ずかしい話なんだけど。僕はね、やりたい事が一つもなかったんだ」

 そして告げられた言葉に、オレはぴくっと身体を震わせてしまった。
 ……今のオレと、同じだったからだ。
 やりたい事なんか何一つない。夢も、目標も、欲望も。

「だから死んだ。僕は、僕の無意味さに耐えられなかった」

 無意味? やりたい事の無い人生は、無意味か。反発したい気持ちが湧いて、けれどオレは、オレ自身の中に反論出来る部分を見つけられなくて。
 魂が凍ったような感覚の中、オレは黙って鏑木の言葉を聞いた。

「これ以上生きていたって、僕は何にもなれはしない。ただ生きるだけ。生き続けるだけ。だったら生きていても死んでいても何も変わらない」

 だから死んだ。
 鏑木はもう一度繰り返す。その言葉が、オレの身体に妙に染み込む感覚がした。
「もう仕方がないなって思ってしまったんだ。希望も何もないわけだから」
 手首が重い。胸元に入れた刀が熱い。ヤバい、という感覚がオレの頭に響いて、それでもオレの視線は、鏑木から離れられない。
 感応。共振。あと何だったか。明堂院先輩が仕事を始めた頃、オレに言ってたな。

 ――幽霊の言葉を聞きすぎるな。心を持ってかれると、死ぬぞ。

 今、それだ。ヤバい、クビになるどころかオレ、死ぬんじゃないか。
 正確には、死にたくなってきた。鏑木が死んだ理由に、想いに触れて、オレの心がそっちに引っ張られている。
 だって、なぁ。オレは生きていたってこれ以上何にも出来ないんだ。飯食ってクソ出して寝るだけで。何にも出来なくて。それでも働く事は面倒で。ああ、本当に、辛いだろそんな繰り返し。だったらもういっそ終わりにした方がずっとずっと――

「――まっ、て、クダサイ……」

 息が乱れる中で、オレはどうにか肺の奥から空気を絞り出した。
「それは……それは、違う、と思います……」
 嘘だ。本当は思ってない。欠片も。思えない。
 だけど、言い返さないと心が折れてしまいそうだった。
 少しでも、欺瞞でも、会話を続けて、違うって思わないと、潰れてしまいそうだった。
「じゃあ……じゃあ、なんで……」
 考える。何か、あったと思う。反論出来る要素。
 オレにはなくても、鏑木の方には何か……。考えて、基本的な事が頭に思い浮かぶ。

「なんで、鏑木さんは幽霊になったんですか」

「……僕が?」
 不思議そうな一言。それを聞いた瞬間、オレの心はふっと軽くなる。
「そ、そうですよ……だって幽霊になる人って、二種類しかいないって聞いてますよ」
 バクバク言う心臓を抑えて、オレは深く息を吸い込む。
 古いアパートの空気は埃っぽくてカビ臭かったが、耐えるしかない。
「ええと、確か……何かの強い未練がある人と、自分が死んだって事実を受け入れられてない人。……鏑木さんは、自殺したんですよね?」
 だったら、自分が死んだって事実には納得してるはずだ。自分でも言ってたし。
 とすると、鏑木には何かの未練が残っていた、という事になる。
「何か、あったんじゃないですか。やりたい事」
「……無いよ。本当に、思い浮かばないんだ。ずっと、ずっと考えているんだけどね……」 悲し気に、鏑木は言う。十年間、ずっとそれを考えていたんだろうか?
 ……オレも、死んだらこんな風になってしまうんだろうか?

「――じゃあ、探しましょうよ」

 自然と、声に出た。
 嫌だったのだ。自分と同じような状態の幽霊を見て、そのままにしておくのが。
 もしくは、ただ否定したかったのかもしれない。
 お前は無意味だと突き付けてくる、結果そのものみたいな存在を。
「探したら、なんか見つかるかもしれないじゃないですか。だから……」
「……でも、どうやって?」
「オレに憑りついてください。それで、とりあえずは……」

 *

「昼間の街なんて、久しぶりに来たよ」
「……まぁ、幽霊ですからね……」

 翌日、オレは鏑木を連れて街に出た。
 肩にはじっとりとした妙な重さがあり、いつもより何となく呼吸が浅くなる。
 憑りつかれた状態って、こんなにダルいものだったのか……
 オレは自分の放った言葉に後悔しつつも、ひとまずは駅前をぶらぶらと歩き始める。
「でも、良いのかな。キミにも仕事があるだろ?」
「これが仕事ですよ。……多分」
 寺島課長に許可は取っていた。
 そうでなくとも、霊安の仕事は色々と融通が効く。
「最終的に契約につながることなら、個人裁量でやっていいって言われてるんです。……まぁ、一般常識の範囲で」
「幽霊を憑りつかせるのも、常識の範囲?」
「いやぁ、どうでしょ。オレその辺素人なんで……」
 霊安の人間には二種類いる。
 元々霊能関係の仕事をしていた人間と、オレみたいにたまたま入って来た素人。
 霊能のプロにはプロにしか出来ないやり方が色々あるらしく、そのやり方は、素人であるオレたちには真似できない。
 だからその分、仕事のやり方は自由にさせているのだと、課長は言っていた。
「そんなわけなんで、気にしなくていいです」
「そう。じゃあ、気兼ねなく楽しませてもらおうかな」
 頷く鏑木。行きたいところはないかと尋ねると、彼は少し考えて、答えた。

「とりあえず、近頃の街並みを見てみたいかな」

 大雑把な答えだった。けれどそれは、予想出来ていた事だ。
 何か特別に行きたい場所があるのなら……簡単に、自分が何を望んでいるのか見つける事が出来るなら……彼はそもそも、幽霊になんてなっていない。
 だからしばらくは、オレは目的もなく街をぶらついた。
 この街の駅前は、さして発展してはいない。
 買い物に困ることは無いけれど、一日楽しもうとするなら力不足。
 それでも……鏑木にとっては、新鮮な体験らしかった。
「昔あった店、やっぱり潰れてる所が多いね」
「不景気ですからねー。色々、新しいのが出来ては潰れたりしてますよ」
「それでも、働き手は必要?」
「そもそも人が少ないんですよ。前よりずっと」
 十何年も、この国の人口は減る一方だった。
 誰も新しく子を産もうとしない。……自分の事で精いっぱいなのだ。
「ああ、だからさっきから中高年しか見ないのか」
「いやそれは……平日だからですね……」
 今は平日の真昼間。
 学生は学校にいるし、若い労働者だって多くは仕事中だ。
「オレもまぁ、仕事中なわけですけど」
 多分、周りからはそう見えてはいないだろう。
 一人でぶつぶつ呟いているヤバい無職、とか思われてないだろうか。

 それからオレと鏑木は、小さな書店や古本屋で本を眺めたり、ビルの中の服屋や靴屋をチラ見したり、家電量販店で意味も無く最新炊飯器を見つめたりした。
「色々変わってるね、僕の生きてた頃とは」
「十年ですからね」
 鏑木は、自分が死んだ部屋からあまり出なかったらしい。
 部屋の隅で、新しい住人のジャマにならないよう心掛けながら、ひたすら自分のすべきことについて考えていたという。
「……十年か。思えばあの部屋にも、色んな人が住んでたよ」
 安くて小さなアパートには、若い学生や単身者が多く住んでいたという。
 そしてその多くが、自分の目標を持っていて……
 苦労しながらも、その目標に突き進んでいた、という。
「そういうのを見ているとね、自分の悩みがもっと分からなくなってしまって……耐えられなくなって、暴れてしまうんだ」
 資料にもあった。
 あの部屋では、住んで半年以上経ってから心霊現象が起きることが多く……住民は、その現象にしばらく耐えてから、新たな道に進むのを契機として出ていくのだ、と。
 それは、鏑木が部屋に住む人間を見ていられなくなったから、起きたのだろう。
「酷い話だよね。誰かが頑張っている姿を見るのが耐えられない、なんて」
 鏑木は苦笑するが、その気持ちを、オレは分からないでもなかった。
 真っ直ぐに頑張れている人間が、目標のある人間が、まぶしく思えて。
 その輝きが、自分のどうしようもなさを照らし出してしまうような気がして。
 オレはそういうものから目を逸らして、距離を取ることが出来た。考えないようにすることが出来た。でも鏑木は違った。
 認識すらされず、毎日毎日見つめる羽目になったのだ。
 暴れ出したくなったとして、誰が責められるだろうか。
 ……ただ、それでも、鏑木と同じような人間が引っ越してくるよりは良かったのかもしれない。オレが鏑木の言葉を聞いてそうなったように、感応して死にたくなってしまったかもしれないから。

「昔から、本当に、何もやりたいことはなかったんですか? この際、趣味とかそういうレベルでも良いんですけど」

 昼過ぎになって、オレはハンバーガーを食べながら鏑木と話をした。
 スマホにイヤホンを刺して、通話中であるフリをしながら、だ。
「特には。本とか映画とかは人より楽しんだ方かもしれないけど……」
 今にして思えば、話題作を追っていただけだったなぁと鏑木は言う。
 みんなが話題にしていて、自分もその話題に乗っかりたいから手にしただけ。
「つまらなかったわけじゃないけど、きっと、無くても困らなかったと思う」
 それらは、鏑木の血肉とはならなかったわけだ。
 鏑木の人生は、一事が万事そんな感じだったのだという。
「周りによく合わせていたよ。その方が周りも楽しそうだったし」
「それ、嫌になったりしなかったんですか?」
「どうだろう。面倒だとは思っていなかったよ」
 その辺りは、オレと鏑木の違う部分だった。
 今のオレなら、人付き合い自体がもう面倒だと思ってしまうから。
 けど、思い返してみれば、中高あたりの時は同じようなノリだったかもしれない。

「いつからだろうね。友だちが、僕に進路の相談なんかをしてくるようになったんだ。僕になら相談出来るなんて……勉強は出来た方だし、真面目だと、思われてたからかな」
「……正直、オレにも真面目そうな人に見えますけど」
 資料にもあった。鏑木省吾は真面目で周りによく慕われていた人間だったと。
 だけど鏑木は、そんなオレの言葉に困ったように笑う。
「何かをする気が無かっただけだよ。だからその分、言われた分の勉強だけはやっていた。そうしたら周りが真面目だって言うようになった。それだけ」
「いや、それ十分真面目だと思いますけど……」
 とはいえ鏑木にとっては、ただ言われた事をやっていただけ、なんだろう。
 これだ、という芯が無いから、周りの望み通りに動き続ける。
 そこに鏑木自身の意志は無く、だからこそ、鏑木は夢を持てなかった。

「……皆、どこで夢なんて手に入れてきたんだろうね」

「オレにも分かんないですよ。ホント、教えてほしいくらい」
 氷が溶けて味の薄くなったドリンクが、妙に喉に馴染んだ。
「君も、何をしていいか分からない人なんだね」
「ですね。……ああいや、一つありますよ。クビは流石にどうにかしたい」
「そうか。……僕も、応えられれば良かったんだけど……」
「ああ、いや、気にしないでください。今のナシ。鏑木さんのせいではないので」
 今言うべきことじゃなかったな、と反省する。
「結局、オレが悪いんですよ。……オレ自身が、何にもわかってないから」
 幽霊が働く理由なんて、どこにもない。
 というより、人間が働く意味なんて、生きるため以外に何にも思いつかない。
 そんな状態で、生きていない相手をどうやって働かせるっていうんだ?
「……この仕事は、オレに向いてないんです」
 先輩に言われた事を思い出す。
 言い方はキツイけど、事実なんだから、それを指摘してくれるのはむしろ有難い事だったのかもしれない。
 向いてない仕事で成果も出せずに金をもらうより、バイトでもして適当に食いつなぐ方がオレには合ってるんじゃないのか。
「早いとこ次の就職先見つけて、この仕事は辞める事にしますよ。辞めるっていうかクビになるんですけど」
「そう……なのか。君は、それで本当に良いの?」
「良い、っていうか……他にどうしようも無くないです?」
 出来ないことが、急に出来るようになったりはしない。
 結果としてクビになってしまうなら、それはもう仕方のないことなんだとしか思えない。
「良いなら、良いんだ。決めるのは君だから。……だけど……」
 言いかけて、鏑木は口を閉じる。
 それからややあって、「いつもこうなんだ」とため息を吐いた。
「なんでだろうね、僕は。自分の事さえ分からないのに、どうして他人にアドバイスなんかしようとするんだろう」
 忘れてくれ、と鏑木は言った。
 オレは返すべき言葉を見つけられず、ごまかすようにドリンクを飲み干すと、店を出た。
 日はもう傾き始めていて、街に少しずつ若い人間も増えている。

「この辺だと、後はもうゲーセンくらいしか行くとこ無いですね」

 半日歩いて、ほとんど成果らしい成果は上がらなかった。
 というより、街を歩いた程度でやりたい事が見つかるなら、鏑木だって心を病みはしなかっただろう。
 やりたい事を見つける、なんて言っておいて、所詮はこんなものだ。
 もしくは、もっと別の場所を見て回るべきだったのだろうか。都会とか、レジャースポットとか。……想像して、それでも上手く行くような気はしなかった。
「もう、いいよ。十分だ。僕はあの部屋に帰る事にする」
 それを察したのか、鏑木は街の様子をぼんやりと眺めながら言う。
「すみません、オレあんな事言いながら、何にも……」
「それでも、久しぶりに外に出られて楽しかったよ。僕は地縛霊じゃないけれど、あの部屋から遠く離れる気になれなかったからね」
 微笑んで見せる鏑木の顔には、わずかながら失望の色が浮かんでいた。
 オレを責める気は、実際無いのだろう。だけど、最後まで見つけられなかったという事実は、オレの胸に軽い痛みを与える。
 鏑木が見つけられなかったなら、オレにだってやりたいことは見つけられないだろう。
 或いはそれは、死後も自分を苦しめるような後悔に、なりかねない。

 帰ろうか、という鏑木の言葉に頷いて、オレは歩き出した。
 長い事憑りつかれ続けた身体は岩でも背負ったかのように重たくて、一歩一歩がひどく億劫に感じられてしまう。
 それでも、もう出来る事はない。
 明日また、課長に「契約は取れませんでした」と報告して、別の幽霊に会って……
 ……近くに、良いバイト先はないだろうか。交通費が出て、潰れ無さそうな所で……

「……あれ」

 俯きがちに歩いていると、ふっと、オレはある違和感に気が付いた。
 顔を上げて、振り返る。小さな子どもが一人、歩道で不安げに周囲を見回している。
「あれって……」
「迷子だね。親らしい人も……いない」
 呟いたオレに、鏑木さんは真剣な声で答える。
 どうしよう、とオレは考えた。
 五歳くらいの男の子は、今にも泣きそうな顔でちょろちょろと歩き回っていて、周りの大人も、少しずつ子どもの態度に気付き始めていた。
 オレしかいない、という状況では……無い。
「……多分、その内、誰かが声を掛けるでしょ。警察呼ぶとか」
 結局、面倒さが勝った。下手に声を掛けて不審者扱いされたら元も子もない。
「いや、誰かじゃなくて今行かないと。不安そうだよ、あの子」
「分かりますけど……正直、オレが行っても怖がらせますって」
 オレはあの子にとって、知らない大人の男だ。余計怖がって泣いてしまうんじゃないかと思うと、足が動かない。
「なら、君の身体を貸してくれ。僕が行く」
「鏑木さんが?」
「親戚の子どもの相手とか、よくしたからね。少しは慣れてるよ。だから……」
「……返してくださいよ、ちゃんと」
 ため息をついて、オレは身体の力を抜いた。
 と、脳みその中にズルリと何かが入って来るような、不快な感覚がして……
「じゃあ、借りるよ!」
 オレの身体は、勝手に動いた。
 オレは早足で子どもの所に向かうと、地面に膝を突いてしゃがみ、見上げるようにして子どもに声を掛けた。

 それから解決までは、あっという間だった。
 鏑木はオレの身体で子どもの話をゆっくりと聞き、母親とはぐれた場所を聞き出した。
 子どもは母と買い物に出ていたが、はぐれて、そのまま外まで出てきてしまったらしい。
 鏑木は彼の手を引いて、母親と買い物をしていたというビルまで連れていくと、そこの案内所に子どもを託しアナウンスをしてもらった。
 ややあって、血相を変えた母親が子どもと合流すると、鏑木は「良かったね」と子どもに言い残し、その場を後にする。

「……鏑木さん、そろそろ」
「ああ、うん。ごめんね、長々と」
 身体の中から何かが抜けていく感覚。
 ようやく戻った身体の主導権を確かめながら、「凄いですね」と鏑木さんに言う。
「何のこと?」
「子ども。普通もうちょっと躊躇いますよ、ああいうの」
「そう? ……でも、困ってたからね。困ってる人を見ると、なんていうか……話を聞かないとって思ってしまって」
 本当にごめん、と鏑木さんはもう一度謝った。
 確かに憑りつかれれるだけならまだしも、身体の主導権を取られるのはかなり負担が大きい。それに彼が良い人だというのはわかっていても、どうしようもなく不安になる。
 ただ、それでも。
「あの子も笑ってたし、まぁ良いんじゃないですか」
 親と会えた時の、安心した笑顔。それが見れたのは、悪くなかった。
「多分、オレだったら泣かれてたし。鏑木さんだから話す気になったんじゃないですか?」
 鏑木は、相手の言葉を否定せず、要領を得ない話にも根気強く向き合っていた。
 だからこそ、子どもも警戒を解いて話をしてくれたんだろうと思う。

「……似たような事、友だちにも言われたな」

 鏑木は、ふっと思い出したように呟いた。
 友人の悩みを聞くときも、よく「鏑木は話しやすい」なんて言われていたらしい。
「なんか分かります。オレも、余計なことまで話しちゃったし」
 今日は鏑木の目標を探すのが目的だったのに、オレの事を色々話してしまった。
 そうさせる雰囲気が、彼にはあったのだ。
「……そういえば、鏑木さん。メシ食ってる時、オレになんかアドバイスしようとしてましたよね?」
「ああ。……いや、ごめんね。余計な事だったよね」
「そうじゃなくて、どうしてそうしようと思ったんですか?」
 ふっと、気になった。
 彼にとってオレは全然無関係の人間で、どうなろうが知った事じゃない相手だ。
 だけど彼は、オレに何かを伝えようとしていた。その、理由が、気にかかる。
「……大したことじゃないよ。ただ、困ってそうだったから……どうにかしたいと思っただけ。それって、変なことかな?」
「変じゃないです。……あの子に対しても、そうでしたよね」
 困っている迷子の子ども。誰かが助けたかもしれない子ども。
 それを彼は自分で何とかしたいと思って、行動した。
「それって多分、鏑木さんの長所だと思うんです」
「……僕の? ……けど、そんなのは……」
「普通、もうちょっと面倒くさがりますよ。友だちに対しても、真剣に話を聞いてたんじゃないですか?」
 鏑木は、自分に芯が無いから周りに合わせるんだと言っていた。
 結果として真面目だと思われて、だから周りは自分によく相談を持ち掛けてくる、と。

 けど、本当は違ったのかもしれない。

「鏑木さんなら何とか力になってくれるって、思われてたんじゃないですか?」

 もし、そうだとしたら。
 その理由は、なんだ? 彼が「何とかしたい」と思える人間だったからじゃないのか。
「鏑木さんがずっと思ってた事って、本当は……」
「……ああ……そう、かもしれない……」
 言い切る前に、鏑木は呆然と呟いた。
「そうだった。始めはそうだった。誰かに相談されて、一緒に考えて……解決の手助けが出来た時、僕はとっても嬉しくて……」
「真剣に、話を聞いたんですね。どうしても助けたくなって」
「……うん、そうだ。僕は……皆が迷っているなら、背中を押したいって思っていた。力になれたら。皆の迷いが晴れたら。僕は自分の事みたいに嬉しくて……」
 皆に頼られて、力になれる事が幸せだった、と鏑木は言う。
 彼の周りの人間も、だからこそ鏑木に相談を持ち掛けて、夢や未来の話を聞かせて……結果として、鏑木自身が迷って、潰れてしまったけれど。
「……最初から、見つけてたんだ。僕は……」
「誰かの役に、立ちたい?」
 鏑木省吾は頷いた。
 初めから、鏑木の胸の中には答えがあったんだ。
 けれどそれが、分からなくなってしまっていた。分からないまま人生を終えてしまった。
「なんで、どうしてこうなってしまったんだろう……分かっていれば……自覚さえ出来ていれば、僕はこんなに……こんなに……!」
 残酷だ、と思う。
 何かを求めて答えを得ても、彼はもう既に死んだ人間だ。
 失った時間が、未来が戻ることはない。
 それでも、オレには。今のオレになら、彼を助ける事が出来る。

「未練を晴らす方法、ありますよ」

 そのためにオレはここにいる。
 見つけた答えに、一つの方法を示すためにここにいる。

「鏑木省吾さん。多分、あなたがやりたい仕事を、オレは紹介できます。でもよく考えてから答えてください。仮復活は……」
 ここから先の言葉を、オレはほとんど口にしていなかった。
 なぜならそれは、契約に前向きな相手にしか伝えない言葉だからだ

「仮の肉体を手に入れても、貴方は鏑木省吾としては生きられません。別の名前を作って、素体の様子を見ながら、何年か働いて……終わりです」

 死んだ人間が、本当の意味で生き返る事は出来ない。
 ただ人形に憑りついて、生きているかのように見せかけるだけ。
 だから幽霊たちは、名前も生前の人間関係も、全て捨てて働かなければならない。

「生きてる人間の世界を惑わせないように、生きてる人間の世界を支えるんです。正直、マトモな条件じゃない。それでも……」

 それでも、誰かの力になりたかったという未練を、彼が晴らしたいのなら。

「鏑木省吾さん。契約、しますか?」
「……僕、は……」

 彼は、しばらくの間、俯いて考え込んだ。
 すぐに答えを出す必要はない。ゆっくり考えてくれればいい。
 そう思った矢先、もう一度彼は口を開いて――

 *

 鏑木省吾は、就労契約を結んだ。
 就職先にはずいぶん悩んだようだが、最終的には商業施設の警備員として働くことにしたらしい。きっと、迷子の子どもがいれば即座に駆けつけることだろう。

「良かった良かった。これで湊君のクビもどうにか出来そうだよ」
「……ありがとうございます」
「あれ? 嬉しくないの?」
「いや、ホント有難いことではあるんですけど……」

 一件とはいえ契約を結べたことで、オレのクビはひとまず保留されることになった。
 しかしそれでも、今後の成果次第ではいつ同じ状況に陥るか分からない。……それに。
「……やっぱりオレ、よく分かんないです、この仕事」
 鏑木省吾を就職させたことは、正しいことだったんだろうか?
 彼はもうとっくに死んだ人間で、いくら彼の未練を晴らすためとは言え、復活させて別の誰かとして働かせるなんて……
「私も分からないよ。間違ってるんじゃないかって、ずっと考えている」
「え、課長もですか……?」
 驚いて課長の顔を見ると、彼は少し悲し気な顔をして頷いた。
「彼らは、本当ならゆっくり休んで良い人たちだからね」
 それを働かせることを、正しいと思えないならそれで良い、と課長は続けた。
「だけどね、湊君。鏑木さんは、自分で道を決めたんだ。それを忘れちゃいけない」
「……そう、ですね」

 あの時の、鏑木の表情を思い出す。
 笑っていた。顔を上げて、晴れ晴れとした顔でオレに答えを告げたんだ。
 きっと彼なら、いつか働き終えた後、胸を張って成仏する事が出来るだろう。
 それと同時に、オレは彼に言われたもう一つの言葉を思い出す。

 ――『きっと、君はこの仕事に向いてるよ』
 ――『だから、他の幽霊たちの話も、聞いてあげて欲しい』

 流石に、買い被り過ぎだと思った。
 オレはやっぱり、この仕事に向いてない。
 けれど、ほんの少し。ごくごく僅かにだけれど、オレは……

 この仕事を、続けてみたいと思い始めていた。


【第一話 了】



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